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小さな国だった物語~  作者: よち


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181/249

【181.詭弁】

12世紀ルーシ / 描写地.勢力図

挿絵(By みてみん)

「負けた!? なんで?」


ワルフからの一報が、トゥーラの王妃に届いた。


「伝染病で、馬が斃れたと…」

「……」


予想外の理由が尚書からやってきて、リアの口元は半開きのまま動かなくなった。


「…それで?」

「馬の融通を頼まれました」

「それは…構わないけど…トゥーラ(ここ)にいる頭数なんて、知れてるわよ?」

「合流場所はカルーガです。恐らくは、最悪を想定しているのかと…」

「…分かった」


元気な馬がいる。ワルフの思惑をリアは受け容れた。


カルーガの北には氷結したオカ川が在る。

リャザンの勢力圏に急いで退いて、他国の干渉は受けないつもりなのだ。


「リャザンに早馬を! オカ川を下って、カルーガへ直接行くようにと!」

「はい」


グレヴィやワルフといった重鎮ならいざ知らず、馬を無くした従士たちは飢えと寒さに苦しむに違いない。

人道支援であると割り切って、リアは糧食を積んだ馬橇の援助をラッセルに命じた。


「カルーガか…」


同時に養父(ルシード)の顔が浮かんだ。


ヴァティチの地。カルーガは中立地帯。夏場は水辺の宿場町として人が行き交うが、馬を豊富に扱っている訳では無い。

食料の貯蔵はしていても、リャザンの兵士を賄えるとは思えない。


「どうするのかな…」


個人的理由で周辺の部族を頼るまではしないだろう。


お手並み拝見。そんな意識を含みつつ、トゥーラの王妃は窓から覗く西の曇天を見やった――



「恩を売って損はない」


カルーガの族長ルシードは、躊躇いなく援助をするようヴァティチの森の中を触れ回った。


ヴァティチの北はスーズダリ。西はスモレンスクと接している。

好戦的なスーズダリの動きに不安を宿していた族長たちは、ルシードの提案を受け入れた――



「トゥーラ、及びカルーガから、馬が送られてきました!」

「何!? トゥーラ?」


ノヴゴロドの国境付近。援助の声を受けたのは、スモレンスクの陣営である。

領主を送り出したあと。因縁の地名を耳にして、撤退中のベインズは思わず声を発した。


「リャザンと共に退いているのかと、送って来たようです」

「こちらへは来ていない。北へ向かわせろ!」


自軍は土地勘もある。対してリャザンは3倍以上の距離がある。

苦慮しているのは向こうだろうと、長身の将軍は援助を断った。


「……」


それにしても…ベインズは訝った。

退却を決して三日目である。

トゥーラの連中は敗退を見越して早々に馬を送ったというのか? 疫病を予測して?


いくら頭脳を回しても、ベインズは自分なりの解答にすら辿り着けなかった――



真相は()()である。


ヴァティチは土着の民。故に情報収集に長けている。

戦況の変化と異常を察した彼らは昼夜に渡って早馬を継いだのだ――


トゥーラの名を入れたのは、ルシードの思考。

育てた娘を慮って、両国の結束を促したのだ――


「まったく…敵わないな」


後日。一連の動きを知ったトゥーラの王妃は、養父の行動力に感謝した――



退却中のリャザンの陣営に、南からはヴァティチ。翌日には氷結したドニエプル川に着いたところでトゥーラからの援助が届いた。


「助かりましたね…」


更にはリャザンからの救援がやってくる。

トゥーラから派遣されたメルクの報告に、リャザンの第一王子とワルフは安堵の握手を交わした。


「トゥーラには、助けられてばかりだな…」


3年前。小国の独立を尚書から提案されて、最初は渋い顔をした。

仮に認めなかったら、今頃どうなっていただろうか…


グレヴィは紅茶の入ったマグを左手に、馬橇の上で寛ぎながら曇天の厚い灰色を見上げた――



一方で、逃げ遅れたスーズダリの軍勢には悲惨が待っていた。


ヴィテプスクは豪族たちの領地に近い。

スーズダリ大公の息子や軍司令官ボリスが歓待を受ける中、従士たちは城壁の外で吹雪に晒された。


「畜生。俺たちが戦場に居る時も、アンドレイは酒を貪って、「ああしろ、こうしろ」って言うだけだ……」

「俺たちは、どうせ駒なんだよ……」

「おい! しっかりしろよ!」

「だめだ……寝る……」

「おい寝るな!」


餓えて動けなくなり、そのまま凍死する者が多数。

ある者は敬虔なキリスト教徒でありながら、大斎の精進期間にも拘らず、馬を屠って食料とした――




「上々の結果ですか?」


トゥーラ城の最上階。いつもの席に向かい合って座る国王夫妻を前にして、ラッセルが口を開いた。


赤子のアレッタは暖炉の近く。新造した梁から垂れ下がる、新品の麻布に支えられて揺れている。


「暫くは、大人しくなると思うけど…どうかしらね」


スーズダリの軍事力を削って、宗主国(リャザン)はスモレンスクとの結び付きを強くした。

思惑通り… ではあるのだが、リアの心中は穏やかではなかった。


民衆に負けたスーズダリ。

事実を霧に隠すため、北方からは「我々はノヴゴロドに試練を与えたのだ」 との声が届いている。


試練を与える為に、極寒の雪原に点々と自国の民の屍を散らしたというのか。


詭弁は真実より早く大地を駆ける。

理不尽な憎悪は蓄積されて、増幅し、より強固な意志となって何処かに放たれる。


聖書。歴史書。抒情詩の数々。

人々が記してきた労苦の多くは意志であり、幾つかは後世のため。


受け継いだ彼女が曇るのは、それらを正しく受け取っている証左であった――


「終わった訳じゃ、無いもんね」

「うん…」


軍を送って跳ね返された。真実はそれだけである。

理解するロイズは、伴侶の言葉を補足した。



救援に向かったメルクはリャザンにまで付き添って、馬橇に医薬品や糧食を積んで意気揚々と戻って来た。リャザン公グレプからは直接感謝を伝えられ、思わぬ名誉に小柄な男は顔を真っ赤にして恐縮したらしい。

