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小さな国だった物語~  作者: よち


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144/218

【144.リャザン公国へ】

西から舞い注ぐ小雪の中、3人を乗せた馬橇は雪原を進んでいた。


「オカ川が、見えてきましたよ」


高台を越えると、眼下に雄大な流れに沿った白い蛇行の道が現れて、瞳を見開いた人馬は思わず総ての足をその場に留めた。


「迎えが来るようです」


真っ白な水面を、3つの黒い豆粒が右へと動いている。


ライエルが声を発すると、豆粒の一つが引き返していった――


「向こうも、気付いたようですね」


白に覆われた大地で動きが有ったなら、遠くを認識することは難しくない。

ポツンと現れた黒点に、リャザンの監視兵が到着を知らせに城へと向かった――



「ようこそ。リャザンへ」


オカ川の上を滑る3人を乗せた馬橇を出迎えたのは、リャザンの上級士官デディレツであった。


泡のような顎髭を拵えた中年の男は、黒鹿毛の馬体から滑り降りると、白い大地に右膝を落とすと同時に右手を胸にして、恭しく頭を下げた。


「デディレツさん、お久しぶりです」


馬橇の御者だったライエルが駆け出して、デディレツの前で片膝となった。


「ライエルか。大きくなったな。母上は元気か?」

「はい」


久しぶりの再会を喜ぶと、デディレツはスッと立ち上がり、二人の女性が残っている馬橇の方へと足を進めた。


「トゥーラの王妃様。お初にお目にかかります。リャザンにて、グレプ公に仕えております。デディレツと申します」


白い雪に再び右膝を接した律儀な男は、宗主国の上級士官でありながら、属国の王妃に改めて頭を下げた。


「あ、あの…私じゃありません! 王妃様はこちらで…」


目の前で突然膝を屈して伏し目となった男性に、マルマが思わず声を発した。


「え? あ、これは大変失礼を…」


慌てたデディレツは立ち上がり、馬橇の左側へと改めて足を進めようとした。


毛布に包まって震えている小さなミノムシよりも、顔を上げて二人の所作に瞳を寄せる好奇心旺盛な女性に足が向かうのは、自然な流れである。


「あ、あの、お城に戻ってからにしませんか?」


顎を上げたマルマが、咄嗟に声を掛ける。


馬橇の中で震える小さな両手を、彼女は自身の両手で包み込み、励ましながら温めていたのだ――


「デディレツ様、先ずは確たる安全を、優先いたしましょう」

「…そうだな、それでは、城まで先導いたします」


デディレツは美将軍の声に振り向いてから、改めて王妃の方へと瞳を向けた。


「……」


視界だけは確保した、ぐるぐるに巻いた麻布の下。青くなった唇はカタカタと震えるばかりである。


身体を窄めて極寒に耐える小さな王妃は、デディレツの怪訝な眼差しを受け取ると、頭をコクコクと上下に揺らしてみせるのだった――




「トゥーラの王妃様が、到着致しました!」


伝令からの一報を耳にして、恰幅の良い身体を椅子から立ち上げたのは、リャザン城で一人だけ、リアの少女だった頃を知るワルフであった。


「手筈通り、城門近くの民家にお通しするように! 暖炉で部屋を暖めて、白湯と毛布を用意しろ!」


カルーガで同じ空気を吸っていた頃も、雪が降りだすと出不精になった。

二つの網籠を携えたロイズが林の中で、ねぼすけの分も小枝を拾っていたのを思い出す――


「絶対に、風邪などひかせてはならんぞ!」


リャザンの高官とトゥーラの王妃。

自らが描いた絵図の立場となって、リアと会う――


本来ならば、(たかぶ)る心を抑えられない場面であったが、彼の心は負い目に苛まれていた――



リャザンの都市城門を潜って指定された石造りの家屋に通されると、暖かな空気が一行を出迎えた。


「うー、しぬ…」


滾る炎に飛び込む勢いで暖炉の前に足を運ぶと、小さな王妃は両手を翳して心の声を漏らした。


「暫くは、こちらでお休み下さい。後ほど、ワルフ殿が来ますので」

「わかりました。ありがとうございます」


デディレツが任務の終了を伝えると、ライエルが快く応じた。


「案内、ご苦労様でした」


続いて頭巾を被ったままのマルマが頭を下げて感謝を伝えると、暖炉の前で背中を丸めていた王妃がスッと膝を伸ばして立ち上がった。


「デディレツさん」

「はい」


ぐるぐるに巻いて目元だけが覗いていた頭巾を剥ぎ取りながら足を進めた王妃は、露わになった癖のある赤みの入った髪の毛を背中に回した。


「暫く、御厄介になります。トゥーラへのご配慮、感謝しております。今後とも、よろしくお願いいたします」


続いて泡のような顎髭を蓄えたデディレツを見上げて誠実に言葉を並べた後で、スッと頭を沈めた。


