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三月三十日 夜

「おかえり~」


 あ、こいつがいるの忘れてた。


「じ、じゃあ、私、先に帰るね!

 また明日!」


「あ、あぁ、また明日な。綾乃」


 不自然に慌てて駆け去る綾乃の後ろ姿を眺めたまま瑠菜が首をかしげる。


「何かあったの?」


「な、何も。

 あ、これ、おみあげ」


 瑠菜に街で買ったみかん味のタルトを手渡すと、瑠菜に思いっきり抱きつかれる。


「ありがとう!幸弘!

 お礼に枕元で感謝の言葉を朝まで……」


「いや、いいから」


 そして、俺は喜ぶ瑠菜を置いて菜月駅を後にした。


 何で俺は出て行きたかったのか?

 そう改めて問われると答えに困るが、俺はここから出て行きたかった。

 とはいえ、家は継ぎたいし綾乃ともこれまでの関係は壊したくなかった。

 はっきり意識したのは姫南高校に進む事を決めた時。

 両親は俺の決定を認めてくれた。

 綾乃が一緒に姫南高校を受ける事を決めたのは想定外だったのだが。

 ふと、手が自分の唇を無意識に触っている事に気づく。

 綾乃が俺に好意を持っているのは知っていたが、それを勧めようとは思わなかった。

 恋愛に興味がない訳ではないが、友達感覚で付き合える今の関係が気持ち良かったのもある。

 不意に思い出す、観覧車の景色。

 その茜色の空に彩られた菜月海岸が何となく懐かしく感じた。


「そうか。

 ただ、一人で違う景色を見たかったのかもしれないな」


 けど、その選択をしたのは俺だ。

 綾乃はそれに答えているに過ぎない。

 けど、俺はまだ答えを出していない……

 気づいたらまた深夜に起きていた。

 何気にジャンバーを羽織って瑠菜の元に行く。


「お、いたいた。

 またお月見か?」


「一緒に見る?

