3. この神様たちにご利益はないと思う
料亭を出た一行はいよいよイツクシマ神殿へ着いた。
浅瀬の上に朱色の柱が何本も海からそびえ立ち、回廊が波の上を渡るように続いている。
建物そのものが海に浮いているのだ。
人が建てたとは思えない。いや人が建てたのだろうが正気で建てたとは思えない。
鳥居だけでなく社まで海の上とは。
――どれだけの人間が海水を飲みながらこの柱を立てたことだろう。
私は圧倒されておっかなびっくり皇帝の後ろに続いて歩いた。
回廊の先に広い踊り場が見える。おそらくあそこで神事を行うのだろう。
厳かな空間。
神聖な空気。
私は思わず背筋を伸ばして見渡すと――。
踊り場には3人の女が寝そべっていた。
1人は干しいかをくわえてもぐもぐと噛んでいる。なんなら目が合った。
もう1人は傍らに横たわる鹿の腹をうっとりとした顔で撫でている。鹿も恍惚としている。これは何を見せられてるの……?
最後の1人に至ってはいびきをかいて完全に寝ていた。
――なんだこいつら?
あまりにも予想外の光景に足が止まった私の横を、皇帝が悠然と通り過ぎる。
そして皇帝はその3人の前にひざまずき、恭しく頭を下げたのだ。
「女神さまがた。本日は婚姻の儀を執り行いたく参りました」
――え?
これが女神?
この場違い三姉妹みたいなのが?
混乱しつつ私も慌てて跪いた。
「ムラカミか。そなたも婚姻を結ぶ年齢となったか。人の時は流れるのが早いのう」
無駄に威厳のある言葉を吐いたのはいかをしゃぶっている娘だった。
いかをしゃぶるのはやめずに話しかけてくる。
「これがこの島の神様なのですか?」
「ああ。セトウチの海を司る女神様だ」
だらだらしている女神様を見ると信憑性が怪しくなってくるが……。
「ムラカミの先祖がこの神殿を建ててくれたから安全に海を通してやっておる」
聞けば「海の上に神殿が欲しい!」という女神様たちのワガママに応えてイツクシマ神殿が建てられたという。
ムラカミがセトウチの海で安全な航行ができるのは、この女神様たちの加護あってこそらしい。
……本当にご利益あるのかな?
そんな失礼なことを考えていると、『いか女神』がしげしげとこちらを見てくる。
なんだろう……?
「ふむ。確かに高貴な血を引いておるな。その衣装も仕立てが良い」
……どんどんこの女神たちへの不信感が募っていく。
平民の娘が衣装を着るだけで血筋を見抜けない女神。
――もしかしてあの鹿も衣装を着せたら「高貴な血を引いておるな」と言われるのでは?
「では婚姻を見届けよう。酒は持って来ておろうな?」
私の不信など意に介することもなく、『いか女神』はそんなことを言う。
そして控えていたヨシカワが高級な酒瓶の封を開ける。
「酒の匂いだぁ!!」
その瞬間、いびきをかいて寝ていた女神が歓喜の声を上げながら跳ね起きた。
そのまま酒瓶に群がると、三女神は我々そっちのけでワイワイと酒盛りを始めた。
「では、婚姻の儀を始めよう」
女神たちに構うことなく皇帝が盃に酒を注ぐ。
違う。私の知っている婚姻と違う。
二人で厳かに行うはずが、これでは本当にただの集会だ。
「コムギ。詩を詠め。女神の肴になるように」
警戒心を失いつつあった私に、皇帝はそんなことを言う。
3柱の女神たちも盃を片手にざっとこちらを向く。
――え?
「高貴な娘だ。さぞ素晴らしい詩を詠むことじゃろう」
いか女神がそんな無茶振りをしてくる。
詩とは五音や七音の語句をまとめて、当意即妙な言葉を紡ぐ貴族の遊びだ。
当然、高貴でもなんでもない私は詩を詠んだことはない。
いか女神のことだ。
ここで変な詩を詠んだら「やっぱり下賤の血じゃないか?鹿にも劣る。婚姻は認めん」などと言い出しかねない!
考えろツユ!
私の思考が急速に回転する。
姫だったら、姫だったら。高貴、高貴……。
混乱している私の目の前には夕焼け空と満月が同時に見えた。
その光景を眺めながら。
私は人生で初めての詩を詠んだのだ。
『この世をば我が世とぞ思う
望月の欠けたることもなしと思えば』
場には沈黙が流れる――。
何を言っているんだ私は!
高貴な姫を演じようとするあまり不遜すぎることを言ったのではないか!?
冷や汗がどっと溢れた瞬間。
「女神と皇帝を前にして『この世が我が世』とは、なかなか度胸のある娘じゃな!」
そう言って、いか女神は嬉しそうにいかを齧った。
鹿女神は楽しそうに鹿と顔を見合わせて盃を傾けた。
そして酒女神は相変わらずがばがばと酒を空けていた。
「胆力のある面白い女が嫁いで来ましてね」
皇帝も笑いを堪えながら盃を空けた。
……相変わらず本当に高貴な人々の考えることは分からない。
だが少なくとも影武者がバレる様子はなさそうだ。
私はホッと一息つきながら、目の前にある婚姻の盃を皇帝と共に空けたのだった。
◇
女神と鹿と皇帝との『集会』にほんのりお酒の回ってきた頃。
ふと皇帝が私の手を取り、変なことを言い始める。
「ところでコムギ。根回しも待てずに婚姻を早めたということは……」
そこで一区切りした後、とんでもない爆弾を投下してきたのだ。
「つまり俺と早く契りたくてたまらなかったということか?」
そう言って私の腰をぐいと引き寄せてくる。
そして皇帝の無駄に整った強面が、私の顔に近づいた。
な、な、なっ……!
「いや、それはちがくて、その……」
しどろもどろになる私に皇帝が畳みかけてくる。
「『この世をば我が世とぞ思う』と言うほど、この婚姻を心待ちにしていたのだろう?」
頬が熱を帯びてきた。
ああ急に酔いが回ってきたようだどうしよう!
私が混乱して身動きも取れずにいると、皇帝がふっと手を離した。
「だがこの島で契ると女神様たちに覗かれそうだ。続きは城に戻ってからにしよう」
ふと女神たちの方を見ると、3柱とも面白そうにこちらを見ていた。
「なんだ。人間の貴族同士の交配が見られると思ったのに」
今まで口を開いていなかった鹿女神がふとそんなことを言う。
交配って……。
鹿と暮らしすぎて語彙まで鹿になっていませんか?
――やっぱりこの神様たちにご利益はないと思う。
その日の夜は島の宿屋に泊まった。
しかし、強面で不便な皇帝の、整った顔が頭から離れない。
いつか私が彼と契りを交わす時が来る?
妃となるなら確かにあり得ることだろうが、現実感があまりない。
頬が少し熱く感じるのは……きっとお酒が残っているせいだ!
その日はなんとなく、あまり眠れない夜を過ごすことになったのだった。




