【171.仇敵手】
【主な登場人物】
リア トゥーラの王妃。宗主国リャザンに滞在中、娘を出産。
マルマ トゥーラの侍女。リアに憧れを抱く。
エフェミア リャザン滞在中の側仕え。9歳。
ワルフ リャザンの高官。リアの幼馴染。
1169年。初冬の初雪は、北からの風に泳いだ粉雪であった――
「そなたとの語らいは、楽しかった」
「ありがとうございます。幾つかの無礼。お許しください」
出立の日。
赤子を抱えたリアがリャザン公を訪ねた。
「それは確かに…そなたは、ワルフ以上であったな」
臆することのない会話には、度肝を抜かれた。
「それでも、咎められることはありませんでした。だからこそ、話せたのです」
「そうか…」
「はい。居心地の良い場所に共に居る者が、味方だとは限りません。耳を傾ける姿勢が無ければ、善言であっても、語る者は居なくなるでしょう」
「そうだな…」
玉座から立ち上がったグレプが右手を差し出すと、リアも右手を差し出して、一時の別れを惜しんだ――
次いでトゥーラの王妃はリャザン公妃に別れの挨拶を済ますと、二人の従士とエフェミアを従えて、都市城門へと歩いた。
「いろいろあったけど、楽しかったです」
マルマが声を弾ませる。
およそ八か月の滞在は充実したもので、彼女を大いに刺激した。
「私の教育が、良かったからですよ?」
別れの感傷を排除して、エフェミアが自賛した。
言葉遣いに歩き方。
リャザンに着いた翌日から、マルマの背後には師匠となった小さな側仕えがピッタリと張り付いて、猫背になろうものなら叱咤がすかさず飛んできた。
<私はリア様の側仕え。リャザンに仕える訳じゃない!>
友達のような間柄。苦言も殆どないことは、望みの姿の筈なのだ――
過剰な指導に不満が募るころ、マルマはリャザンの公妃とすれ違った。
「……」
思わず背筋が伸びた。嫌でも意識せざるを得なかった。
目にした事は無い。それでも漂う気品と風格は、絶対に公妃であると告げていた—―
会釈を忘れたマルマは、途端に丸い顔を赤くした。
側仕えの振る舞いは、主の評価を左右するのだ――
「そうね。ありがとうね…」
「……」
笑みの浮かんだ丸顔が向けられると、小さな侍女の心に悲しみが湧き出した。
「感謝なんて、しないで下さいよ…」
「……」
両手を丸にして、エフェミアは目元を塞いだ。
「リャザンに居場所が無かったら、いつでもいらっしゃい」
「はい…」
振り向いて、トゥーラの王妃が導を贈ると、彼女は擦れた涙声でありがとうを伝えた――
「じゃあ、また」
「うん…」
リャザンの都市城門。
上目遣いのリアを前にして、ワルフが別れの声を送った。
簡単な挨拶となったのは、前夜、お互いの心を開いたからである――
「リア、良いか?」
夜の帳が降りてから、ワルフは客間を尋ねると、暖炉前のテーブルを挟んでリアと向かい合った。
「余計なことを…と、思っているか?」
「……」
先ずは意思の疎通。
リャザンの重臣として、属国との関係を確認しようと考えた。
「後悔…しているか?」
「それは大丈夫。色々あったけどね…」
「そうか…」
ワルフは安堵した。
4年前。
リアがリャザンにやってきて、彼は意識して様子を窺った。
漁師に混じって干物を抱えて戻ってきたり、子供たちと遊んでいたり、朝市では果実を手にして店主と談笑していたり…
楽しそうな姿が、微笑ましい――
しかしながら、それらは彼が望む想い人の姿では無かった――
役職を与えようと案じるも、女であるが故に推挙の機会は巡らない。
自身の側仕え、或いは伴侶として迎えたならば、願望に届くのか…
そんな想いも巡ったが、拒絶されるのは明白である――
結果、ロイズの背中に隠れる形ではあったが、リアが表舞台に立てるよう、トゥーラへの赴任をリャザン公に進言したのだ――
「リャザンに居たら、今ごろ退屈だったかもね…」
「それに、トゥーラが灰になっていたかもしれないしな…」
「そうね…」
マルマやライラ。女中頭のアンジェ。彼女の夫であるグレン将軍…
自負するわけでは無いが、リャザンにやってきてトゥーラに赴いたからこそ、出会えた命。救った命があったのかもしれない――
「俺はな、お前を推挙したかったんだ」
