3. 私を信じて
次の日の朝。
なんとなく気恥ずかしさを感じながら、彼と向かい合って朝食を食べていた。
相変わらずの強面で黙々と朝食を食べる彼を見ていると、なんとなく昨日のことが頭をちらついて……。
と、そんなことより。
朝食の品数が多い。
焼き魚に煮物に漬物、汁物も鍋ほどあるし、小鉢もずらりと並んでいる。そしてご飯は山盛りで出てきた。
朝ごはんだと思えないボリュームだ。さすがドーゴリゾート、朝から手を抜かない。
「食べきれるかな……」
お腹を押さえていた、その時だった。
ふと皇帝の方に目を向けると。
後ろに黒装束の男が立っていた。
「ひええっっ!」
私は思わず立ち上がって後ずさった。
いつからそこにいたの!?
失神するかと思うほどびっくりした……!
「どうした。急用か」
彼は振り返りもせずに、強面を一層険しくしてその男に声をかけた。
驚いてすらいない。後ろに人が立っていることに最初から気づいていたのか。
どうやら彼の知っている人間らしい。つまり……諜報部隊だろうか。
それにしても全く気配がしなかった。
この部屋のどこかを通ったはずなのに、風すら感じなかったのだから諜報部隊とは凄まじい。
……暗殺されないように、今のうちに仲良くしておかないと。
「魔王軍に大きな動きがありました」
予想通りの低い声で言葉を発する諜報部隊員。
「何があった」
皇帝が後ろに向き直り、さっきまで朝食を食べていた穏やかな様子とは打って変わって鋭い目をした。諜報部隊員が続ける。
「勇者アケチが、討たれました」
部屋の空気が一層冷たいものとなる。
彼は一つ息を吐いて、穏やかな海の先を睨みつけるように遠くを見つめた。
勇者アケチ。
確か六代魔王オダノブを封印した傑物だったはずだ。
その勇者が討たれたということは。
「つまり、魔王が復活したということか」
「いいえ。魔王オダノブは封印されたままです」
諜報部隊員は淡々と続けた。
「オダノブの腹心であったトミヒデが発起してアケチを討ち、自らを第七魔王と宣言したのです」
トミヒデ。
侍女で、しかも戦時には幼かった私には知らない名前だ。
「トミヒデ。確か魔王軍の内政官だったはずだが……帝国へ戻る」
皇帝は立ち上がった。
そして私の方を向いて、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「ツユ、慌ただしくしてすまない」
頭を下げる彼。
朝食は食べきれないほど残っているし、もう少しこの温泉街を歩きたかった。
――でも、私はまっすぐ彼を見た。昨日までの私とは違うのだ。
「ドーゴリゾートには、またサヌキ王にお金を出させて来ればいいだけです」
皇帝の目が少し見開かれた。
「セトウチの危機は私の危機、一蓮托生です。共にこの危機を乗り切りましょう!」
私は精一杯笑ってみせた。
緊張した彼の強面も、少しこわばりが取れたようだった。
◇
帝国に戻った私たちは皇帝の執務室で諜報部隊からの詳細な報告を受けていた。
七代魔王トミヒデ――オダノブの部下で内政官をしていた男だという。
内政官と聞くと穏やかな文官を思い浮かべるが、この男はそんな生やさしい人間ではなかったらしい。
目端が利き、何でもこなす。
武力で全国を統一しようとしたオダノブの部下でありながら、内政官として腹心の地位にまで成り上がった男。
武の頂点に立つ魔王の元で、武ではなく知で這い上がったということだ。
それだけでこの男の異常な優秀さが伝わってくる。
しかもただの内政官ではない。大事な場面では武も見せた。
かの最強の勇者アケチを、正々堂々の一騎討ちで討ち取ってみせたのだ。
オダノブを封印した英雄を内政官上がりの男が真正面から倒したという事実は、魔王軍全体に衝撃を与えたという。