話を従士から聞いた時、ロイズはカチカチに固まって歩みを進めるメルクの姿が浮かんだ。


同時にスモレンスクから感謝の手紙が三通届いた。

送り主はロマン公。先の戦いで捕虜となった武人。加えて伴侶に恋慕を捧げていた男である。


ロイズは受け取ったうちの一通を従士に戻すと、世話になった友人からだと一言添えて、王妃の側仕えに渡すよう命じた――


二つの文面は、どちらも感謝を表すものだった。

ロマン公からは形式通りの簡素な一文が届けられ、ブランヒルからは補足する形で事の経緯が記されていた。


「それでも、スモレンスクとの関係は良くなったよね?」

「そうね…」


改善には違いない。しかしながら、正面からは不服の心が発せられた。


「……」


憂いを残す王妃を前にして、ラッセルはいつか届けた懸念を思い起こした。


白と黒が存在し、白に向かって手を伸ばす――


その道中に於いても、彼女は白色を求めるのだろうか…


人の心は朧である。

異色に染まった純白は、戻ることは決して無いのだ――




スモレンスクの石畳の大広場。

平らに積もった雪を店舗の庇の下に置かれた丸テーブルで眺めながら、常連の3名はノヴゴロドから戻ったベインズを慰めていた。


「お疲れさん」


陶器のマグを掲げると、ブランヒルは右側に座る主役のマグにワインを注いだ。


「ほんと、疲れましたよ…」


疲労困憊。両肘をテーブルに置き、ベインズは頭を落としてしみじみと口を開いた。


「それだけの働きはしたんだろ? ロマン様も労ってくれたんだ」

「そりゃ『次の戦いで暴れるが良い』 って言ってくれましたよ? でも、結果は負けですよ…」

「俺はそう思わないけどな。大局を見れば、大きな転換点になるんじゃないか?」


落ち込む長身の弟分を、筋肉質のブランヒルが慰めた。

スーズダリ大公アンドレイの影響が薄まることは必至で、領主はキエフ大公への歩みに戻る事ができるのだ。


「武勲ってのは、女を持ち帰ったり、街に火を付けたりじゃ無いんだよ。考え直せ」

「はあ? こっちは命を張ってんだ。収穫ナシで帰れるかよ!」


好戦的な姿勢を保つのは、長らく守勢で生きた故。

鹵獲品を得意気に分配できるのは、いつでも先頭に立って突入していった者なのだ――


お前らは散々やってきたんだろ。

諭すような発言に、ベインズは妬みの感情を吐き出して、童顔に鋭い視線を預けた。


「キエフで充分やっただろ」

「まだ、一回だよ」

「じゃあ、何回やれば満足するんだよ…」


短く吐いて、マグの中身を喉に流し込む長身の男を眺めると、カプスは溜息交じりに呟いた。


「言っときますけどね、俺の心は変わってませんからね!」


空になったマグを机に叩き落とすと、ベインズは頬を染めながら白状をした。


「何のことだよ…」

「トゥーラですよ! 二人とも、あれから変わったでしょ!」

「……まあな」


悪びれることなく、兄貴分が認めた。


「そりゃそうだろ。ロマン様の方針が変わったんだ。茂みの中だったキエフへ続く道が見えてきた。東を見てる場合じゃ無いんだよ」

「……」

「お前、そんなことも分かってなかったのか?」


続けてブランヒルが理由を語ると、カプスが上から目線で揶揄った。


「う、うるせえな! どうせお前は手出し出来ないだろ! あの女が居るんだからな!」

「……あの女?」

「あ…」


強く出たベインズの背後から、小さな赤髪の女の子が無機質な声を発した。


「だれのこと?」

「……」


イツカラソコニ?

顔だけが振り向いて、ベインズの動きが止まった。


「いやいや、あの女ってのは、ニーナちゃんのことで…」


ソーセージの盛り合わせを運んできた少女に身体を向けて、長身の男は腰から曲がって弁明をした。


「……」


細い両脚は揃ったままで、ニーナは一言も発することなく顎を引いて頬を膨らませると、背中まで伸びた赤い髪を翻した。


「ちょっと? ニーナちゃん?」


注文品が遠ざかっていく。

10メートルも離れると、そのまま右に曲がって店舗の中へと姿を消してしまった。


カプスが椅子を鳴らして立ち上がる。

早足となって追い掛けて、開いたままの店舗の敷居を跨ぐと、10分ほど経ってから戻ってきた。


「誤解は解けたか?」

「いやあ…どうでしょうね…」

「すまん…」


長身の男が小さく頭を下げると、カプスは取り返したソーセージの盛り合わせをテーブルの中心にことりと置いた。


脂が吹き出して、白い湯気が勢いよく上がっている。

店主の気遣いだろうか。普段より、一本多く載っていた――


お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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