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小さな国だった物語~  作者: よち


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180/218

【180.ノヴゴロド攻防戦②】

逃げ惑う人々。人馬のいななき。怒号と喧騒(けんそう)


ノヴゴロドの城市には悪魔が降り立っていた――



(ロマン)市長官(ヤクン)を見つけ出せ!」

「おう!」


ノヴゴロドを手に入れてから、キエフを狙って動いた前大公(ムスチスラフ)の背後を衝く――


思惑を成すために、アンドレイの息子は標的を口にした。


「守れ守れ!」


柵で覆われた二人の館。或いは何れかの教会――


領主と市長官が潜んでいるのはどこなのか。ノヴゴロドの市民もわからない。

ゆえに侵略者たちの狙いは分散せざるを得なかった。



「どうしよう……」

「どうにかして、逃げないと……」


侵略者の足音が、壁の向こうから縦横無尽に響いてくる。

狭い路地が入り組んだ場所。崩れた家屋の中で、胸に赤子を抱えた母親が呟くと、隣家の中年女性が辺りを見回した。


「火の手が上がる前に、逃げなきゃね……」

「そ、そうですね……」

「西の教会まで、走れる?」

「なんとか……」


見つかったら殺される。恐怖が迫る中、母親は精一杯の勇気を発した。


「……」


しかしながら、足音が途絶えない。

機会を探っていると、やがて明らかな温度の上昇を認めた。


「逃げるよ!」


火の手が迫っている。

察した中年女性は、母親の手首を掴んだ。


「でも、子供が……」

「貸しなさい!」

「あっ!」


中年女性は赤子を母親から引き剥がすと、人気のない東の路地に放り投げた。


「行くよ!」

「な、なんで……」

「一緒に、死にたいの!?」

「……」


赤子が泣き出した。東側のレンガを、赤い炎が照らしている。


生き様を中年女性の右腕に委ねた母親は、涙を零しながら教会を目指した――



「神のご加護を…」


聖ソフィア大聖堂。司祭がイコンを握って祈りを捧げている。

侵略軍に狙われた二人は、大聖堂の丸屋根の一つに身を置いていた。


「ああ…」


領主が眼下を覗き見る。

破壊されてゆく城市の中で、老若男女が逃げ惑い、或いは脆弱な抵抗を続けていた――


「我らは、どうなってしまうのか…」

「今日は、持ち堪えることが出来ましょう。しかし、明日には…」

「……」


キエフを見限ってスーズダリ大公を名乗ったアンドレイ。

ならば北東の大地で、大人しく余生を過ごしていればよいものを――


キエフ大公だった父に次いでノヴゴロド。

ロマンにとっては屈辱の光景であった――


「ヒャッハー! 神の恵みだ!」

「か、神だと?」


法より神が勝る者とは相容れない――


侵略者の遠吠えに、民会を司る市長官(ヤクン)の顔は嫌悪を描いた。


市民の知恵の結晶が、誰でも語れる神の啓示如きに敗れてはならないのだ――


「……お?」

「どうされました?」


怒りの感情を起こしたところで、隣人(ロマン)の瞳が変化した。


「いや、あの十字路の騎馬兵が、馬から下りたんだ…」

「騎馬が? 他はどうですか?」

「そういえば…数が増えないな…」

「それは…もしかして…」

「何かあるのか?」


含みのある発言に、ロマンの頬には明るさが滲んだ。


「馬の病が、広がっているのかも…」

「…ほんとか?」


半信半疑。ロマンの質問に、ヤクンは弄した策を口にした。


「馬房の馬が、病に罹っていたのです。そこで暗くなってから、商人たちに病気の馬たちを引き連れて、向こうの幕舎を回ってもらったんですよ」

「…それは、いつの話だ?」

「三日前です。上手くいきましたかね…」

「でかした! 神は見捨てなかったのだ…」


勿論、利用した智略あってこそ。

ロマンは感激の声を上げ、ヤクンの両手を掴むと、手のひらで包み込んだ――



「反撃だ!」


大聖堂を飛び出して、ロマンは愛馬にひらりと跨ると、ノヴゴロドの市中を鼓舞して回った。


駆ける領主の姿を目に入れて、沈んでいた街は息を吹き返した。


厚い雲の向こうでは、傾いた太陽が大地に沈もうとしている。


人々は引き返す馬はやり過ごし、焦りを見せる侵略者を数の力で押し返した――



「どうした?」

「何か、おかしいですね…」


突入していった騎兵たちが、都市城門から抜け出してくる。

馬に跨って、或いは馬を引いて、果てには馬を乗り捨てて…


情勢の変化に気が付いて、待機を決め込んだリャザンの大将と軍師がそれぞれに呟いた。


「馬の様子が…」

「なに?」


様子を見に行った斥候が戻って来ると同時に、背後から輜重(しちょう)隊長の声がやってきた。


「伝染病です!」

「……」


潜伏期間は約二日。ワルフは計略であると察知した――


