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小さな国だった物語~  作者: よち


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118/218

【118.研修】

カルーガの村を発って、三日が経った。


「見えてきたぞ!」


西側の地平線。ぽつんとした異物のように映る、スモレンスクの都市城壁の姿を捉えると、数日前までトゥーラの捕虜だった者たちに歓喜の笑顔が広がった――


「とりあえず、行ってくる」

「お願いします」


馬を駆るのは、ブランヒルだけである。

スモレンスク公国とを繋ぐ使者として、トゥーラから貸与されたのだ。


高い鼻をしたダイルの声を受け取ると、ブランヒルは単騎で祖国へと急いだ――


「……」


ドニエプル川の澄んだ流れが視界に入ると、向こう岸にも続く草原で、右腕を上げて何やら遠くに合図を送っている騎兵の姿が目に入った。


「トゥーラから、戻った者だな!?」


川の手前でブランヒルが馬を止めると、上流と下流からそれぞれ騎兵が1名ずつ加わって、憲兵隊の赤い腕章を右腕に巻いた中央の男が確認の声を叫んだ。


「副将を務めていた、ブランヒルだ」


憲兵隊のお出ましに、不穏な空気を察したブランヒルは、落ち着いて声を返した。


「後ろに見える者で、全部か!?」

「…ああ。俺を含めて、43名だ」


向こう岸の男がふたたび声を発すると、ブランヒルが後ろを振り返ってから質問に答えた。


林を抜けて、なだらかな下りを歩む仲間の姿からは、祖国をようやく視界に入れて、やれやれといった感情が見て取れた。


「あの者たちを、待つ事にしよう。その間に、渡河の準備を」

「は」


憲兵が命じると、左右の衛兵がそれぞれに馬を返して、城へと駆け出した――


「バイリー将軍が亡くなったというのは、本当ですか!?」


大地を蹴り進む人馬の音が消え去ると、憲兵隊の男が下馬をして、ひざ丈以上に成長を果たした、青草の茂る川べりへと足を進めながら、困惑の声を発した。


「ん? ああ…」


突然の問いかけに、ブランヒルは短い相槌を返した。


「遺体は無いが、恐らくは…」

「そうですか…」

「配下に、居たのか?」

「初陣が、将軍の元でした!」

「そうか…」


末端の兵士までを気遣う、尊敬できる上司であった。


戦場の空気に慣らすため、度胸試しの慣例だと笑いながら新参兵に先陣を切らせる将兵が多い中、彼は必ず初陣の者を二列目に配置して、先陣には経験者を配置した――


「初陣なんて、緊張でガチガチだ。俺でもそうだった。つまらん理由で大将軍になる奴が死んだりしてみろ。大損害だ。そうだろ?」

「まあ、そうですね…」

「一回でも戦場を経験した奴は、後ろで緊張に震えてる奴らを、責任を持って引っ張っていこうとするんだ。前回の自分だからな。そうやって、兵士として成長させていくんだよ」

「……」


数年前の、西側での戦線の話である。

副将として迎える初めての実戦で、バイリー将軍の下に就いたブランヒルが兵の配置について尋ねると、剃り上げた頭皮を太陽の光に当てながら、得意気な表情で意図するところを語ってくれた――


兵を預かることが、どういった事なのか――


将兵の一員となったブランヒルは、トゥーラの大地で図らずも命を落とした将軍から多くの事を学んだ。

いや、まだまだ、学ぶつもりであったのだ――


「副将には遠く及ばないでしょうが、残念です。必ずや、仇を取って下さい!」

「ん? ああ…」


憲兵隊に属していると、他人が居たなら強硬な態度で接する他ないのだろう。

そんな心情を慮りつつ、ブランヒルは沈んだ声を返した。


仇をとる…


一ヶ月前ならば、ごく自然な感情であったに違いない。


しかしながら、今となっては受けた恩を返さなくてはならない。


武人として。一人の人間として……


(それも、ひとつの考え方だな)


大地に眠る上司は、そんなふうに認めてくれるだろうか――


「ところで、後ろの者が着くまでに、スモレンスクの内情を話しておきます」


一方で、ブランヒルは使者でもある。

乾いた初秋の風が頬を撫でる中、水際まで進んできた憲兵が、時間を惜しむように次なる声を送った――


「……」


語られた内情は、ブランヒルの想定外のものだった。


敗戦の事実を隠すため、兵の殆どの損失は、訓練中の事故によるものだと周知徹底させろと言うのである。

つまりは、命を賭して戦った事実は無かったことにしろ―― というわけだ。


「渡河を終えたら、口裏を合わせる為の研修を行います。全員が等しく共有できるまで、城門を潜ることはできません」

「……」


決定された国家の意思が降り注いで、ブランヒルは絶句するしかなかった――



やがて捕虜となっていた一団が川岸に寄せると同時に、城の方からも憲兵隊の率いる荷馬車がやってきて、渡河を助けると、続いて西側に林立する白樺の林の手前で、野営の準備を粛々と始めた。


