三月三十一日 日中
それは、昔の物語。
異国の兵隊さんに恋をした村の娘の物語。
兵隊さんの子を孕んだ娘は庄屋の一人娘。
生まれた子供は美しい黄金の髪の娘で、それは異国人の証。
子供と共に、娘は勘当された。
娘は子供を連れ異国人と異国に渡りそこで暮らした。
子供は母と同じ美しい娘となり、その土地の青年と恋に落ちた。
だが、その異国で革命が起こり、父母に恋人を失って、母の故郷に帰ってきた。
そのお腹には青年の子種が宿っており、庄屋はその娘を座敷牢に監禁して暮らさせた。
その娘も、母と同じ黄金色の髪の娘を産んだ。
彼女は母ゆずりの金髪を隠す為に、母と同じ様に座敷牢に入れられた。
彼女が眺めるのは、座敷牢から見える月のみ。
母はそんな彼女に、異国の月の言葉、瑠菜と名づけられたという。
四月三十一日。晴れ。
瀬戸内の海の色が空にも移ったらしく、空も澄み切った海色で静かに広がっていた。
「さて、瑠菜にあれだけ単科を切った以上、何をするべきか……」
家を出ると、綾乃が待ち構えていた。
機嫌は、すこぶる悪い。
だって、澄み切った空も、美しい瀬戸内の海も、綾乃の周りの嫉妬に引いてるし。
「誰のせいだと思う?
ねぇ、幸弘?」
訂正。もの凄く怖い。
「やぁ、おはよう。綾乃。
今日も綺麗だね」
世辞を言ってみた。
「うん。そうね。
その言葉、昨日か明日にもう一度聞きたいな」
やばい。もの凄く怒ってる。根に持ってる。
「さて、とりあえず昔の事を調べようと思う」
とりあえず置いておく事にする。
このまま蛇に睨まれた蛙のように時間を浪費する事だけは避けたかったし、時間は今日一日しか無いのだから。
「昔の事か……
残っているのうちと幸弘の所ぐらいしかないし、うちの蔵から漁ってみる?」
綾乃の家は古くから農家をやっていた事もあり、農作業具を収納する納戸や米を収納する土蔵が残っていたりする。
「とりあえずそこからかな。
分からなかったら、役場の資料室にでも行くさ」
勝手知ったる綾乃の家に入り、納戸の扉を開ける。
「で、何から調べるの?」
「とりあえずは、昔の日記とかないかな。
あの容姿で新聞に写っていたなら、きっと話題になっていたと思うから」
「わかった」
がさがさと漁りだす俺達二人が目的の物を見つけ出す事ができたのは昼前だった。
真面目な話、見つかるとも思っていなかったのだが。
「これ、そうじゃない?」
綾乃が箱の中から取り出したノート数冊を見せ、ぱらぱらとめくる。
見ると一冊のノートにびっしりと書かれている文字。
一ページ目に日記と書いているから間違いがないだろう。
「……読めないわね」
「ちゃんと古文勉強しておくんだったな……」
なんだか知らない漢字もあるし。悪筆なのか文字が波うっているし。
「とりあえず、日付で当たってみよう。
昭和二十年三月を探そう」
「私、辞典持ってくる」
更に二時間後、瑠菜らしい記述を見つけた。
「やっぱりあったか」
あの姿、あの着物で写っていたのだから、おそらく身分は高い家の人間と当たりはつけていたが庄屋の縁者だったとは。
外国と戦争をやっていた時に、外国人の血が色濃く混ざっている娘がいるなんて知れたら庄屋も捕まるかもしれない。
必死でその存在を隠したのだろう。けど、そんな隠し子の事は皆知っていてこうして影口を叩いていた訳だ。
なんだか、人間のどす黒い汚れた所を見るようでいやだ。
「あった。
昭和二十年三月三十一日。
……出征?」
その言葉の意味が分からぬ俺達は辞典で調べ、その意味に呆然とする。
しゅっ―せい【出征】
[名]軍隊に加わって戦地に行くこと。「学徒が―する」「―軍人」
辞書を見ていた俺達二人が固まる。
つまり、あの写真は瑠菜の思い人が戦争に行く写真だったのだ。
おそらく、存在を隠された瑠菜もその思い人を見送りに来たのだろう。
で、その人は帰らなかった。
地縛霊になる理由とすれば十分な理由だろう。