「グレヴィ様! 撤退をお考え下さい。我々の領地は彼方です。輜重隊が斃れては、糧食を運ぶことができません!」

「そ…そうだな…」


ワルフは危機管理を具申して、同じく待機をしているスモレンスクの陣営に向かった。


「ワルフ殿!」


友軍の軍師を見つけた長身の将軍が、幕舎の方からやってきた。


スモレンスクの陣営も同じである。

繋がれた馬たちは疲弊して、何頭かは白い雪の大地に腹を乗せていた。


「ベインズ殿。こちらもひどいですな…」

「はい。三日は動けそうにありません」


激しい咳を繰り返す初期症状。馬体は熱を発して降り積もる雪を溶かしていった――


「幸いにして、我々の陣は後方です。協力しましょう。篝火を絶やさずに、先ずは夜襲に備えましょう」


周囲は既に薄暗い。ワルフの提案に頷いて、ベインズは幕舎へと足を戻した。


「元気な馬はいるか?」


リャザンの陣営に戻ると、ワルフは獣医に罹患状況を尋ねた――



「来たぞ!」

「早く行け!」


都市城門付近では、市民に殺戮を繰り返した侵略者が、一転して恐怖に(おのの)く側となっていた――


総大将であるアンドレイの息子は早々に逃げ出して、不審を起こした騎兵たちが背中を追い掛けた。


残されたのは豪族の歩兵たち。

殺戮と金目のものを漁る中。気付いた時には武器を手にした市民に囲まれていた――


都市城門までの道のりは、柵が幾重にも設置され、袋のネズミ。

薄暗くなった頭上から矢羽が注ぐ中、烏合の衆は1ミリでも外へと活路を求めた。


「外の奴らも追い払え!」


袋の鼠を屠殺して、血走った市民の視線は外へと向かった。


土塁となった四肢を踏み越えて、城壁の外へ出る。

篝火の羅列を認めると、彼らは槍の穂先を前にして幕舎に狙いを定めた。


「夜襲だ! 出てきたぞ!」

「迎え撃て!」


黒い塊となった市民軍が向かってくる。

騎馬の勢いで蹴散らすのが上策も、残っている馬の殆どは動けなくなっていた。


「応戦しろ!」

「相手は素人だ!」


暗闇の一団は、篝火の炎に槍の穂先が煌めいて、不気味な圧力を放っている。

親の仇、子の仇。ゆったりとした無言の圧力が、前衛の侵略軍の士気をついに奪った。


「いや、無理だ!」

「逃げろ!」


雪崩を打って背を向ける。

彼らは武器を捨て、後方に構える幕舎へと駆け出した。


「ムスチスラフ様! お逃げ下さい!」


早朝からの戦闘は、双方が疲弊した。夜襲は起こりえない――


鎧を脱いで一息入れた男の鼓膜に、軍司令官ボリスの声が響き渡った。


「市民が打って出ました! 前衛は潰走しております!」

「な…う、馬の用意を!」

「馬はこちらに!」


元気な馬は隔離して、東に散在する木々に繋いでいる。

従者が幕舎を飛び出すと、ムスチスラフとボリスが追いかけた。


冬の厚い雲が恨めしい。標的とならぬよう、松明は使えない。

視界の下部に薄っすらと浮かぶ木々の輪郭目指して、スーズダリの重鎮二人は必死に足を動かした。


「どこへ向かわれますか?」

「ヴィテプスクへ!」


従者の問い掛けに、ボリスが答える。

アンドレイの息子はさっさと馬に乗り、東に向かって駆け出していた――



「グレヴィ様! 撤退です!」

「わ、分かった」


リャザンの陣営は予測済み。

鎧を纏ったワルフは後陣に指示を伝えると、大将を選りすぐった馬に乗せ、自身は馬橇で南東へと向かった。


馬に任せる道中で、ワルフは背後を覗く。

スモレンスクの陣営も、同様の撤退行動を起こしているようだった――


「どこへ行く?」

「追手は来ないでしょう。カルーガに」

「遠くないか?」

「ヴィテプスクは豪族たちが。スモレンスクに向かえばロマン様を頼ることになります。対等な立場を維持しましょう」


幸いにして糧食は積んでいる。

不安を覗かせるグレヴィに、馬橇の御者となったワルフは未来を見据えて訴えた――



明るい時間の高揚はなんだったのか…

中団に陣を構えたスーズダリ。前衛を務めた豪族たちは容易に逃げる事を許されず、惨烈を極めた。


疲労で思うように動けない。

闇雲に外へ飛び出すも、逃げる先が見つからない。

軽装の市民軍は、孵化したカマキリのように湧き出してくる。


遂には逃走を諦めて、振り返って降伏の意思を示す者が現れた。

なんの戯言か。怒りに猛った穂先は容赦なく赤い鮮血を求めた――


やがて市民軍は幕舎に群がって、武器と糧食を奪ってから勝利を誇るべく、侵略軍の異物を焼き払った――



東から南へと、散り散りとなった者たちは、朝の極寒を迎える頃には空腹にも襲われた。


更には馬を駆った追手が西からやってくる。

彼らが狙うは個人の所有物。

敗者は慈悲を求めて両手を天に掲げるも、身ぐるみを剝がされて、雪の大地に裸となって捨てられた。


ノヴゴロドの南はイリメニ湖。

暗闇を走った土地勘の無い者たちは、朝になって広大な雪原を認めると、自ら動くことを放棄した――


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