「…知ってる。ウチの尚書が、そんなこと言ってたわ」
やりとりは、春先の戦いのあと、同盟調印式の一件である。
ワルフの発言を、溜め息交じりにリアが受け容れた。
「本当は、一緒になりたかったんだけどな…」
「……」
「あ、いや…」
思わず本音が飛び出して、ワルフは口ごもった。
「あー、うん。俺はな…お前が好きだった。 …気付いてた…とは思うけども…」
「うん…なんとなくは…」
初恋の告白は、意外な形で行われた――
彼がリアを知ったのは、15歳の頃。
族長の家に女の子がやってきたと見に行くと、赤みの入った髪の毛が目を惹いた。
ぴょんぴょんと跳ねるように動き回って、快活な声を耳にした。
「悪魔の子かもしれないよ…」(*)
敬虔なキリスト教徒の母親は、邪険を隠す事なく呟いた。
ユダやカインの末裔。災いを齎す悪魔の生まれ変わり…
子供たちの間でも、異端者を遠ざける意識が働いた。
当然ながら、一緒に付いて回る男の子も含めて――
三日後、ワルフは族長の家にお使いに出向いた。
「あ…」
扉が開いて現れたのは、赤毛の女の子だった。
上目遣いに思わず視線を逸らすと、左手に持った丸パンが目に入った。
「食べる?」
察してか、女の子は丸パンを力任せに千切ると、大きな方を胸の前に差し出してくれた。
「あ、うん…」
思わず、受け取った。
帰り道。当惑と、温かな気持ちになってパンを齧った――
翌日のこと。
ワルフは小枝を拾って戻る途中、オカ川に向かって水切りで遊んでいる二人の姿を目に入れた。
「おい、悪魔が来てんぞ!」
「追い払え!」
そんなところに、同年代の4人組。
一人が囃すと、周りが飛びついた。
土くれの大地。
緑が残る初冬の川べりは、小石を探すのにも苦労する。
「あ…」
集めた小石を一人が掬い上げると、オカ川に向かって投網を放るようにばら撒いた――
「おい、悪魔の子! お前が居ると、災いが起こるんだよ! 出ていけよ!」
「……」
突然の出来事に、言葉を失くす。
ぐずり始めるか、泣き叫ぶのか。それとも逃げ出すか――
4人組は固まって、二人の反応を見極めた――
「悪魔って…なに?」
「……」
俯いてから、女の子は呟いた。そして――
「お母さんは、悪魔じゃないもん!」
「……」
「ルシードさんは、助けてくれた! ルシードさんは、悪魔なの!?」
「……」
顔を上げ、疑問を口にして、納得のいく答えを求めた――
「あ…いや…」
族長の名前が飛び出して、少年たちは不安になった。
「私が悪魔だったら、あなたたちだって悪魔でしょ!」
「……」
腑に落ちた。彼らの所業…
ワルフは本質を抉っていると思った――
「う、うるせえ!」
少年たちは、お決まりの捨て台詞を吐いてその場を後にした――
リアの表情を目で追うようになったのは、それからである――
「結局、ロイズには勝てなかったな…」
「……」
暖炉の前。ワルフが呟くと、リアが俯瞰の視線を送った――
「なんだ?」
気付いたワルフが、発言を促した。
「勝ち負け…じゃないと思うんだけど…」
「どういう意味だ?」
「ロイズが居なくても…あなたを選ぶことは…無かった…と思う…」
「……」
はっきりと、フッた。 ハッキリと、フラれた…
残酷なのか、慈悲なのか…
しかしながら、自惚れていた一人の男が、衝撃を食らったことは確かであった――
「あなたはきっと、私の手を取って、引っ張ってくれるんでしょ?」
リアが訊く。
「まあ…そうかもな…」
「でもね。あの人は、一緒に歩いてくれるのよ…」
「…………」
彼女が望む姿とは――
耳に届いた言の葉に、ワルフの心は切り裂かれた――
「……」
緑の大地。
小さくなっていく馬車の姿を、ワルフは忸怩たる思いで見送った――
恋の仇敵主は、自分自身――
至らなかった己と、伝え辛かった事を話してくれた幼馴染に感謝して――
*悪魔の子
キリストを裏切ったユダ、アベルを殺したカイン(人類最初の殺人者)が赤毛であったと伝えられ、
信徒にとって、赤髪は不吉なものであり、侮蔑の対象であった。
お読みいただきありがとうございました。
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