「じゃあ、後は役場の資料室に聞いてこの時に出征した人を探せば……」
「ああ、瑠菜の思い人が分かるはずだ」
解決の糸口が見えたので俺も瑠菜の声も明るい。
役場に向かう前に、菜月駅で佇む瑠菜にその事を話した。
「はむはむ……
そっか、私は誰かを待っていたんだ……」
差し入れのじゃこ天を食べながら妖しげな発音で瑠菜は感想を言う。
「なんか、人事よね」
「待ちすぎて忘れたみたいなのよね。
長い間待ってて、その待つ事が目的になっちゃって、気づいてみたら二人に見えなかったらそのまま解けて消えていたのかも知れないわね」
達観しているというか、なんというか。
まぁ、話より舌の上のじゃこ天に心捕らわれているという可能性も無くは無いが。
「これから二人で役場に行ってくる。
多分、瑠菜の思い人が分かると思う。
俺達にできるのはそこまでだ」
そう。
俺達にできるのはこれ位の事。
瑠菜が成仏できるかまでガキの俺達ではどうにもできないのがもどかしい。
「二人ともありがとうね」
そんな俺達の気持ちを分かった上で、瑠菜は俺達に頭を下げたのだった。
役場に着いて資料室に話をして、昭和二十年三月三十一日の出征者を探してもらう。
「えっと、三月三十一日、菜月からの出征者は一人ですね」
役場の人は、資料を俺達に見せてその人物の名前を告げた。
「篠塚忠幸。
出征後、終戦により帰国とありますね」
その名前は俺の爺様の名前だった。
私を生んだ母がすぐ亡くなると、この座敷牢が私の世界の全てでした。
私がその人を知ったのは座敷牢の窓から漏れる月明りの夜の事。
月しか見ることができなかったその窓に映っていたのは人の顔。
それは、この地に来て閉じ込められた私にとってはじめての他人でした。
だから、その人が来るのが嬉しくて、その人が来るのを待ちわびている私自身の変化に驚きました。
その感情を恋と呼ぶ人を私は持っていなかったのでした。
月日がめぐり、外が少しずつ戦争に彩られた時、座敷牢で暮らしていた私は病魔に犯されました。
弱ってゆく体を治癒する薬も手に入らず、出来る事は座敷牢の中の蒲団でただ窓の眺めるだけ。
そして、会いに来てくれる彼とお話しする事が私の全てでした。
彼が時々持ってきてくれるじゃこ天という食べ物は美味しく、私の好物になりました。
ある日、彼から彼の出征を聞かされました。
戦争の事は良く分かりませんが、私の前から彼が消える事が悲しくて、けどその悲しい姿を彼に見せるのがいやなので、笑って、
「待っているから、帰ってきてね」
と伝えたのでした。
出生の日、母の着物を着て彼を見送ろうと病魔を押して外に出ました。
不治の病らしく、体は中々いう事を聞かず、そんな状況を家の人は知っていたので座敷牢にはもう鍵がかけられていなかったのです。
空一面に広がる青空、日の光を浴びて輝く瀬戸内海、暖かい海風が海岸の菜の花を揺らしています。
初めて、私は世界を知ったのでした。
一歩、一歩前へ。
彼が出征する菜月駅へゆっくり歩いてゆきます。
駅には多くの人が集まっていましたが私の事は皆知っているらしく、話しかけられることも
無いかわりに誰も関わろうともしません。
彼が多くの人に囲まれて列車に乗り込むのが見えます。
一瞬だけ、彼がこっちを見て私に笑いかけてくれました。
うれしかった。
声を出して見送ろうと思いましたが、病魔に犯された体は声を出す事ができません。
精一杯の笑みで笑って見送りました。
列車がゆっくりと菜月駅からはなれてゆきます。
それをホームの端で見送った後、私は倒れました。
連れ戻されて、座敷牢の中で息を引き取ったのですが、それは些細な事。
私の人生は、あの時、菜月駅のホームで彼の乗った列車を見送った時に終わっていたのですから。
たいした事ない、どこにでもあるおはなし。
その約束に捕らわれて、夜をさまよう羽目になった幽霊の話。




