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小さな国だった物語~  作者: よち


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190/249

【190.三圃制】

北緯54度。あっという間に春が来て、短い夏を知っている花たちは、我先にと芽を伸ばす。


都市城壁の南側。小さな女の子たちが飛び出すと、白に赤。紫の花弁の中で黄色い声が咲き誇った。


「なんというか、良いですね…」

「ひとえに、ロイズ様の功績です」


しみじみと、目じりを下げた国王(ロイズ)が呟くと、隣に並び立った将軍(グレン)が口を開いた。


駆け回る女の子の中には愛娘(メイ)も居て、強面の顔が穏やかになっている。


「あたいも行く!」

「はいはい」


ウォレンの姪っ子が足を進めると、アビリが黒髪のポニーテールを振って追い掛けた。

やがて彩りの中では小さな身体が溶け込んだ。


「女は花を愛でる。男は女を愛でる。そんなのがいいね」


国王と将軍の背後から、ウォレンが口角を上げて呟いた。


「まあ、それで大概の事は、上手くいくな」


浅黒い肌。短い金髪の男に視線を移すと、グレンは実感を口にした。


「お待たせしました」


続いてライエルが、数本の鍬を荷車に載せてやってきた。


城壁の西に広がる麦畑。

収穫は夏の訪れと共に始まって、収穫後は別の農地に種を蒔く。

10の耕作地を5:5。一年毎に使用。

収穫を終えた農地は栄養素を戻すため、家畜の放牧場。並びに休耕地として一年を過ごすのだ―—


ところがである。ロイズは耕作地の拡大。同時に三圃制を訴えて住民を驚かせた。


12の耕作地を6:6として使わずに、4:4:4として、春耕地は燕麦や豆類。秋の種蒔きは小麦やライ麦。残った一つが休耕地。これをローテーションすることで、食料自給率を上げようというわけだ。


