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三月三十一日 夕方から夜

 夕方、役場から帰る俺達の足は重かった。


「嫌よ」


 急に止まった綾乃がぽつりと呟く。


「嫌よ!

 絶対に嫌だからね!

 幸弘は絶対に渡さないんだからね!」


 泣きながら俺に叫ぶ綾乃の顔は不安でいっぱいだった。

 瑠菜の思い人は俺の爺様だった。

 出征して、戦争が終わって帰ってみたら瑠菜はもう死んでいた。

 その後、婆ちゃんと結婚した爺様は菜月駅の前で食堂を開き、母が生まれて間もなく無くなった。

 母も結婚して俺という爺様に良く似た子供を生んだ。

 かんちがいでは済まされない、かんちがい。

 瑠菜は俺の爺様を待っていた。

 そこに、爺様に似た俺がやってきた。

 そう。

 瑠菜が出てきたのは俺のせいだった。


「私だって、瑠菜さんの気持ち分かるよ。

 けど、やっと幸弘に告白したんだよ!

 まだ幸弘から答え聞いてないんだよ!」


 嗚咽をかみ殺しながら綾乃は俺に向かって口を開く。


「行かないよね?

 幸弘は瑠菜さんの所に行かないよね?」


 それは、このまま時間を過ごして、瑠菜と会わないという事。

 瑠菜が消えるであろうあと数時間、家に帰らずに瑠菜が何も知らずに一人消えてゆくのを黙認しようという言葉。


「だって不安なの!

 瑠菜さん綺麗だし、胸大きいし、大人だし!

 私だと勝てないよ!

 幸弘取られちゃうよ!」


 この三日間、我慢していた綾乃の不安がどっと吹き出るのを俺は呆然と眺めていた。

 こんなにも不安な綾乃を見るのは初めてだった。

 いつも綾乃が側にいるのがこんなに居心地のいいものだと認識したのもこの三日間の事だった。

 そして、綾乃は俺よりはるか先に大人になっている。

 だから俺を選んだ上で告白したのだ。


「ずっと側に居たい」


と。

 そんな綾乃をはじめて幼馴染ではなく、女性として愛しいと思った。


「ぁ……」


 そんな言葉が俺の胸に抱かれた綾乃の声から漏れる。

 頭を撫でながら、綾乃に優しく囁く。


「俺は何処にも行かないよ。綾乃。

 まだ、お前への返事してないだろう?

