【184.進展】
トゥーラの都市城壁の外。北側。
焚火を囲んだ子供たちが、枯れ木に突き刺した魚を炙り始めた。
「営みだな…」
傍らに固まって腰を下ろす大人達。
子供たちの笑顔を眺めながら、人為的に削られた石に座ったウォレンが思ったままを呟いた。
「魚を獲って食う。ずっとやってきたんだな…」
「じゃあ、俺達は?」
「ん?」
続いた発言に、最年長の子供がウォレンに尋ねた。
右手に掴んだ枯れ木には、白い湯気の上った魚の切り身が刺さっている。
「俺達は、ナニカに食べられないよ?」
「……いい質問だな」
純真な双眸が向けられて、ウォレンは足下に視線を落とした。
同席しているアビリとライエルも、浅黒い肌の金髪頭を目で追った。
「そのナニカってのは、欲だな」
「ヨク?」
「何かしたい。全部だ。遊びたい。眠りたい。美味しいもの食べたい。分かるか?」
「分かる」
「だがな、何かをしようと思ったら、何かをしなくちゃならない」
「……」
「遊ぶ前には、母ちゃんのお手伝いをする。眠るためには家が要る。美味しいものを食べるにも、金が要る」
「うん…」
日々を思い起こして、少年は頷いた。
「ナニカ…欲を満たすために、俺達は襲われたんだ」
「……」
「こんな遠くまで? なんでですか?」
少年の唇が動きを止めると、アビリが不可解を呟いた。
「区別してるんだよ。肌の色。言葉。住んでいる場所。性別…家族…わかるだろ?」
言いながら、浅黒い顔がアビリを覗いた。
「はい。同じようなことを、仰ってた方が居ました…」
「そうか…」
本能の赴くままに――
慰霊式の帰り道。
アビリは麻の頭巾から覗く赤みの入った後ろ髪を思い出していた――
「なんだか、寂しくなったわね」
「え? うん…」
城の西側。簡素な二階建ての家屋では、母子が向かい合って食事を摂っていた。
細身の母が呟くと、木製のスプーンで干し肉のスープを掬った青年が、動きを止めて同意した。
原因は、一つしかない。
二日おきに姿を見せる明るい女性が、しばらく姿を見せなくなるということ…
場景に変化はない。それでも心の沈滞が、降り積もる雪のような寂寥を連れてくる。
会いたければ会えるのだ。
しかしながら、声を掛けて良いものか……青年の心は霧に包まれた。
躊躇の理由は、彼女の態度。
任務外。例えば市中で見掛けても、彼女は視線を外すのだ――
親しくしたいわけじゃない…
そんな思考が透けて見えた…
任務の最中。
リャザン滞在中は愉しかった――
幼少期とは違って自由がある。
武芸の披露で驚かれ、手合わせも、相手が雑多で面白かった。
そして何よりも、明るい彼女との散策。
城外にまで赴いて、漁師や農作業を営む人々との交流。
一緒の時間が嬉しかったのだ――
「たまにでも良いから、誘ってみたら?」
「え…うん…」
誘いに乗ってくれるだろうか…
幼少期。異性を無邪気に誘えた頃には戻れない――
気恥ずかしい思いが灯って、青年の頬は赤く染まった。
一週間も過ぎると、トゥーラの城外は一斉の緑で囲まれた。
「さて、行くよ!」
「は、はい!」
振り向いたアビリが気合を発すると、マルマが応えた。
場所は都市城壁の東側。目的は蜂蜜の採取である。
ミツバチの後を追いかけて、分蜂前の巣を見つけるのだ。
「秋の方が良いんだけど、今時期も採れるからね」
「頑張りましょう」
「とは言っても、今日は巣を見つけるだけ。私たちじゃ、獲るのは無理だから」
「そうなんですね…」
「あ、いた」
カミツレの花に止まっている一匹のミツバチを見つけると、アビリはその場に腰を下ろした。
「結構いますね…」
マルマが遠目から花弁を眺めると、十輪に一匹くらいだろうか。
白い花に黄色いミツバチが、細かい足運びで忙しなく動き回っている。
「飛んでった。追うよ」
ふらふらと風に泳ぎながら、ミツバチが東へ向かって飛んで行く。
二人は時折り小走りになって、新緑の上を追い掛けた。
ミツバチが好んで巣を作るのは、日当たりの良い場所でありながら、風雨を凌げるところ。
木々の茂みの裏側だったり、大木の裂け目や洞である。
身近なところでは、城壁の割れ目に巣食うこともある。
