第3話
さして広くも無い、質素な会議室の隅で、液晶テレビの画面の中だけが熱気にあふれていた。
音声は絞り気味だが、わざとらしいほど物々しい女性レポーターの甲高い声が、耳に障る。
『ごらんください、まだ煙がただよっているのが見えますでしょうか! 襲われたのは近所の保育園の送迎バスということですが、ヒーローズの迅速な対応により、園児たちは全員無事とのことです。現在、バスの運転手と、同乗していた保母の方に、警察による事情聴取が行われております。現場からは以上で……』
テレビの電源を手元のリモコンで切ると、彼女は黒い革張りのワーキングチェアに静かに背中を預けた。安物の長机を連ねた端の、その席の前には「社長」と書いた、古臭い三角錐が置いてある。
「今回も一般人に大きな被害を出さずに『任務失敗』できましたが……そろそろ、向こうも考えて動くようになってきましたね」
軽く首をかしげて、彼女は小さく溜め息をついた。綺麗にまとめて結い上げられた艶やかな黒髪が、すらりとしたそのうなじのラインをより華奢に見せる。グレイッシュ・ブルーのスーツに包まれた胸元は豊かに盛り上がって、清楚なたたずまいにアンバランスな艶を添えていた。
「連中が本当に欲しいのは、こちらの技術でしょうからね。いずれは秘密裡の接触も視野に入れているでしょう。今後の計画は、より慎重に、規模と場所を選ぶ必要があります。……国外の諜報機関も動き始めました」
彼女のそばに控えていた、ずんぐりとした体つきの巨漢が、険しい表情で答える。2メートル近い身長に加えてみっしりと筋肉の発達した体つきにも関わらず、どこかふっくらした肉付きの良さが、威圧感を抑えて、妙に愛嬌を感じさせる。
「では、次回から作戦ターゲットを二段階目に移行してください。候補は任せます。偵察は引き続き私に任せてくださいね。……それでうちの子たちは? みんな無事ですか?」
「野次馬に混じって全員無事に撤収、帰投しております」
「仮設トイレに偽装したスーツ解除装置、あっちこっちに置いておきましたからねー。何人か、着替えを用意していないうっかり者がいて、そのままストリーキングさせようかなーなんて思いましたけどー」
そういって面白そうに笑っているのは、少し離れた席で机に頬杖をついた青年だ。染めているにしては質のいい、明るい金髪を肩先まで伸ばしていて、語尾をのばす話し癖のせいもあり、軽薄そうな印象である。
「ガルー将軍に怪我は?」
「かすり傷ひとつありません。適合率の高さに加え、彼はもともとの格闘戦専門ですしね。ただ」
「ただ?」
「私やマシラが、せっかく怪しい語尾で怪人らしさを演出してきたんです。彼にも『やられたワン!』くらい言って欲しかったですな。普通に喋っていたのは、ずるい」
その台詞に、彼女は一瞬きょとんとした顔になった。少し怜悧すぎる美貌が、少女のようにあどけなくなる。
「あれ、……演出だったんですか?」
「今気づいたんですか、クイーン……いくら私らが変身したからって、あんな喋り方になりゃしませんよ……」
「クイーンだって『私はクイーン・ホーネットだビー!』とか言わないでしょーに」
巨漢とチャラ男の二人をまじまじと見比べたあと、ぱたり、と彼女は机の上に顔を伏せた。
その肩がふるふると小刻みに震えている。
「そこまで笑いますか?!」
「だ、だって……うくっ……ウッキーとか、クマーとか、おかしいとは……ぷっ……思って……ふふふっ」
「クイーンって時々マジ天然ですよね」
マシラと呼ばれた青年と巨漢は、深々と溜め息をついた。
ようやく彼女は笑いを収めて顔をあげたのは、狼頭の怪人が室内に入ってきてからだった。
「おかえりなさい、ガルー将軍。ご苦労様でした」
「ただいま戻りました、クイーン。……またマシラが何か言いましたか?」
一礼したあと、じろりとガルーは金髪の青年のほうを見た。
「君が怪人っぽさを演出しなかったって話。何あの棒読み台詞。それに最後は『やられたワン!』でシメなきゃだめじゃーん、怪人のたしなみとしては?」
「犬じゃねえのにワンはねえだろう。言えるかあんな阿呆くさい演出」
「私だって恥ずかしいの我慢して叫んでいたんだ……クマの鳴き声なんて判らないし」
ぼそりと、巨漢が遠い目をして呟くのに、狼怪人の耳が微妙に伏せ気味になる。
「そうしたらペドベアーとかロリコン熊とか、身に覚えの無い性癖がいつのまにかセットになって噂になってるんだよね……」
「い、いやー、何でだろうね! ネットは広大だわ…… ま、気にしないほうがいいよベーレン将軍、次回ちゃんと名乗ればいいんだよ! ほら、俺らは怪人名まだちゃんと名乗ってないからね!」
「ほ、ほら、次回は普通に喋ればいいじゃないですか!」
「いや、もう印象付けてしまったし、ちゃんとクマーで話すよ私は」