 ちゃんと終わらせて、それからお前に返事をするから待っててくれないかな」


 抱きしめて、頭を撫でつつける事十五分。

 綾乃は泣きはらした顔で、小さく頷いたのだった。



 菜月駅の最終電車は午後九時とはやい。

 まぁ、明日廃線になる事もあって、駅にその勇姿を見ようと数人の客がいたりとそれなりににぎわっている。

 最終電車の汽笛が鳴る。

 一両しかない最終電車が菜月駅を去り、それを見に来た人も去り、この駅はその使命を終えた。

 この三日間の最後の舞台に相応しい。

 景色はもとに戻っていた。

 美しい星空、揺れる菜の花、優しく響く波音。

 俺はベンチに腰掛け、そんな菜月駅の日常をただ見つめていた。

 無人駅の電灯を見ているとこの三日間が幻のように思える。

 ジャンバーにあたる風は涼しく、そして優しく俺を包み込んでくれる。

 俺は缶コーヒーを二つ買い、改めてベンチに座りなおす。

 ジーンズの下からベンチの冷たい感触が伝わってくる。

 萎びた草が線路の回りに生え、踊るように揺れている。

 どのぐらい時間が経ったのだろう。

 ホームに敷かれた砂利を踏みしめる音が、俺の時間をまた動かす。

 不思議なもので、見てもいないのに誰だか分かる。


「おまたせ。瑠菜」


「おまたせしました。

 で、私の正体わかった?」


「ああ」


 俺は立ち上がり、瑠菜の方に向きなおす。


「瑠菜が待っていたのは俺の爺様だったよ」


 調べた事をすべて話した。

 瑠菜の事、俺の爺様の事。

 その全てを瑠菜はただ黙って聞いていた。


「そっか……

 待てなかったのは私だったのか……」


 寂しそうに笑った瑠菜の口からそんな言葉が聞こえた。


「ねぇ、この三日間楽しかった?」


 多少上目使いに瑠菜が尋ねる。


「ああ。楽しかった。

 で、聞きたいのだけど、これからどうする?」


 瑠菜に私が問いなおす。

 瑠菜は笑いながら答えを教えてくれた。


「さぁ、どうしましょう?」


 波は優しくリズムを刻み、かける言葉はワルツのように踊る。

 多分、爺様とこんなやりとりをしていたのだろう。

 不意に分かる。


「はは……

 そっか。そんなことだったか」


 何で俺はここから出て行きたかったのかという事を。

 自分自身への別れ。大人になるという通過点への抵抗。

 俺自身がガキだという事を本当に思い知らされる。

 瑠菜も綾乃ももう大人だったのに俺はガキでいることに固執していたわけだ。

 そんな俺を瑠菜はきょとんとして見つめている。


「どうしたの?

 不意に笑い出して?」


「いや、俺がガキだって事さ」


 だから、男としてこの三日間のけりをつけないといけない。

 改めて瑠菜に尋ねる。


「瑠菜、どうする?