何度か見失いながらも、次のミツバチを探すことで、二人は松林の手前まで辿り着いた。
「見つけた」
アビリが黒髪のポニーテールを揺らして見上げると、もみの木の割れ目を行き来するミツバチたちを認めた。
「先ずは一つ目。覚えといてね」
「あ、はい」
同じような要領で、二人は根元の洞にもう一つの巣を見つけると、次にアビリは林の中にある幾つかの切り株を見て回った。
斧で割れ目を入れておき、分蜂先として誘うのだ。自然巣よりも、採取が楽になる。
結果、二つの分蜂を視認した――
「おう、アビリん。昨日もありがとな」
「いえいえ。余り物ですから」
林から戻った二人が都市城門の南まで足を進めると、新設した農地を確認していたウォレンから声が掛かった。
「あ、そうだ。ウォレンさん、明後日空いてますか?」
「空いてなくても、空けるよ」
「じゃあ、昼にここで。蜂蜜獲りに行きたいです」
「おう。分かった」
ウォレンが右手を軽く掲げると、アビリも右手を小さく振って微笑んだ。
「アビリん?」
「な、なによ!」
「いつのまに?」
「そんなんじゃないわよ! あの人の甥っ子たちに懐かれてるの。家の前を通った時に、お菓子をあげたのが始まりなの!」
再び足を進めると、左から揶揄いが飛んできた。焦ったアビリは早口になって頬を赤くした。
「へえ…ウォレンさん、『昨日も』って言ってましたよ? わざわざ家の前を通って帰ってるんですね」
「……」
アビリは俯いた。ぐうの音も出ない。
たまたま城を出たところでウォレンと会って、世間話をしながら帰っただけなのだ。
彼の自宅前で子供たちに囲まれて、たまたま持っていた焼き菓子を手渡した。
「また、お願いします」
大きな瞳を覗かせて、焼き菓子を両手に掴んだ姪っ子が、期待の眼差しを向けたのだ。
餌付けになっては教育上マズいと思いながらも、彼女はそれから翌日を除いて足を運んだ。
翌日の帰宅時間。彼の家を遠目に眺めると、子供たちの背中が寂しく見えたのだ。
本当に期待されていたのかは分からない。
それでも罪悪感に襲われた――
思いの総てを解決するために、アビリは小指の先ほどの焼き菓子を作って、小さな麻布に包んで渡すことにした。
「あんたこそ、どうなってんのよ!」
「え? わたし?」
藪蛇となって、アビリの反撃がやってきた。
「どうって言われても…」
「は? リャザンまで一緒に行って、なんの進展も無かったの?」
「べ、別に、私たちはそんなんじゃ…」
「ほんとに?」
黒いポニーテールが前に出て、焦った丸顔を覗き込む。
「ほんとですよ!」
「じゃあ、争奪戦は継続か…」
「え?」
「だって、あんたがラッセルさんを選んだら、当然そうなるでしょ?」
「……」
アビリが身体を起こすと、マルマの足が止まった。
「あんたがリードして、みんな退いてるからね。今がチャンスだと思うけどな」
「ちゃ、チャンスって何ですか!」
「そのままだけど?」
「……」
黒い瞳が嘯いて、マルマの頬はますます赤に染まった。
「あれ? ほんとに何も無いんだね」
「だ、だから、言ってるじゃないですか!」
「あーヤダヤダ。モテる女は辛いのね」
「も、モテてなんかいません!」
アビリが歩みを進めると、マルマの弁明が追い掛けた。
「あんた、自覚は無いの?」
「……」
ピタッと足を止めて振り向くと、そばかす交じりの先輩は後輩の瞳を覗いた。
「だって…私なんか…」
「選べない?」
「え、選ぶ?」
予期せぬ言葉に驚いて、マルマの茶色い瞳は大きくなった。
「はあ……あんたねえ…」
やってらんない。アビリは大きな溜息を吐き出した。
薄い顔の尚書の細い目は、茶褐色の髪の毛が揺れるのを追っている――
茶褐色の髪の毛は、王妃様に会えると嬉しそうに弾んでいたが、やがてライエル将軍の家へ向かう時にも軽やかとなっていた――
美将軍とは視線が合う機会が増えている。都市城壁の外側で――
「一つだけ言っとくわ。あんたはそのままでいたいんだろうけど、周りは許してくれないからね!」
右手の人差し指をマルマの眼前に翳してみる。
アビリは進展を促した――
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