【185.出会い】
トゥーラ城の地階。女中の支度部屋。
藁のベッドの上で身体を丸めたマルマは、二枚の毛布をすっぽりと被って悶々としていた。
(選ぶ?)
将軍と尚書。
肩書だけなら立派だが、集落のような小さな国家では意味を成さない。
給金に差がある訳でもなく、責任が増えるだけ。
それでも将軍職を為せるのは、他人の指揮下で命を危険に晒すくらいなら、自らが率いた方がマシだと思うから。
片や尚書の方は、愛しい王妃様を眺めていられるから—―
前者は夕食時の雑談での心証。
後者はあくまで想像だが、恐らく外れてはいない筈。
「馬鹿じゃないの!」
なんだか腹立たしくなって、マルマは毛布の中で心を吐き出した。
翌日。昼過ぎのこと。
螺旋階段を上ったマルマが失礼しますと告げて寝室に足を進めると、ベッドの上でアレッタに母乳を与えている王妃と目が合った。
「あの、聞きたいことがあるんですけど…」
「なに?」
構わずに要望を伝えると、乳からアレッタを離した王妃は赤子を股の間に座らせた。
「あー」
「あ、隣で待ってます」
アレッタの顔がぐにゃりと曲がった。これはマズいと王太子の側仕えはそそくさと踵を返して寝室の扉をパタンと閉めた。
「……」
静寂がやってくる。
東の採光口と西の小窓から差し込んでくる陽光に気が付いて、マルマは落ち着きを取り戻した。
左右に腰をひねって見回すと、机に暖炉、窓や調度品の掃除は行き届いていて、後輩の献身的な仕事ぶりが想像できた。
「お待たせ」
寝室の扉は開放したままで、小さな王妃は言いながら、肩に垂れた赤みの入った髪を両手で背中に回した。
「で、何の話?」
「あ、いえ…」
勢いを失って、改まって聞かれると唇が止まった。
何度か疑問には思っても、詮索を畏れて口から出なかったのだ。
「どうぞ」
いつもの席にちょこんと腰を下ろすと、王妃は右の手のひらを前にして、立ったままのマルマに瞳を向けた。
「ら、ラッセルさんの事です!」
「……」
促されては抗えない。マルマが思い切って口を開くと、予想外の名前が飛び出して、リアの口元は半開きとなった。
「なに? 恋の相談?」
「ち、違います!」
丸い顔が赤くなっている。真剣な話だとリアが尋ねると、否定の言葉がやって来た。
「じゃあ、なんなのよ…」
階下で問題行動を起こした訳でも無さそうだ。王妃が溜息交じりに訊き返す。
「その…なんであの人が、リャザンから来たんですか?」
「……不思議なの?」
「まあ…」
頬は赤いまま。視線を外して答えるマルマを眺めると、リアは向かい合う形で座るよう促した。
「はい」
「…ありがとうございます」
腰を下ろしたマルマを認めると、リアが立ち上がってほんのりと湯気が立っている紅茶を淹れて戻って来た。
当然ながら立ち上がろうとしたマルマを制して、落ち着くようにと促したのだ。
「ロイズがリャザンの下っ端役人だったって話は、知ってる?」
「あ、はい」
「ラッセルは、言ってみれば同僚ね。別に親しくはなかったみたいだけど」
「……」
二人は同年代。それでも昔からの馴染みといった雰囲気は感じなかったので、マルマとしては合点がいった。
「ロイズがこっちに来る事になって、一番悩んだのが補佐の人。それなりの名前が挙がったんだけど、歳の近い人を探そうって事になったのよ。役職が上だった人が一緒だと、面倒でしょ?」
「…そうですね」
小さな国家。風通しの良さは自慢である。
国王夫妻を筆頭に、尚書や将軍とも気楽に会話ができる現状に、マルマは納得をした。
「それで、ラッセルさんは適任だったんですか?」
「さあ? どう思う?」
「そう言われても…わかりません」
向けられた瞳にマルマが困惑を浮かべると、王妃は彼との出会いを語り始めた――
それは3年前のこと。初夏を迎えたリャザンの屋外屋台。
夕陽を浴びるレンガ造りの都市城壁を背景にして、テーブルを挟んで丸太椅子。そんな席が4つほど並んでいる。
二人は西で蛇行するオカ川を見下ろす形で丸太に座ると、紅茶を二杯と焼き菓子を店主に頼んだ。
「どうする? トゥーラで探す?」
疲れた表情で、ロイズがテーブルに両腕を重ねると、そのまま前のめりとなって顎を沈めた。
「適任者が居なかったら、どうすんのよ…」
「そうだねえ」
「土地勘も無い。味方も居ない。そんな中で陣頭指揮なんて、執れる訳ないでしょ」
リアの横顔に夕陽が射して、白い肌はオレンジに染まった。
やがて男の店主がカップ二つと木皿を持ってきて、二人の間にことりと差し出した。
「もう、誰でもいいんじゃない?」
「良いわけないでしょ」
起き上がったロイズがけだるそうに呟くと、リアの蔑んだ視線がやってきて、紅茶の入ったカップを両手で支えて傾けた。
