5. 最高です!
魔王軍が突如として消失した。
そんな不思議な知らせがセトウチを走った。
ヒメジを占領していた魔王軍の兵士が一人残らず消えたという不思議な状況に、城下町の人々すらも呆気にとられたという。
罠を警戒した帝国の兵団が慎重にヒメジへ進軍すると、確かにもぬけの殻となったヒメジ城がそこにあった。
兵も武器も軍旗も、そして魔王トミヒデの姿も。
何もかもが、消えていた。
◇
兵からの知らせを聞いて、皇帝は飛んできた。
「ツユ!」
ヒメジ城の門をくぐって駆けてきた彼は額に汗をにじませている。
焦る場面を見たことがない強面な皇帝が、息を切らして目の前にいた。
……こんな顔をするんだ、この人。
何か言おうとした。
大丈夫です、とか。
やってやりましたよ、とか。
でも口を開いたら涙が溢れそうだった。
だから私は何も言わずに、皇帝の胸に飛び込んだ。
ごつごつした大きな体。
その体がほんの少しだけ震えていることに気づき、私は胸に一層額を擦り付けた。
しばらく彼の体を額で楽しんでいると。
周囲から湧くような拍手が聞こえて、額から汗が噴き出してくる。
彼の周囲を兵たちが囲んでいる様子すら見えなくなるほど、私は彼しか見えていなかったのだ。
……いやちょっと待って、そんな――。
恥ずかしさで顔が燃えそうで、顔が赤くなっているのが分かったから、私は皇帝の胸から離れるタイミングを完全に失ったのだった。
◇
「勇者――ツユ妃様が美しい祈りによって魔王軍を次元の狭間へ消し去った!」
そんな噂が兵たちの間を駆けまわった。
――いやいやいやいや。
「そんなことはしてないから!」
私は慌てて否定して回ろうと飛び出しかけたら、横にいたヨシカワに腕を掴まれた。
「大体合っているでしょう?」
「合ってないから!というより、合っているかどうかも分からない眉唾な状況じゃないですか!」
「でも、誰もその噂を否定できない状況ですよ?」
……そう言われると痛い。
トミヒデは美しい祈りをささげた者の願いを叶えると言った上に、実際に魔王軍は消え去った。
最期の私の願いは「セトウチの海が二つあったらよかったのに」だった。
……確かにセトウチの海が二つになって魔王軍たちが渡って行ったならば辻褄が合ってしまうが。
「姫様のへんてこりんな願いが、女神様的に素晴らしく美しかったということでしょう」
「気持ち悪いことを言わないで!」
ヨシカワの好感度低下はとどまるところを知らない。
私はそんなあまりに不相応な称号を否定できないまま、事態だけがどんどん大きくなっていく。
そしていつしか兵たちは、私を変な名前で呼び始めた。
ムラカミ帝国で皇帝に大見得を切り。
イツクシマで女神を前に大見得を切り。
アズキアイランドで島長たちに大見得を切り。
ナオアイランドで錬金城主に大見得を切り。
そしてヒメジで魔王軍を消し去った勇者。
五つの地の窮地を度胸と大見得で切り抜けたモーリの姫。
五月の龍の雨――梅雨の時期にサヌキの地に流れ着いた娘。
『五龍姫』。
兵たちはそう呼んで、私に頭を下げてくるようになる。
「そんな大層な者じゃないから!」
私がどんなに否定しても、事実と混ざり合って尾ひれのついた物語はもう止まらなかった。
セトウチの海を渡り、島から島へ、港から港へ。
――影武者として嫁いだ侍女が魔王を討った英雄譚が、私の手を離れてセトウチ中を駆けていくのだった。
◇
ヒメジの地の統治も落ち着いてしばらく経った頃。
忙しくてできていなかった祝勝会が行われることになった。
場所はヒメジ城。
魔王がいなくなった後、この城は大きく姿を変えていた。
なんでも大工の棟梁が「五龍姫に見合う城にしないと」と張り切ったらしく、漆黒だった天守を五段に改造し、城全体を白く塗り替えてしまったのだ。
清らかな心で魔王を退けた姫を象徴する白なのだそうだ。
……清らかと言われると未だに納得いかない。
本当に美しい心で願った願いが叶ったのだろうか?
正直まだ疑っている。
しかし象徴としては見事に機能したようだ。
純白で五層の城はその後ヒメジを代表するものとなり、遠くからでもセトウチの空に白く映えている。
面倒臭いところに建ったイツクシマ神殿と同じで、人は壮大なものを見ると理屈抜きで感動してしまうらしい。
そんな城の大広間で、祝勝会が開かれた。
各地の諸侯が集まる盛大な宴――ではない。
集められたのは、私に縁がある者たちだった。
サヌキ王が相変わらずうどんをフォークで啜っている。宰相閣下がその隣でポンコツな笑みを浮かべていた。
イツクシマのあなご屋の大将が「まあ食え食え!」と威勢よく配膳している。
アズキアイランドの勝麺男が細い麺を自慢げに披露し、油女がその横で「また改良したの?」と呆れている。
錬金城主は相変わらずキンキラの装飾で葉巻をくゆらせていた。鼻水男は元気だろうか。
千人の来賓を招く宴ではない。
でもここにいる全員の顔を私は知っている。
――そして、それは影武者バレを防ぐためではなく、私の隣にいる彼が私を安心させるために取り計らってくれた結果なのだ。
やがて、セトウチのおいしい料理がずらりと並んだ席の真ん中に、見覚えのある一皿が運ばれてきた。
庶民の草であるほうれん草の上に、高級食材ウニが山のように盛られている。
漂う磯のかおりに溶け込むバターの優しい香ばしさ。
「高貴な『五龍姫』には、下品な食べ物で侮辱しているように感じるかもしれないが」
彼はあの子供のように無邪気な笑顔で、私を茶化してくる。
周囲の招待客たちがくすくすと笑っている。あの日の大見得を知っている者も知らない者も。
私はそんな彼に向かって、胸を張った。
「陛下ったら、ウニをほうれん草に乗せるだなんて下品で侮辱で、でも……」
バゲットの上にウニとほうれん草を乗せて思いきりかぶりつく。
――そして、私は言ってやったのだ。




