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小さな国だった物語~  作者: よち


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179/249

【179.ノヴゴロド攻防戦①】

1170年2月。

スーズダリ大公アンドレイがノヴゴロドへ軍を派遣する一方で、前キエフ大公ムスチスラフは返り咲きを狙ってキエフへ軍を進めた――


結果としてキエフはアンドレイの弟グレープが勝利して、彼の地は戦禍を再び被ることを免れた。(*173-174話参照)

ルーシの起源。ノヴゴロドを守るのは、前キエフ大公ムスチスラフの息子ロマンである。


若干20歳。大公の息子としてノヴゴロドの公に就いた彼は、表立って何かを為すことは無かった。


根付いた自治制度。

争いや諍い。外交の問題が生じると鐘が鳴り、聖ソフィア大聖堂の前で民会が開かれる――


民会の場にロマンが足を運ぶことは無い。

市長官ヤクンが議長となって意見を取りまとめ、ロマンは結論を認めるだけであった。


円滑に回っている組織の上に立つ者としての振る舞いは上々で、市井の人々に愛された。

波止場へ立ち寄って貿易品を眺めたり、酒場に姿を現して冗談交じりに民会の過程を探ったり――

関心は示しながら、支える立場に徹したのだ――



2月22日。ノヴゴロドからはロマンとヤクン。スーズダリからは軍司令官ボリスが城市内の教会に赴いて、形ばかりの交渉を行った。


周囲の豪族を引き連れて、遠征軍は待ったなし。

それでも交渉の時間を割いたのは、軍を率いるムスチスラフが侵攻後の治世を憂いたからである――


ボリスが提示した条件は、金品の供出とこれからの徴税権。

連れてきた軍勢に対する褒美とアンドレイの意向を容れる形で、当然の要求であった。


力を前にして、それでも対話を持ちかける。

無力な行いだと理解をしながらも、ロマンとヤクンは粘り強く交渉を続けた。


理由の一つは条件の緩和。

徴税は翌年からとして、金品供与はどれほどか。いちいち民会に諮問(しもん)してノヴゴロド市民の声明とした――


他方では、軍備の増強を行った。

アンドレイが徴税を行えば、利益が減ってしまう。交易商人は最新の武器を安価で譲り、盾や鎧は譲渡した。


「ヤクン様! 大変です!」


初日の交渉後、昼下がり。軍備の視察に訪れた市長官を、獣医が呼び止めた。


「多くの馬が、病に罹っております!」

「なに!?」


慌てて馬房へ飛び込むと、白濁のぬるっとした鼻汁が流れ出て、息遣いの荒い馬ばかりとなっていた。


「くそっ。こんな時に…」


馬インフルエンザ。死に至る事は少ないが、急速に広まる厄介な病である。

籠城戦を見込んでいるとはいえ、攻勢の手段が封じられるのは痛手であった。


「動ける馬を集めろ!」


ヤクンは獣医と馬房を管理する者に命じると、続いて交易商人の元へと向かった――



その夜のこと。

商人たちは酒や金。陶器や毛皮などの交易品を馬車に詰め込むと、侵略軍の下へと赴いた。


「ノヴゴロドを焼いたとしても、私達には危害が及ばぬように…」


彼らの背後には、東ローマ帝国やイスラムの国家が座している。

大陸の西側と懇意にしている商人を殺めたら、新たな紛争と成りかねない。


代表を努める者が頭を下げると、ムスチスラフは当然であると受諾した。


総大将の元から離れると、商人たちはスモレンスク公ロマンの幕舎へ。続いてリャザンの陣営に。更にはムーロムや地方の豪族の元へも足を運んで、せめて三日だけ。私たちが帰国の途に就くまでは待機くださいと、頭を下げて回った—―