「あ、これはどうも…一昨年まではリャザンに住んでいたと伺っております。どうぞ、ご自由にお過ごしください」


小さな身体は毛布に包まれたままであったが、白い頬と大きな瞳。可愛らしい顔が現れて、リャザンの上級士官は思わず真顔になった。


「ありがとうございます」


琥珀色の瞳を覗かせて、小さな白い手指がデディレツの前に差し出された。


「ご覧の通り、私たちは3人で伺いました。警護やその他のご配慮、お願いいたします」


トゥーラの王妃が改めて大事を伝えると、デディレツの太い手指がリアの手のひらを包み隠した。


「畏まりました。お任せください」


馬橇の上。置物となっていた数時間前とは全く違う。

レンガ造りの民家の空気を、外交の場へと様変わりさせた王妃の存在感に、宗主国の上級士官は快く要望を受け入れた。


そしてもう一人。


青い瞳に彼女を映したライエルも、記憶に残っている容姿が突然に現れて、思わず身体を固めるのだった――



「マルマ、ライエルと散歩でもしてらっしゃい」

「え?」

「ライエル、マルマにリャザンの案内をしてあげて」

「畏まりました」


デディレツの姿が扉の向こうに消えるのを待ってからリアが命じると、マルマが思わず口を開いた。


「リア様は、ご一緒されないのですか?」

「行くわけないでしょ」


赤みの入った髪を揺らしながら、王妃は暖炉の前へと足を戻した。


続いて木組みの椅子に腰を下ろし、両足を包んでいた麻布を剥ぎ取ると、白い素足を暖炉の方へと投げ出した。


「はい…」


外へ出る気は無いらしい。


寂しそうに呟くと、マルマは玄関扉の前で目鼻の整った顔立ちを覗かせる男に促され、寒空の下へと身体を移した――



コンコンコン


右手に持った樫の棒を暖炉に突っ込んで、温もりを調整していた王妃の耳に、玄関の方から扉を叩く音がやってきた。


「入っていいわよ」


木製の扉が内側に開くと、外からの光の上部以外を遮断する、恰幅の良い男が室内に足を踏み入れた。


「ワルフ、また太った?」

「……」


初恋を捧げた幼馴染の第一声は、想像通りのものだった。


絶句を表現されたら言葉に詰まると恐れていたが、彼女の方から声を掛けられて、ワルフの心は幾らかの安堵に包まれた。


「どうしたの?」

「……」


彼女が立ち上がる。

暖炉の明かりを背景にして、赤みの入った髪に囲まれた白く愛らしい表情に、彼の瞳はどうしたって動かなくなっていた。


リャザン城の2階から、彼女を乗せた幌馬車が都市城門を抜けていくのを眺めてから14か月。


手紙のやりとりで動向は認めるも、文字を追っては彼女の尊い姿を想って心が軋んだ――


「あ、その、久しぶり…」

「うん」


アレッタの上目遣いが近寄って、ぎこちない声を絞り出した。

手を伸ばしたら触れる距離に在るという何度も描いた瞬間は、何年ぶりのことだろうか――


「触っていい?」


蓄えた脂肪があっても、圧力は感じるのだ。

赤みの入った髪の毛の頭頂部が覗くと、折れそうな人差し指が腹部を(つつ)いた。


了承を伝える前に触れてくる無邪気さに、ワルフの胸中では困惑と温もりとが混ざり合うのだった――


「ワルフがトゥーラに来たら、間違いなく一番のデブね」

「……」


辛辣な発言も、彼女らしい。


いつか狼になろうと心に決めるも、無防備に、まるで妹のように近付いてくる。


信頼されているのだろう…


胸には霞が生じるも、彼女が描く距離感は嫌いではなかった――


「アレッタ…その…ごめん」

「ん?」


唐突に謝罪を発すると、琥珀色の大きな瞳がワルフに向けられた。


「いや、その…リャザンに呼んじゃって…」


歓迎の心情と後ろめたい気持ちが重なって、彼の両手は腰の辺りで漂っていた。


「何か、事情があるんでしょ?」

「え?」

「違うの?」

「うん…まあ…詳しい話は、グレプ公とジミルヴィチ様を交えた席で…」

「そうね。分かった」


暖炉から離れた事で身震いをして、トゥーラの王妃は足を戻した。


「ここは、アレッタの為に用意したんだよ。客室は城に用意してあるから、落ち着いたら移動して」

「え? ここで良いわよ」

「そういう訳にはいかないよ…」


ワルフは足を進めることなく困惑を表した。


「明日にでも、会談の席を設けるから、移動すること!」

「はい…」


右の人差し指を向けると、絶対だよ。寒いからって拒否するなよ。と加えてから、ワルフは玄関扉の向こう側へと恰幅の良い身体を滑らせた――


(変わってないな…)


兄のように慕っているのは確かである。


安堵の一息を吐き出して、トゥーラの王妃は新たな薪を暖炉の中へと放り込んだ――

お読みいただきありがとうございました。

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