黒い眼帯の女
残り僅かになった夏の勢力は、古い季節の退場を迫る初秋の勢いに押され撤退をせざるを得なくなっていた。
湿気を含んだ夏の空気から乾いた風への変化は、大陸の南にも及んでいた。 その大陸の南端に、ある漆黒の館があった。
古びたその館の北側、東側、西側は険しい山で囲まれており、唯一開けている南側は海だった。 それは、誰の目にも明らかな天然の要害だった。
その館に辿り着くには、船を使用して海から来るか 、切り通しと呼ばれる山を切り開いた道幅の狭い道を使うか、いずれかしかなかった。
太陽が海の地平線にその身を沈めようとした頃、漆黒の館には、百を超す人影が押し寄せていた。
その先頭を歩く大柄な男は右目に包帯を巻いていた。その兜の下に憤怒の表情を浮かべている。
「出て来い! 眼帯の女ぁっ!!」
大柄な男は右手に持つ大剣を館に向けて絶叫する 。数瞬の後、館の扉が開かれ一人の女が姿を現した 。
細身の長身。燃えるような赤い髪を三つ編みにし、首元から足元まで黒のレザーコートを身に着けていた。
腰から後ろ半分だけコートが伸び、左手には白い綿手袋、右手には細剣が既に握られていた。 そして左目は黒い革製の眼帯で覆われ、右目は透き通った水のような青色をしていた。
眼帯の女は百人の武装した男達を目の前にし、怯む様子を一切見せなかった。
「女! 前に仲間を皆殺しにしてくれた礼をしに来たぜ! 今度こそ貸金庫は頂く! そしてお前は半殺しにした後にたっぷりと可愛がってやるぜ!」
大柄な男は眼帯の女の身体に好色な視線を向ける 。皮のコートは女の身体の曲線を損なわず披露していた。その膨らんだ胸と腰を、男達は舌なめずりして食い入るように見つめる。
「険しい道を越えてはるばる死ににくるなんてご苦労な事ね。野盗共、最初で最後の警告よ。そこから一歩でも館に近づけば殺す」
眼帯の女は口を開き、百人の狼藉者達に不吉な予告を宣告する。それは、聞く者の周囲の温度を下げるような冷たい声だった。
「弓矢隊、討てぇっ! その後槍兵隊、突っ込め!」
眼帯の女の警告は、大柄な男の突撃命令によって報われた。百人の男達の後方から次々と弓矢が放たれる。
三十本の弓が空気を切り裂き眼帯の女に吸い込まれるように向かって行く。女は素早く後方に飛びながら細剣をくの字に振り矢を弾いていく。
複数の矢が女が立っていた場所に刺さり、残りの矢は女の剣によって切断された。息つく暇も無く槍を構えた二十人の野盗達が女に殺到してくる。
突き出された八本の槍は空を切った。槍兵達は驚き上を見ると、そこには高く跳躍している女の姿があった。
「ぐわあっ!」
女は槍兵達が密集している中心部に着地し、腰をかがめ細剣を鋭く一閃させる。
槍兵達の間合いが長い武器が災いし、武器を持ち替える暇も許されず次々と女の剣によって致命傷を負っていく。
「糞があ! 囲め! 人数をかけて包囲しろ!」
野盗の頭目と思われる大柄な男が、次の指示を部下達に下す。女は俊敏に木々の間を移動し、それを盾にするように一人、また一人と斬り伏せ容易に野盗達の包囲を許さなかった。
ガキンッ。
それは偶然だった。一人の野盗が女に向けて半ばヤケになって投じた斧の柄が、女の右手に見事命中した。
女の手から唯一の武器の細剣が弾かれ地面に落ちる。 どんな剣の達人でも武器が無ければただの非力な女。
一人の野盗が欲望剥き出しの表情で女の身体を押さえようとした、その瞬間だった。 猛然と突き出された女の左手が、野盗の顔を掴んだ。
その瞬間、野盗の顔が、否、頭部が不気味な音を立てて粉々に吹き飛んだ。 血しぶきと肉塊が四方に散乱し、野盗達は目の前で何が起きているのか理解できなかった。
女の白い綿手袋を着けていた左手が隆起し始め、綿手袋は破れ地面に落ちる。 その左手は硬質の鱗で覆われ、血と同じ色の爪が鋭く伸びていた。
「······な、なんだこの手は?」
野盗達が目を凝らし女の異形の左手に釘付けになる。
「ぎゃああっ!」
女が左手を振り上げ、下ろす度に顔を引き裂かれた野盗達が苦痛の叫び声を上げる。女の左手首を切り落とそうと、一人の野盗が狙いを定める。
だが、女の異形の左手は振り下ろされた剣を素手で掴み真っ二つに折った。
その悪魔の左手は野盗達の首を握り潰し、甲冑を貫通して心臓を突き刺し、剣や槍をなぎ払った。
「······目だ! 残り一つの目を潰せ!」
野盗の頭目が周辺の大木の上に潜ませた弓矢隊に命令を出す。この野盗集団の中でも腕利きの男達は、冷静に眼帯の女の左目を狙い澄まして矢を放つ。
三本の矢は恐ろしいほどの精度で女の顔を捉えていた。女は顎と背中を反らせるが、二本の矢が女の頬を掠め、残り一本が女の左目の黒い眼帯に命中した。
ドサッ。
女は背中から地面に倒れた。その光景に野盗達は狂喜する。これで貸金庫が手に入り、若く美しい女の身体を弄ぶ事が出来る。
勝ちどきを上げようとした野盗の頭目は、倒した筈の女が上半身を起こそうとしている事に気付く。
女の両足を潰すように部下達に命じようとした刹那、頭目と女の視線が交錯した。 頭目はその数瞬の間、違和感を覚えた。
女の左目の眼帯は取れていた。先刻部下が命中させた矢が眼帯を剥ぎ取ったことは明白だった。 違和感は眼帯ではなく、女の左目だった。
その見開かれた左目は右目の青色とは異なり、髪と同じ炎のような赤い色をしていた。
「うぎゃああっ!!」
身体が突然燃え盛り野盗の頭目は絶叫する。頭目だけでは無く、周囲の部下達も次々と火だるまになって行く。
眼帯が取れた女は、ゆっくりと立ち上がる。そして顔を横に動かすと、その視線の先にいた野盗達の身体が発火する。
荒くれ者の男達が地面に転げ、自らの肉が焼ける苦しみに悶える。
炎の塊が百。漆黒の館に踏み入ろうとした百人の野盗達は、焼死体となって全滅した。
その光景を、大木にその身を隠し目撃していた少年がいた。
少年は炎の火柱が生む熱気と恐怖から脂汗を流していた。少年は震える口を頼りなく動かし、書物の世界でしかなかった伝説を呟いた。
「······イフリートの目」
燃え盛る野盗達の断末魔の叫びの中に冷然と立っていたその女は、少年には生きた悪魔に見えた。
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「虚無の街」
ヴィクトリア・ハーガット著
旅人には居場所がなかった。人で溢れる街の中にも、鳥のさえずりや木々が揺れる音が聞こえる森の中にも。
旅人は何も感じなかった。街頭で物乞いをする子供にも。羽を傷付け飛び立てない小鳥にも。
だから旅人は歩き出す。自分の居るべき場所を目指して。