「少なくとも、あなたが動かせる人じゃないとね」
「そうは言ってもね…」
リャザンに赴いて約二年。立場は下っ端役人で、部下は勿論のこと親しい同僚も殆どいない。
リアがカップをテーブルに戻すと、今度はロイズが眼下のカップを口元に運んだ。
地平線の向こうに太陽が沈み込む。
リアの提案で、二人は互いに知っている人物を羅列して、消極的ながら数人をリストアップした。
「でも…難しいでしょうね…」
過去にはスーズダリの侵攻を許したが、現在のリャザンは大国となって安定している。わざわざ前線の砦に赴任など、奇人の類でなければ行かぬだろう。
三杯目の紅茶を飲み干すと、リアの瞳は伏し目となった。
「ラッセルさん、そろそろ、閉店にしたいんですがね」
そんな時、リアの背後から男性店主の嘆きの声がやってきた。
ロイズが左に身体を伸ばして視線を送ると、3つ向こうのテーブルで、伏せって細い背中を覗かせる、男の姿が目に入った。
「知ってる人?」
「うん…資材課の人だと思う」
「あんたら、ラッセルの知り合いか?」
リアの質問に身体を戻したロイズが答えると、閉店を告げに来た店主が声を掛けてきた。
「親しい訳じゃ無いですけど、職場は同じです」
「そうか。何があったか知らねえけど、昨日から荒れててな。あいつの親父さんには世話になってるから、邪険にはしたくねえんだが……暴れる訳じゃないしな。そうだ。あんたら、あいつの話を聞いてやってくれねえか?」
「え?」
「あいつが立ち直ったら、紅茶を10杯サービスするよ」
「……」
追加の話では、ラッセルの親は漁業を営む傍らで、魚の加工と卸売りもやっている。店主は仕入先として世話になっていて、彼の成長も見守ってきた。
兄弟とは違う官吏の道を選んだが、ご覧の通り…という訳だ。
「仕事のことはわかんないから、後ろで聞いてるね」
そう言って、リアは腰を上げるとラッセルの背後の席にひっそりと移動した。
「こんばんは」
「誰ですか? あなた?」
リアの行動に溜息一つ。立ち上がって足を進めたロイズが男の正面に回って声を掛けると、伏している上半身はそのままで、首から上だけが動いて細い瞳が覗いた。
「ちょっと、ここの店主に頼まれまして…同じ官吏の、ロイズと申します」
「官吏? 部署はどこですか?」
「経理や台帳の管理をしています」
「そうですか…私は資材課で、物資の運搬や調達をやってます」
だらんと前に伸びた右腕が、彼の頭に寄り添っている。
酒の気配は窺えず、どうやら酔っている訳では無いらしい。
理由は皆目わからぬが、現状に悶えているといったところか。
「何か…悩みでも?」
椅子に腰を下ろすと、両膝に手を置いてロイズが尋ねた。
「……聞いてくれますか?」
「私で良ければ。話して楽になるかもしれません」
「そうですね……でも、私はダメなんです」
「ダメ? 何が?」
薄い顔が再び腕に埋もれると、ロイズが上から尋ねた。
「恋もダメ。仕事もダメ…」
「……」
「どっちから聞きたいですか?」
「……」
話すのかい…頭頂部から言葉が漏れて、ロイズは苦笑いを浮かべた。
「じゃ、じゃあ…恋から…」
答えに迷ってロイズが瞳を上げると、いつの間にかリアの正面に座った店主と目が合った。口パクで「こ・い」 と促されては、従うよりなかった。
「3年間付き合ってた彼女に、プロポーズしたんですよ」
「え…」
咄嗟の反応は、リアの前に座る店主である。
「知ってるんですか…」
「ただの幼馴染ですよ。親の取引の関係で、子供の頃はこの辺りを一緒に駆け回ってました」
「……」
小声を交わすため、口元に手を当てたリアは前のめりとなっている。
「俺がずっと、守るって言ったのに…」
「それがたぶん、3年前ですよ…」
「お城で暮らしたいって言うから、仕官したのに…」
「職場が城ってだけじゃねえ…」
「お城で働く人は、格好いいって言ってたのに…」
「早い話が、遠ざけられたんですよ」
店主は冷静な分析を行った。
「それにね、『3年前から、好きに変わったんだ』って言ったら、『2年前から嫌いになってた』って言われたんですよ。ひどいでしょ?」
「親の手前、誘いを断れなかったんでしょうな…」
「……」
しみじみと流れる解説に、リアは無言となった。
「ナタリアって娘なんですけどね…最近好きな人ができたみたいで…」
「……」
「焦って迫ったんです。離れる背中を追いかける。若さゆえの過ちってやつですよ」
呆れた背後の声。
伏せたままのラッセルは、震える拳をゆっくり頭上に上げてから、雑音を払うべくテーブルに叩き落とした――
お読みいただきありがとうございました。
感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o




