食卓
オークの木でしつらえた無垢材の厚いテーブルには、少年の胃袋が悲鳴を上げる品々が並べられていた。
切り分けられたライ麦パン、豆と野菜のスープ、火の入ったベーコンに二種類のチーズ。
少年が視覚と嗅覚から得たその情報は、口から溢れる唾液を制御できなかった。
「座りなさい」
赤い髪の女は白いエプロンを丁寧にたたみながら少年を促す。少年は薄汚れた袖でよだれを拭い、催眠術にかけられたように言われるがままに椅子に腰を下ろす。
椅子に体重を預けた瞬間、今日一日の疲労を思い出したように少年は項垂れ肩を落とす。そして健康な少年の身体は早く目の前の食物を胃袋に送れと絶叫していた。
だが、少年は両膝に十本の指の爪を立てながら歯を食いしばる。目の前に置かれたスプーンとフォークを持とうとしない少年を女は不思議そうに見る。
「どうして食べないの? 朝からの重労働で空腹の筈でしょう」
女の声に、少年は俯いていた顔を上げる。その両目には強い意志を伴う光があった。
「あ、あの。この食べ物、家に持ち帰ってもいいかな?」
少年の怯えたような声色に、赤い髪の女は首をかしげる。
「どうしてここで食べないの? せっかくの温かい料理が冷めるわよ」
「······家には、病弱な母さんと八歳の妹がいるんだ。二人に食べさせてあげたい」
「貴方の家は何処なの?」
「······に、西の山間の盆地。村っていうより小さな集落かな」
少年の説明を聞き、女は頭の中で地図を広げる。西側の山間部にはいくつかの盆地があり、一番近い盆地でもこの館からは大人の足で二時間はかかる道程だった。
小さな貧しい集落。その響きが女の脳裏にある想像を働かせた。少年の家族の説明に父親の名は無かった。
病弱な母は満足に働けず、また少年のみすぼらしい身なりを見れば家族の窮状は一目瞭然だった。 その少年の集落を昨日この館に襲来した野盗の群れが通り過ぎた。
少年は何か自分に出来る仕事は無いかと野盗達に懇願した。 野盗達は少年を密偵役として使えると判断し、この館まで一緒に連れてきた。
女は少年が野盗達と行動を共にした経緯をそう予想した。そしてそれはほぼ事実だった。
「食料を持ち帰る条件が一つあるわ」
女は両肘をテーブルにつき、重ねた両手に形の良い顎を乗せる。
「な、何?」
少年は両目から希望に満ちた輝きを放ち、勢いよく聞き返した。
「まずは貴方がこの場で満足いくまで食事をする事。そんな足元が覚束ない状態では家まで帰れないわよ」
女はそう言うと、スプーンを持ちスープを口に運ぶ。女の言葉の意味を十分過ぎるほど時間をかけて理解した少年は、涙ぐみながらスプーンを持つ。
「······いただきます」
それは、小さすぎる声だった。少年は震える指で挟んだスプーンでスープを一口飲むと、顔をしわくちゃに歪め涙を流した。そして火がついたような勢いでスープを口の中にかき込んでいく。
その少年の姿を、赤い髪の女は惚けた顔で眺めていた。
「······いただきます? それはどういう意味?」
突然の女からの問いかけに、少年はスープの野菜を喉に詰まらせた。顔を真っ赤にして胸を拳で叩く少年に、女は水の入ったグラスを差し出す。
少年はグラスを受け取り、急いで飲み干し九死に一生を得た。そして呼吸を整えると、質問者の美しい顔に視線を向ける。
「え? いただきます、が? 食事する時に必ず口にする言葉だよ」
「何の為に?」
「た、食べ物にはみんな命があって、その命をいただくから。し、知らないの?」
少年は何故こんな当たり前の事を女が知らないのか理解出来なかった。一方、その当人は唇に指を当て何やら考え込んでいた。
「······命をいただく。そう、そうよね。少し思い出したような気がするわ」
女は何処か遠い目をしていたが、程なくして食事を再開した。少年も憂いなく胃袋を満足させる為のスープを口に運んだ。
······翌朝、ヒヨドリやスズメの鳴き声が聞こえる中、少年は館の外で大きな麻袋を女から受け取った。
中には干し肉、魚の干物、黒パン、乾燥野菜がぎっしりと詰められていた。 そして女は皮のブーツと短剣、マントも少年に身に付けさせた。
これは野盗達の残した武器防具から、少年の小柄な身体に合う物をあてがった。
「これも持って行きなさい」
赤い髪の女は茶色の小さい玉が入った小袋を少年に手渡す。
「この玉は魔道具よ。地面に叩きつけると周囲は閃光に包まれる。いざという時に使いなさい。使う時は絶対に目を閉じること。いいわね」
険しい山間部の道には獣、魔物、山賊が出現する可能性が高い。女はその用心にと閃光弾を少年に持たせた。女の気遣いは少年の心を温かくした。
「······ありがとう。この恩は決して、絶対に忘れないから」
「道は長いわ。休み休み進みなさい」
少年は背中より大きい麻袋を背負い、黒い館から母と妹が待つ家へと歩みを開始した。
少し大きいブーツは歩きにくかったが、すぐに慣れるだろうと少年は楽観的だった。
二十歩進んだところで、少年は後ろを振り返った。まだそこに立っていた黒い眼帯の女に少年は叫ぶ。
「僕の名はマラク、マラクって言うんだ!」
「······気をつけて帰りなさい、マラク。私の名はラファル。ラファルよ」
「······ありがとう、ラファル。ありがとう!!」
重量のある麻袋は少年の背中にのしかかってきたが、心の中から湧く嬉しさはマラクの足取りを軽くした。
それが、後に黒い館の双璧と呼ばれるマラクとラファルの出会いだった。
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「虚無の街」
ヴィクトリア・ハーガット著
戦火は王都にも及んだ。民を守るべき王は城から逃げ出し、城内に取り残された者達は虐殺されていく。
我が身の可愛さから責任を放棄した王にも、無惨に殺められていく民達にも、旅人は何も感じなかった。
旅人は運良く城壁の外へ脱出できた。そしてその手には一冊の本があった。逃げ出す際、足元に落ちていた古書だ。
その本の表紙には、「虚無の街」と記されていた。




