戦場の後片付け
······少年は目を覚ました時、自分がベッドの上に寝ていたことに気付く。清潔な寝具からは陽光の匂いがした。
朝日が窓のカーテン越しに優しく室内に射し込む。 長い間、感じていなかった安らぎに少年はこの時間が永遠に続けばいいと願った。
だが突然脳裏に浮かんだのは、燃え盛る人柱の中に立つ鬼神の姿だった。
「うわあっ!!」
悪夢を思い出したかのように、少年はベッドから飛び起きた。昨日の夕暮れ、百人の野盗を文字通り全滅させた黒い眼帯の女。
あの恐ろしい女の姿を見た後の記憶が少年には無かった。あれから自分はどうしたのか。そして何故ベッドに寝ているか。
少年は忙しなく動く心臓を必死に落ち着かせ、自分が寝ていた部屋を観察する。室内は至って簡素だった。
窓が二つ。家具と言えば自分が寝ているベッドとテーブルに二脚の椅子。 面白みのない殺風景な部屋。少年の第一印象がそれだった。
少年はベッドから起き上がり、テーブルの上に置かれた硝子製の水差しに気付く。 急に喉の渇きを覚えた少年は、毒殺の恐れを感じたが、グラスに水を注ぎ恐る恐る一口飲んだ。
すると水は冷たく新鮮で、少年は喉を鳴らしながら一気にグラスを空けた。 少年は慎重に音を立てないように部屋のドアを開けた。
廊下の中央には階段があり、自分は今建物の二階にいることが分かった。 そして廊下の先を見ると、部屋がもう一つあり、 その扉は開かれていた。
その部屋に引き寄せられるように、少年は足音を立てないように一歩、また一歩と近づく。
······部屋の中に赤い髪の女が机の椅子に座っていた。身体は横を向いており、机の上に左肘を置き手の甲に頬を乗せていた。
細く長い脚を組み、その上に年季の入った分厚い本を置き視線を下に落としていた。その右目は昨日の殺戮者とは別人のような穏やかな色をしていた。
均整の取れた美しい女のその姿に、少年は身を隠すことを忘れ、見惚れてしまった。
「気分はどう?」
女は本から視線を動かさず、言葉という名の矢で少年の心臓を射抜いた。寝起きの衝撃に少年は上手く言葉が喋れなかった。
「覚えてないかしら? あなたは昨日、大木の下で気を失っていたの」
女は本のページを一枚めくりながら、少年がなぜベッドの上で寝ていたのか真相を伝える。
「······ど、どうして」
「あなたを殺さなかった理由かしら?」
口ごもった少年に再び小さくない衝撃が訪れる。赤い髪の女は初めて顔を上げ少年を見る。
小柄な少年はややくせ毛の黒髪だった。粗末な衣服に穴の空いた靴。その顔はまだあどけなさを残していた。
「あなたはいくつ?」
「じゅ、十三歳」
少年がそう答えると、女は両手で青色の背表紙の分厚い本を静かに閉じた。
「子供は殺さないと決めているの。ただし、私に敵対行為を働いた場合はその限りではないわ」
肩にかかった三つ編みにした髪を左手で払い、女は椅子から立ち上がる。そして少年にゆっくりとした足取りで近づく。
「······私に取り入って情報を流す。あなたの仕事はそんなところかしら?」
赤い髪の女に見下ろされながら放たれたその一言に、少年は愕然とした。両膝が震え、小さな身体を支えるのも覚束ないほど動揺する。
「······ど、どうしてそれが分かったの?」
「あなたがあの野盗の群れにいた理由を考えたら分かるわ。非戦闘員の荷物持ちにしてはあなたは非力過ぎる。せいぜい出来ることと言えば密偵役ね」
少年は両膝を曲げ床に座り込んでしまった。自分はこれから殺される。少年の頭の中には、家で自分の帰りを待つ母と妹の顔が浮かんでいた。
「安心しなさい。あなたを殺したりしないわ」