 今夜も月が綺麗よ」


 瑠菜がベンチを叩き、俺はその叩いた場所に腰掛ける。


「今日、街に行って、瑠菜の事を調べた。

 爺さんの時代の写真にあんたが写っていたよ」


 その言葉にきょとんとしたまま瑠菜は笑った。


「へぇ。

 私って昔の人間なんだ」


 その割にはかなり言葉とか現代人ちっくなのだがまぁ、幽霊だからという事で深く突っ込まない事にする。


「正直、感慨が湧かないのよ。

 ずっとこの地で『うらめしや~』とやっていたならまた別でしょうけど」


「この地の地縛霊じゃないのか?」


「そうよ。

 けど、私、意識があるの昨日からだから」


「え?」


 瑠菜のとんでもない一言についていけずに呆然とする俺に気づかずに瑠菜は淡々と己の現状を伝える。


「この地に縛られているのは分かる。

 で、誰かを待っているのも分かるの。

 けど、何て今になって出てきたのかは分からないわ」


 まぁ、元々地縛霊という突拍子の無いものの前提に推測するのだから、これぐらいの非常識は仕方ないのかもしれない。


「けど、明日にはこの駅にもう列車は来なくなるのに」


 伝えたくは無かったが、俺はその事を口にした。


「そっか……」


 なんとなく自覚はあった声で、瑠菜は寂しそうに笑った。


「案外、この駅が無くなるから出てきたのかもしれないわね『菜月駅をなくさないでくれ』って駅の願いなのかも」


 だとしたら、俺に何もできる事は無い。


「そんなに、暗い顔をしないでよ。

 私は、明日で最後だとしても、あなたたちに会えた事に感謝しているんだから」


 頷き、金髪ツインテールが揺れる姿は、自分に言い聞かせるようにも見えた。


「で、昨日の質問の答えは?」


 にやりと笑う瑠菜を俺は無視しようとしたが、にやにやと俺を見続けている金髪ツインテール和服美少女の視線に耐え切れずに、答えを口にした。


「ただ、違う景色が見たかった。それだけだ」


「旅人ってそんなものかもしれないわね」


 以外に簡単な答えなのが気に食わないらしいが、心の奥底の悩みが複雑なものなんてノイローゼと呼ばれるだろう。


「けど、いいな」 


 不意に聞こえた瑠菜の声。


「そんな答えを選ぶだけの時間がある。

 それがうらやましいと思っただけよ」


 楽しそうに笑う瑠菜の声は長い年月を耐え続けた老人のような重さがあった。


「美しい景色よね」


 俺は瑠菜の独り言に口を挟む事ができない。


「空には輝く月に星、海風に揺れる菜の花に静かに響く潮騒の音」


 瑠菜は視野の世界をとても楽しそうに眺める。


「だけど、そこから出たかった。

 どんなに美しくても、違う世界が見たかった。

 私も、同じ事を思っていたとしたら、信じる?」


 女性は卑怯だ。

 どうして、俺の琴線に触れるような顔で、声で、答えを引き出そうとするんだろう?


「案外、瑠菜がここにいるのはここから出たかったのかも知れないな。

 お前、列車には乗れたのか?」


 瑠菜は黙って首を振った。

 あてのない確信。

 瑠菜の時間はあと一日、この菜月駅が駅である時間まで。


「なぁ、瑠菜」


 だからこそ声をかけた。


「お前はどうしたい?」


 この変わらない美しい景色に入ってきた瑠菜という存在。


「どうって……」


 俺以上に長く捕らわれたであろう瑠菜に俺自身を重ねていた。


「ガキができる事は限られている。

 時間も多分明日だけだ。

 それでも瑠菜が望むなら」


 一度口を閉じて、決意と共にその言葉を口にした。


「俺は瑠菜を助けたいと思う」


 その言葉に最初瑠菜はきょとんとし、肩と金髪ツインテールを震わせて笑った。


「何言っているのよ!」


 けど、その顔は真っ赤で、


「できもしないくせに!

 私を助けるって?」


 目からこぼれる雫がホームに落ちて跳ね、


「私はいつまで待っていればいいの!」


 瑠奈の声は大きかった。

 驚いた俺を見て、元の音量に戻る瑠奈。


「幸せにはなりたい。

 だけど、一人はもうたくさんなの」


 そういって口を閉ざす瑠奈は切なそうな、痛そうな表情を私に見せていた。

 これが瑠奈自身の思い。

 ここまで大きく、そして執着する思いは何なのだろう?

 それを尋ねる前に瑠菜が先に口を開いた。


「やっぱり、覚えていないのよ。

 凄く大切な事だったのに、思い出せないの」


 そのまま瑠菜は俺に抱きついた。


「……ありがとう」


 瑠菜の目に涙が光っていた気がしたが俺は見ない事にした。

 瑠菜が泣き止むまでの時間ずっと瑠菜の背をさすったがその感触は無く、まるで瑠菜が映画の3Dのように見えてしまった。



「綾乃。居るんだろう?」


 かまをかけただけだが、どうやら正解だったらしい。 

 俺の背後から怒気というか殺気が伝わっている。


「という訳だ。

 明日一日、瑠菜を助ける為に動こうと思う。

 その後、観覧車の上でのお前の問いに答えようと思う。どうだ?」


「……いじわる」


 綾乃の肯定の答えと受け取って俺は瑠菜から離れる。


「ねぇ、幸弘。

 貴方の事好きになっていい?」


 瑠菜の顔は涙をぬぐって笑った顔だったが、着物の下から悪魔のしっぽが俺には見えた。


「幸弘?

 私への問いに答える前に、浮気をするってのは、そういう事でいいのかな?」


 綾乃の声が低くなる。

 まるで鉈か包丁でも持っていそうな怖さで質問をするのはいかがなものか。

 その後の沈黙の数分間は、俺の今までの人生においてもっとも重く、怖く、重大な数分間となった。


「……いいわ。

 けど、幸弘は私のだからね」


 綾乃の言葉にほっとため息が漏れた。


「明日の答えを聞かないでそれが言えるなんてたいした自身よね」


 けど、何でだろう?

 まったく問題が解決していないような気がするのは。

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