溜め息をついて床に丸まってしまったベーレンの背を、クイーンはなだめるようにぽんぽんと叩く。
「それにベーレン将軍はウケてましたよ、うちの女子部の子たちには大好評でした、可愛いって!」
「かわ……いい……?」
(あ、それとどめ刺してますクイーン)
(いくら身内の人間からでも、男が可愛いって言われると複雑ですクイーン)
沈黙は金。こっちはこっちで話すこともあることだし、とマシラとガルーは二人から背を向けた。
「あと、すまんマシラ。できればスタングレネードは使いたくなかったんだが……」
「仕方ないねー、連中、今回は存外しつこかったしー。入手経路を特定されるようなヘマはしてないから心配いらないよ。Aに持たせていったのが役に立って良かった……と」
マシラはそこでここに来るはずのもう一人を思い出す。
「そのAはどうしたのさ」
「ああ、新人のしつけにちょっとてこずってる見たいでな。人化措置終わったら、様子見に行こうと思ってた」
「しつけ?」
クイーンがその言葉を聞きとがめ、ちょっと困ったように眉尻を下げた。
「最初の宣誓と、私の暗示に抵抗する子がいるのですか?」
「ヒーローとやりあわせろ、って息巻いてる馬鹿がいましてね。なんで戦闘員に格闘術を教えないか、判ってないんですよ、新人ども。早く怪人にさせろって、そればっかりで」
ベーレンがまた溜め息をつく。
「ま、確かに誰でも最初に抱く疑問ですけどねー。下手に体育会系だと足りないんだろうねー、出撃程度の運動じゃねー」
「どうせAの説得なんか聞きゃあしねえよ、あいつら。ついでだから、怪人適性検査で適性なしだってことも伝えておくとは言ってたが……そんなんで収まるかどうか」
「まだAは指導教官になるのを渋っているのか? 実質やってることは同じなのに」
「組織の幹部にもならないし、かといって『うちの会社』の管理職にもならないしねー。まだ保父さんの非常勤みたいなこと、やってるんだっけ?」
「今日襲ったの、Aが働いてる保育園だったはずだが」
「そうですよ。あらかじめ、子供たちに『悪の組織は痛くしない』、ってプロパガンダを刷り込んでもらっていました。今回の件がトラウマになってPTSDにならないようにね」
さて、とクイーンと呼ばれた彼女は、席を立った。
「新人のことも気になることですし、ではガルー将軍、人化措置をしましょうね」
「う」
精悍な狼の耳が、ぱたっと後ろに伏せられた。
「変化が定着しちゃったらどうすんのさ? コンビニでエロ本の立ち読みできなくなるよー?」
「んなことしてねえ。いや、そんなのはどうでもいいんだが」
「格闘家が注射怖いってどうなのー?」
「注射が怖いわけじゃなくてだな! あの戻るときの痛みっつーか、気持ち悪さが、その、」
「ガルー将軍、人化できる回数には制限があるわ。私たちは、どんなに体の組成が変わっても、ヒトです。ヒトとしての生活も、大事にしてください」
静かなクイーンの言葉には、強く心に沁み込む何かがあった。彼等の指導者は、常に自分の部下の心配をしている。変化した体と心の遊離を、何よりも懸念している。
訴えるように見上げてくる澄んだ双眸に、それ以上否やを唱えられる者はいない。
「……はい、クイーン。……で、あー、その、ひとつお願いが」
「何でしょう?」
「い、痛くしないでくれませんかね」
ぶはっとマシラたちが吹き出すのも構わず、耳を伏せまくったガルーが必死の形相になる。
「確かに解除酵素の打ち込みは痛いとは思いますし、本来なら静脈注のほうがいいのですけど」
うーん、と彼女はちょっと考えて、
「……お尻?」
一瞬の沈黙。
「駄目駄目駄目それだけは駄目ですクイーン!」
「こんな犬のケツにクイーンの唇が触れるなんて!」
「犬いうな!でも俺も全力でそれは遠慮します!」
3人の勢いにちょっと目を見開いたものの、
「ほかにあんまり痛くないところってありませんよ? 筋肉注になるので、効果が緩やかに進む分、変化過程が苦しいほうが大変になるけれど……」
「こンの馬鹿犬!クイーン、真に受けないでいいですからね!」
「私とマシラで抑えてますから、がぶっとやっちゃって下さい、がぶっと!」
「はぁい」
「く、クイーン、ちょっと待ってください心の準備が」
「なんでこういう時だけ往生際が悪いのかねえ君は」
「注射とか点滴とか、だめなんだよ嫌いなんだよ俺はぁ!」
二人がかりで押さえつけられ、大人しくなった狼頭を、クイーンはぽふぽふと子供の手つきで撫でた。
「すぐ済みますから。……ごめんなさいね」
あーん、と開けた口の、舌の両脇に、明らかに人のものではない、鋭いキチン質の針がせり出してくる。そして、吸血鬼宜しく、毛皮を掻き分けて狼の喉笛に、深々と口付けた。
「ぎっ……あおぅ……うぐぐぐ」
ついに耐え切れず、あおおーん、と情けなくも切羽詰った遠吠えをあげたへたれ狼に、残り二人の男は必死で笑いをこらえていた。