女の静かなその声を聞き、少年は弾かれたように顔を上げる。
「その代わりに少し手伝って欲しいことがあるの。私についてきて頂戴」
女はそう言うと、階段の手すりに白い綿手袋を着けた左手を微かに触れさせながら下に降りていく。
その背筋がピンと伸びた美しい背中に、少年は一瞬我を忘れていた。 少年は首を左右に振り自失を取り戻し、慌てて女の後を追う。
階段を降りた一階には、踊り場の正面に大きなアーチ型の玄関の扉があり、左右にはそれぞれの部屋のドアがあった。
昨日の夕暮れ時に遠目でしか見えなかった黒い館だったが、中はそんなに広い造りではないことを少年は知った。
赤い髪の女は既に玄関の扉を開け外に出ていた。少年は急いで館の外に飛び出す。すると、そこには昨日の戦場の爪痕が生々しく残されていた。
百人を超す野盗達は全員焼け死んだ。身体は消失して骨すら残っていなかった。赤い髪の女の眼帯の下に隠されていた左目の凄まじい力を無言の内に証明するものだった。
黒焦げになった武器や鎧が主を失った迷い人のように各所に残されていた。そしてその地面は炭で塗り潰したように黒かった。
「野盗達が残した武器や鎧を回収して。それがあなたの仕事よ」
女は少年に背中を向けながらそういうと、自らが足元にあった熱で形が歪に変化した鎧と兜を両手に持ち、館に戻るように歩いていく。
少年も周囲に残されていたひしゃげた剣を三本抱えて女についていく。館の裏手に回った女は、木の板で囲われた芝生に抱えた鎧と兜を放り投げる。
少年も女に倣い、曲がった剣を芝生に投げ込む。 女は少年を見下ろしながら黙して頷いた。女の意図を察した少年は頷き返し、また戦場の跡に駆けて行く。
野盗達が残していった武器防具の後片付け。それが、赤い髪の女が少年に課した労働だった。少年にはこれをこなせば命が助かるという確信は無かった。
だが、女に生殺与奪を握られた無力な少年には選択の余地は許されなかった。鼻をつく焦げた臭い。息を切らし滝のような汗を流し、全身に黒い煤を付けながら、少年はひたすら野盗達の抜け殻を運んでいく。
キィ―ッ、キィ―ッ。
木の天辺からモズの甲高い鳴き声が聞こえる頃、少年は残された最後の武具である盾を芝生に置き、 その場で力尽きたように座り込んでしまった。
夕暮れ前の涼しい風が少年の頬を撫でる。疲労から全身が鉛のように重く、特に喉の渇きは尋常ではなかった。
赤い髪の女に報告をする為に、少年は壁に両手を当てなんとか身体を起こす。 酩酊状態の様な足取りで館の扉を開けると、少年の鼻腔が敏感に匂いを察知した。
一階の西側の部屋は扉が開かれており、中からは少年の胃袋を刺激する匂いが溢れていた。 少年が部屋の中を伺うと、そこにはレザーコートの上に白いエプロンをつけた女の姿が在った。
「ご苦労さま。食事にしましょう」
トレイに湯気が立ち昇る器を置きながら、赤い髪の女は柔らかい口調でそう言った。
昨日の生きた悪魔の様な姿と対比した少年は、どちらがこの女の真実の姿か分からなくなっていた。
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「虚無の街」
ヴィクトリア・ハーガット著
旅人は彷徨う。いくつもの村を通り過ぎ、気づけば王都に自分は居た。大通りは人で埋め尽くされていた。
親とはぐれて泣き叫ぶ幼児。道を開けろと怒鳴りながら先を急ぐ男。焼菓子をほおばる肥満した女。城へ向かう騎士達。
旅人は目眩を覚えた。王都の喧騒は、旅人の心を何一つ満足させなかった。
なぜなら、旅人にはその器たる心が無かったからだ。
旅人は人混みの中から逃げ出した。自分の居るべき場所を求めて。