「どこで知ったんだ?」

「ある人から、伝え聞いたのです」


ウォレンが尋ねると、率先して鍬を振る国王は楽しそうに答えた。


「へえ」


恐らくは、リャザンで仕入れてきたのだろう。

ウォレンは感心の相槌を送ったが、実際はカルーガの義父である。


思っていた政策を実行できる悦びが、彼の胸には湧き上がっていた。



治安の安定と三圃制の導入で、城内も大わらわ。

農具や種子の管理。パン作りのための釜の用意。蜂蜜の精製。暖炉や客間、保管庫の清掃…


「忙しい時は、優先順位を明確に! 一つずつやっていく! 分かった?」

「はい!」


アンジェが朝礼で訓示を送ると、揃った声がこだました――



「恋愛どころじゃないわね」


丸パンを手にしたマルマが束の間の休息を城の3階に求めると、王妃の軽口が届いた。


「やること多くて…客間の清掃は後回し。倉庫もぐちゃぐちゃです」

「仕方ないのか…」


普段なら、階下に下りて女中の一員となるところだが、アレッタの子守りで動けない。赤髪の王妃はため息交じりに呟いた。


「なら、2階の客間なんて殆ど使わないし、仮の倉庫にでもすれば?」

「そうですね。アンジェさんに伝えます」


マルマが齧った丸パンを飲み込むと、背後の扉からノックの音が聞こえた。


「どうぞ」


ノックの加減で訪問者を察すると、冷静に戻った王妃が入室を許した。


「失礼します」

「なにかあった?」


姿を現わしたのは、猫背の尚書。

マルマと視線が交わる前に、リアが訊く。


「それが…リャザンから、来訪者がいらっしゃいまして…」

「リャザン? 誰?」


随分と畏まった言い方に、見当のつかない王妃が先を求めた。


「それが…次のキエフ大公妃だと…」

「……」


謀反人(ジミルヴィチ)の伴侶。

リャザン滞在中、アレッタを産んでからは世話になった。

ハンガリー王ゲーザ二世の伯叔父で、摂政を務めた人物を父に持つ、高貴な血筋の保有者である。


「どこに居るの?」

「確認のため、都市城門にてお待ちいただいております」

「……」

「客間、掃除しますか?」

「そうね…」


一連のやりとりを耳にして、立ち上がったマルマは階下へと急いだ。


「アレッタちゃん。おでかけですよ」


リアは暖炉の前に置いた網籠で眠っている愛娘を抱えると、ラッセルを先導にして、都市城門に向かった—―



「元気そうね」


都市城門が開いて高貴な姿が覗くと、彼女は濃茶の前髪、整った眉の下で澄ました笑顔を浮かべた。


「その子も、無事に育ってるみたいで、安心したわ」

「ありがとうございます」


三日に渡る長旅で、背中に届く髪の毛は艶が消えている。


それでも南に広がる色とりどりの花たちを背景にして、リアの瞳は漂う気品と凛とした立ち姿に惹き込まれた。


「どうして、トゥーラに?」


城内へどうぞと案内をして、城へと続く一本道を赤子を抱えて歩き出したところで、リアが右に並ぶ高貴な女性に尋ねた。


「夫に呼ばれたの。ついでに、会っておこうと思って。今後の為にね」

「……」


リャザンで狼藉を働いて、ポロニィに移ったジミルヴィチ。その後はアンドレエヴィチの死去に乗じてドロゴプージを手に入れた。


世情が一旦落ち着いて、家族を呼んだのだ――


「今後の…ためですか?」

「そう。言ったでしょ? 私は、キエフ大后妃になるんだから!」

「……」


確固たる意思表示。全く見通しが立たない中で沸き立つ自信はどこからくるのか…


小さな王妃が不思議そうに濃茶の瞳を見上げると、長い睫毛は凛と上を向いていた――


「小さな城なので、客間も狭いですけど」

「思ったよりも立派じゃないの。ドロゴプージと変わらないわよ」


城門に架かる石橋を渡りながら、会話を交わす。

ハンガリー貴族の娘という高貴は纏いつつ、ひらひらと舞う蝶のような気さくな振る舞いは、リアの心をくすぐった。


「なんか、慌ただしいわね…」

「あなたのせいですよ…」


突然舞い込んだ清掃任務。高貴な女性が廊下に足を移して呟くと、幾人もの女中が入り乱れ、階段への往来も認める中で、リアが冷静な声を発した。


「客間はどこ?」

「二階ですけど?」

「手伝うわよ」

「え?」


右の袖を捲って白い腕をあらわすと、足を進めた客人は、女中の合間を縫って螺旋階段を上がっていった。


アレッタを抱えたままで、リアが咄嗟に追い掛ける。


私みたいね…

灯った感想は、自虐を含んだものであった。

それでも不満は起こらずに、口角を上げている事を自覚した――



夕陽が地平線に落ちるころ。

歓待の宴を退けて、ハンガリーの高貴な女性は小さな王妃を客間に招いた。


「訪問の使者を、送った筈なんだけどね」

「……」


落ち着いた声色が、暖炉の前に置かれた木枠の椅子に座ったリアに届くと、部屋に静寂が訪れた。


リャザンからの行程は約三日。

単騎の伝令だとしたら、何かしらの不幸も起こり得る—―


「で? この後は? どうなるの?」

「はい?」

「言ったでしょ? どうやったら私は、キエフ大公妃になれるの?」

「……」


改めて、願望が真っすぐに示された。しかしながら、リアの唇は動かない。


「じゃあ、質問を変えるわ。ウチの人は、どうやったらキエフ大公になれるの?」

「……」


どうやら本気らしい。

総ての可能性を考慮して、策を授けてほしいという訳だ。


「そうは言っても、トゥーラ(ここ)では情報が足りません。先ずは、知っていることを教えてください」


夫からの呼び出しがあったのだ。併記されていた情報を、王妃が求めた。


「前のキエフ大公。ムスチスラフが、もうすぐ死ぬわ」

「え?」


唐突な回答に、リアの瞳は大きくなった。


「病気みたい。ウラジミルからの話だから、確かよ」*

「……」


ポーランドとの国境付近。ムスチスラフの逃亡先。

どうやらキエフを巡る争いは、スーズダリ大公アンドレイの一派が抑えそうである。


「そうなれば…キエフの地盤は固くなりますね。大公(グレープ)様の後ろには、ミハルコ様が控えます」

「そうなのよ! それじゃ困るの!」

「困るって言われても…」


毒殺や謀略の類なら、そちらの得意分野では?

リアの心はざわついて、それでも溜め息交じりに続けた。


「正直、待つしかないと思いますよ?」

「……」


これ以上? 散々待ったのに?


諭すような視線が送られて、ハンガリーの婦人は固まった。


「あの…あなたの伴侶は、キエフ大公に就いて、どうしたいのですか?」

「そんなの、決まってるじゃない!」

「はあ…」

「なってから考えるわよ!」

「……」


素朴な疑問を伝えると、能天気な答えが戻った。


「私は、ハンガリー王妃になれたのよ? それをこんな田舎に嫁いで、大公妃にもなれないなんて、あんまりだわ!」

「その…例えばハンガリーとの交易を深めるとか…そういった考えは、無いのですか?」

「それ、良いわね」

「……」


なんとも軽い調子で提案が通った。

尤も彼女の伴侶がキエフの椅子を射止めれば、ハンガリーから動きがあるのは明らかだ。


「あなたは、自分の思いに正直なんですね…」


自分の居場所を作る。

小さな砦を守るため、リアは赴任の前から熟慮を重ねた—―


対する個人の欲望に、一つの接点を見出した。


それぞれが皆、信じた道を進んでいるだけなのだ――


ウラジミル = 現在のウクライナ、ヴォルィーニ州、ヴォロディームィル。10世紀後半、聖公ウラジーミルⅠ世によって建てられた城市


お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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