 このまま消えるのを待つかい?」


 静寂が淡い光と共にその場を支配した。

 二人とも動かない。いや、動けない。

 瑠奈は私の答えを待っている。私は瑠奈の答えを待っている。

 知っているはずなのに。大切にしていたはずなのに。

 どうして言葉が出ないのだろう。

 ほんの一瞬なのか、それともかなり長い時間が流れたのか分からない。

 静かに瑠奈が口を開く。


「私ね、寂しかったの。

 私だけ一人だったから。

 誰も私に振り向いてくれない。

 そんな私に声をかけてくれた貴方が好きでした」


 それだけが言いたくて、瑠菜は待ち続けたのだった。

 だから、それに答えを出すのは爺さんの血を引く俺の責任でもある。


「ごめんなさい」


 頭を下げた俺に、瑠菜は頭に手を置いてぼやく。


「あーあ。

 結構、自信あったんだけどな。

 理由は聞いていいわよね?」


 振られたのに楽しそうに笑いながら俺に尋ねる瑠菜は本当に綺麗だった。


「好きな人がいるんだ。

 長い付き合いで、凶暴で、何考えているのか分からなくて、けどほおって置けなくて。

 そいつと知り合ってなかったら、OKしていたんだけどね」


「彼女、胸無いわよ」


 俺の痛いところを容赦なく突く瑠菜はわざとらしく胸を揺らして尋ねてくる。


「発展途上だから期待するしかないな」


「あはは」


 そんな取りとめのない話の中、瑠菜はゆっくりと俺を見つめた。


「これで、シンデレラの時間はおしまい」


 時計はただ静かに零時を指し、瑠菜は楽しそうににっこりと笑った。


「行くのか?」


「うん。長い間迷子になっていたけど、あの人待っていると思うの」


 婆ちゃんとあの世で修羅場をするんだろうなと思うと、乾いた笑いしか出てこない。


「ありがとう。付き合ってくれて」


 そう言った彼女の笑顔は、本当に美しかった。

 幽霊なんてどうでもいい、全てを吹っ切れた一人の女の笑顔は。


「爺さんによろしく言ってくれ」


 強い海風が菜の花を揺らし、瑠菜の金髪と艶やかな振袖を揺らす。

 もう走る列車も無いのに汽笛が聞こえる。

 菜月駅に向かってくるのは瑠菜が生きていた時の汽車だった。


「お迎えが来たみたい」


「だな」


 ゆっくりとホームに汽車がすべりこむ。

 中には誰も乗っていなかった。


「もう化けて出てくるなよ」

「うーん、ちょっとだけ未練があったりするのよ」

「何だよ、残った未練って」

「じゃこ天。美味しかったから」


 俺はそんな瑠奈の笑顔が忘れられそうになかった。


「爺様に作ってもらえ。

 うちの食堂の名物じゃこ天は爺様が最初だ」


 それで、三日前のあの台詞に繋がるわけだ。

 瑠菜が汽車に乗ると汽笛の音が鳴る。


「さよなら」


 瑠奈が閉まった扉の前で手を振る。


「さよなら」 


 俺も手を振る。

 動きだした汽車の窓からはもう瑠奈の姿は見えない。

 汽車が動き出した時に一陣の風が吹き、その風が収まった時にはもう汽車の姿は消えていた。

 最初から、存在しなかったのように。




「ここ、あいてるかな?」


 どれ程の時が経ったか、ベンチに座っていた俺の後ろから綾乃の声が聞こえた。

 答えを言う前に、綾乃は俺の隣に座る。

 パジャマ姿で、風呂上りの髪がシャンプーの香りを海風に運ばせる。


「瑠菜、行ったの?」


 瑠菜に渡すつもりだった缶コーヒーを綾乃に渡し、俺も蓋をあけて缶コーヒーを飲む。


「ああ。あの世で修羅場に勝って来るって」

「何だか、勝ちそうだからいやよね」


 缶コーヒーを持ったまま綾乃が曖昧そうに苦笑する。


「立場上両方応援できないから、爺さんが両方に迫られて右往左往している姿を笑ってやる事しかできないな」


「とってもいい性格しているよね。幸弘って」


 ジト目で睨みながら呆れる綾乃をほおっておいて、俺はただ月を見つめる。


「ねぇ、幸弘。ちょっといいかな?」


 綾乃の方を向くわけでもなく、その沈黙が肯定と捕らえた綾乃も同じ様に月を眺める。


「瑠菜が帰ったら、返事を聞かせてくれるんだよね?」


 その先の言葉も予想がついているのだが、瑠菜を振った手前、綾乃の口を封じるわけにもいかない。


「幼馴染で、いつも迷惑かけて、けどあぶなっかしくて、気になって仕方ない人。

 さっきまで、地縛霊に取り付かれかけて、彼が取られちゃうと思った」 


 俺の顔は真っ赤になっているだろう。

 多分、綾乃も真っ赤なんだろう。


「何度も言うわ。

 好きよ。幸弘が好き」


 だから、そんな言葉が聞こえてきてもその言葉に口を挟むのができなくて。


「俺もだ」 


 と、小さく答える事しかできず、けど、その呟きを綾乃の耳はちゃんと聞こえていたらしく、目から涙を流して喜んでいたり。

 そんな状況でただ二人で月を見るのがとても嬉しくて。


 この時間がずっと続けばいいのにと柄にも無く願ってしまった。




 季節は巡り、俺も綾乃も大人になっても、この菜月海岸は相変わらず寂れたままだった。

 綾乃がドライブインでじゃこ天をあげながら、俺は裏山の畑で精を出すという日々。

 菜月海岸線はそのまま朽ちてゆくに任せていたが、菜月駅は俺と綾乃が掃除をしてあの時のままにしている。

 その後、寂れた海岸にある廃駅に幽霊が出るという噂が立った。

 その幽霊は恋人をくっ付けるのが好きで、菜の花が咲き誇る月の夜に和服姿で現れるそうだ。

 そして幽霊を見た恋人達はその後必ず修羅場を経て、本当に愛し合っているのなら必ずくっつくとか何とか。

 俺の酒飲み話から尾びれがついたこの話のおかげで、春先にはカップルが廃駅で愛を語らうという謎な観行名所となりドライブインの売り上げに貢献しているのだから世の中分からない。


「パパー!

 ママがお昼ご飯だってー!」


 ぴこぴこツインテールを揺らして幼稚園児が俺に向かって駆けてくる。


「ああ、今行く!

 瑠菜!」


 菜の花が揺れる。

 ドライブインからエプロンをつけた綾乃がでてくる。

 色々な努力な結果、瑠菜には適わないが誇れる胸になっているのは、俺にとって嬉しい午餐だったりする。

 波の音、青い空、菜の花。

 そんな変わらない春の日、かつて三日間だけ出た幽霊はもう出る事はないだろう。




瑠菜と綾乃と俺の三日間  終

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