「おいおい。ここまで来て、なんで野営なんだよ!」


荷馬車に負傷兵を乗せたなら、城へと小一時間で辿り着く。

焚火の準備をしている二人の憲兵へと歩み寄った長身のベインズが、強い不満を吐き出した。

赤い腕章の畏怖というものは、ブランヒルと同じ副将の肩書を持つこの男には通じないらしい。


「すまないが、今からは勉強の時間だ」

「は? 勉強?」


背後から声が掛かってベインズが振り向くと、エンジ色の服に身を包み、襟元に金銀の宝飾をあしらった彫りの深い顔立ちの男が近付いてきた。

右腕には赤い腕章を巻いていて、がっしりとした体つきは軍隊経験を匂わせる。


「宰相エリクセン、前宰相フリュヒト様の指示により迎えに来た、デクランだ。ブランヒルには、話を通してある」

「あ、ああ…」


スッと右手を差し出して、デクランが握手を求めた。


40代半ばの風格漂う男。

新旧二人の宰相の名前を出されては、流石にベインズも怒りの感情を(すぼ)めるしかなかった――



「今から、戦況の確認を行う!」


捕虜であった一団が麻布で覆われた天幕の下に集められると、開口一番、川のほとりで最初にブランヒルを認めた憲兵が、最初の威勢が肝心と、力強い声を発した。


「お前らは、落とし穴という敵の計略に嵌り、捕らえられた。間違いないか!?」

「いや、俺たちは…」

「間違いないか!?」

「……」


耳に届いた問いかけにダイルが異議を唱えるも、赤い腕章の威圧の声が、問答無用で消し去った。


そこで一同は、天幕の四方に屹立する憲兵隊の意図というものを、嫌でも認識したのである――



冷気を孕んだ初秋の空気は、近くで待機をしている冬の存在を思わせる。

夜を迎えた天幕の外側で、四方に篝火が焚かれると、捕虜だった一団に仄かな温もりが伝わった。


「先に戻った奴らも、同じことをやらされたのか?」

「まあ、そうだろうな…」


祖国に戻って訪れたのは、口裏を合わせる為の研修。

ばかばかしいといった口調と沈んだ声が、一団を囲った麻色の天幕を揺らした。


「じゃあ、俺たちが埋めたのは、誰なんだよ!」


胡坐をかいて車座となった4人から、一人が憤りを吐き出した。


「バイリー将軍の最期を伝える事もできねえ! 仲間だってそうだ。子供になんて報告すんだよ!」

「おい、静かにしろ」


傍らで寝転がっていた長身の副将が、苛立った感情を口にした。


「すみません…」

「そうは言いますけどね。やりきれないですよ!」


仲間の一人が謝罪を起こすも、男は変わらずに胸の内を訴えた。


洗脳(それ)が戻る条件なんだろ? どうすんだよ。逃げ出すのか?」

「……」

「逃げらんねえよ。周りを見てみろ」

「……」


姿勢は変わらずに、ベインズが促した。


薄い天幕の向こう側。四方で燃える篝火の隣には、確かに人影が窺える――


「まあ、先に入った奴らがそれなりにやってるから、俺たちにも同じようにするんだろ」


天幕の一辺の中央で、臀部を冷たい土に置き、片膝を立ててこの場の空気を探っていたブランヒルが、改めて状況を表した。


「いまさら、俺達が何を話したところで、塗り替わる事は無いかもな」

「……」


続けると、義憤に駆られた男に賛する雰囲気を、抑えるようにと呟いた。


本当を語ろうと、世間は多数を評価する。

そうなれば、噂の方が誠となる――


当事者だけが真実を知ろうとも、伝える手段を講じなければ、やがて風化する。


伝えようとする気概に対しては心身や精神に訴えて。伝える行為に対しては物理的な手段によって潰されるのだ――


それでも、抗う心は続くのだろうか…

続ける事が、できるのだろうか…


「もう一度、攻め込め(やれ)って事ですよ」


のそっと起き上がったベインズが、結論の言葉を口にした。


恐れられていた狼が、ウサギに敗れ去ったと世間が知ったなら、沽券に関わる。


結局のところ、トゥーラを奪うという任務は、継続しているのだ。



目標という大きな旗印―—

或いは多数へと縋る心に、抗うという小さな(ともしび)は小さくなってゆく。


そうした一方向の圧力は、やがて掲げる理想の名の下に、身勝手な手段へと変換されていくのである――

お読みいただきありがとうございました。

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