商人の根回しが効いたのか、形だけの交渉は三日にわたって続けられた。


ボリスはムスチスラフの意向を受けて、あくまでも議論は尽くしたと周知させるため。

一方のヤクンは商人の安全を見届ける。例えノヴゴロドが焼かれても、再起を図る手段を残すために時間を使った。


途中で戦列に加わった豪族たちは、黙っていた訳では無い。

ノヴゴロドに与する城市や村を焼き払い、普段通りに男を殺し、女子供は縛り上げ、財産と家畜を奪って回った――



2月25日。水曜日。

神の審判を仰ぐ日が訪れて、日の出と共にスーズダリの軍勢がノヴゴロドに向かった。


威風堂々とした騎兵の横陣で、中央に並び立つのはアンドレイの息子と軍司令官のボリスである。

中団に鼻息の荒い豪族を従えて、スモレンスクとリャザンの軍勢は後方から威容に加わっていた。


「焼き尽くせ!」


水を得たなんとやら。自身の居場所であるとばかりに、ボリスが駆け出した。

待ってましたと多数の馬体が風に乗り、蹄が大地を踏み荒らした。


「来たぞ!」

「ああ……神よ。私に、明日を与えてください……」

「祈りなんて後だ! 行くぞ!」


ノヴゴロドの人民も、武器を持つ。


投石器からの砲弾と、最新の強弩軍。

城市を囲った木柵は、目論み通りに人馬の脚を鈍くした。



「ワルフ、このままでいいのか?」


あからさまな後方待機。

リャザンを率いるグレヴィは、右側で泰然としている恰幅の良い軍師に不安をぶつけた。


「構いません。前が柵を破ったら、形ばかりの突撃をして下さい」

「わ、分かった」


楔を打つ――


ワルフの頭には、リアの発言がこびり付いている。

すなわちスーズダリの弱体化。侵略軍の陣容に在りながら、彼は敵陣(ノヴゴロド)の健闘すら願っていた。


「……」


左を窺うと、スモレンスクの軍勢も待機を決め込んでいる。


<馬を並べるだけで良いんじゃない?>


下手な協定など結んでは、不審を招くだけ。

リアの発言が、ワルフの脳内で蘇った。


「まったく…」


敵わないな…

認めたくはない。男は続く言葉を吞み込んだ――




分厚い雲の向こう側。太陽が頂を捉えると、戦況は大きく傾いた。

城市を囲った木柵は破られて、レンガ造りの城壁には幾つもの梯子が掛けられた。


ノヴゴロドの軍勢は市民軍。

数は多くとも、戦い慣れている訳では無い。

城壁を越えてくる侵略者に狙いを定めても、放った矢羽は届かない。或いは明後日の方向に飛んでいく――


「くそっ」


日頃の狩りでは上々の結果を残せても、今の立場は狩られる側。


焦りと恐怖で手が震え、とある男は矢羽根を弓に宛がうことさえ出来なかった――


「どんどん運べ!」


それでも投石器は威力を発揮した。

狙いを定める必要がない。砲弾となる石やレンガを運び込み、闇雲に射出できれば良いのだ。


垂れ込める低い雲を背景にして、黒い塊はノヴゴロドの城市から外側に向かってのみ放たれた。


「ぐあっ!」


しかしながら、午後に入ると城壁の上に取り付いた弓兵が、都市城門付近の投石兵に狙いを絞った。

来たるべき城門突破の瞬間に、屍を築いて自らが土塁となるのを防ぐ為である。



「強弩隊くらいは、出すとするか…」


全く加勢しない訳にもいかぬだろう。


戦況を馬橇の御者となって眺めていたスモレンスクの領主は、長身の将軍(ベインズ)に声を掛けると、離れた位置から城壁内を狙うよう指示をした。


「ロマン公が動きましたね…」


左の軍勢が、強弩を抱えて奥へと移動する。どうやら西側から援護をするらしい。


「こちらも、同じように動きましょう」


年長者の意図を汲んだリャザンの軍師は、強弩隊を東側へと派遣した――



「俺たちの自由を守れ!」


ノヴゴロドの市民は交渉の末、キエフ大公から自治権を勝ち取った歴史がある。

侵略者(アンドレイ)の思い通りにさせてなるものかと、士気は(すこぶ)る高かった。


男は弓と投石器。女が後方支援。子供が物資の補給――


市民は事前に決めた役割分担を、忠実に守って防衛に徹した――


「ねえ、なんでこんなことになってるの?」


矢羽根を抱えて走る男児と女児。

前を走る背中に女の子が混乱の中で尋ねた。


「アンドレイが、俺たちを殺しに来るからだよ!」

「……なんで?」

「なんでって……そんなの、わかんねえよ! わかんねえけど、暴力(あいつら)を恐れたら、俺たちは奴隷だ!」


息を切らしながらも、男の子は精一杯の思いを口にした――


「おい! お前たち、戻れ!」

「え?」


城壁で戦う大人たちの姿が覗いたところで、二人は意外な声を耳にした。


「城門が破られた! 子供たちは、教会へ避難しろ!」

「…え?」


足を止めると、白い息が広がった。

その向こうには都市城門。津波のような喧噪が、二人の鼓膜を大きく揺らした――


街には至る所に防護柵が設けられている。

城門突破が即ち敗北を意味する訳では無い。


脚の止まった人馬を屠る役目を担うのは、後方支援の任を解かれた女と男児の役目であった。


止まった馬体を狙うのは、難しくない。

普段から夫と狩りを嗜む中年女性は、震えながら、それでも出番が来たとばかりに家屋の窓から弓を構えた。

槍を手にした女と少年たちも、路地裏に隠れて手足を震わせながら、大丈夫と励まし合っていた――


少女は戦力外。しかしながら、絶対に守るべき対象。


未来を担う一番手は、彼女たちなのだ――



「ぐあぅ」

「くそ!」


都市城門付近の攻防は、肛門から汚物が捻り出されるようにして、やがて城内に染み渡る水のように広がっていった。


騎兵だけではない。鎧を纏った槍兵が防御柵を排除して、戦いに不慣れな住民を次々に屠ってゆく。

恐怖に圧された市民は足を竦ませて、一人が逃げ出すと堰を切ったように身体を翻した――


「よし、俺たちも行くぞ!」


飛び込んだ騎兵が遠くまで駆けるのを見届けると、蹂躙の機会が訪れる。

侵略軍の総大将ムスチスラフは、城門の外側で槍を持った右手を高々と掲げた。


先陣を切った烏合の豪族軍は、好き勝手に市場や家屋を荒らしている。


目に入った男を突き殺し、女は値踏みしてから突き刺して、子供は川で魚を追い掛けるようにして捕まえた。


「ママ! お兄ちゃん!」


息絶えた身体に向かって手を伸ばす。

小さな女の子は侵略者となった男の肩の上で、無力な叫びを繰り返した――

お読みいただきありがとうございました。

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