アケチを討った武力を示すことで、オダノブ亡き後に散り散りになっていた魔王軍を一気に束ね直した。
そして束ねた軍勢を率いてすぐさま進軍を開始し、魔王軍がかつて拠点としていた地の一つを奪還した。
その地の名は、ヒメジ。
「ヒメジって……」
私は地図を見て、血の気が引いた。
「セトウチのすぐそこまで来ているじゃないですか!」
――なんてこと。
十年以上前に終わったはずの戦争が、また始まろうとしている。
セトウチのすぐそばまで迫っている。
私は皇帝と並んで執務室の地図に目を落としていた。
ヒメジはセトウチと地図の上で隣接しており、そこで魔王軍が陣を敷いていることだろう。
皇帝は腕を組んで、じっと地図を睨んでいた。
強面がいつにもまして険しく、眉間に皺を寄せて口元は固く引き結ばれている。冗談を言える空気ではないということは鈍感な私にもさすがに分かった。
何かかける言葉があるだろうかと、思案していたその時。
執務室の扉が叩き開けられた。
「大変です皇帝陛下!魔王軍から書状が届きました!」
そう言って書状のように真っ白な顔をした文官が転がり込むようにして入ってきた。
皇帝は無言で書状を受け取って封を切った。私も横から覗き込む。
そこには高圧的な文字で書かれた文面が広がっていた。
『天下は遍く魔王のモノ。すべては返還されなければならない。
こちらは人質として、モーリの長女を捕らえている。
返してほしくば今すぐ海賊行為を解散し、セトウチを開くこと』
セトウチの海を開け渡せ。つまりムラカミ帝国の解体を要求している。
――皇帝が守ろうとしてきた全てを、差し出せと。
「陛下、こんな要求呑む必要ありませんよね!?」
海賊行為を解散しろ?セトウチを開け渡せ?
ふざけるのもいい加減にしてほしい。
しかし皇帝は険しい顔を崩さなかった。
「モーリはムラカミにとって大恩ある相手だ。かつて共にセトウチを守った盟友の血を見捨てることは、義理を重んじるムラカミ一族の信条に反する」
海のムラカミ、陸のモーリ。
そのモーリの忘れ形見が人質にされている以上、知らぬ顔はできない。
「でも、魔王軍が本当に私の姉を捕らえているとは限らないんですよ!?」
魔王軍との戦いは私がまだ幼い頃に終わっている。
それから十年以上が経っているのだから、本当に姉が魔王軍の手にある根拠なんてどこにもない。
しかし皇帝は静かに首を振った。
「いや。なぜだか分からんが歴代の魔王は男児を殺して姫は攫うのだ」
その声は淡々としていたが、確信を持った響きだった。
「おそらくモーリの姫も、魔王の手にあるだろう」
皇帝は腕を組み直して考え込んだ。強面の奥に、苦悩が見える。
ムラカミ帝国を守らなければならない。しかしモーリの恩義を捨てることもできない。
二つの義の間で、彼は板挟みになっている。
――私は思い出していた。
皇帝が語った、セトウチの在り方。
皆が自分の得意なことをして、皆で豊かになるという想い。
アズキアイランドで見た、勝麺男の誇らしげな顔。
おりーぶ畑に苗を植えていた島民たちの笑顔。
ナオアイランドの錬金術師たちが連続錬金法に歓喜した声。
それら全てが、魔王軍に踏みにじられようとしている。
彼が大事にしてきた、このセトウチが。
私にできることはないのか。
一介の侍女に。いや、影武者に。
いや――モーリの娘に。
――覚悟を決めろ、ツユ。
気づけば私は彼の手を取っていた。
先日、私の頬に触れてくれた手。その手を両手で包んで。
私はいつも通りに言いたいことを言う口で、覚悟を告げていた。
「私が行きます」
「何を言って……」
「これはモーリ家の問題です。私が行って、姉を取り返してきます」
「お前は何を言っているんだ!」
皇帝が珍しく声を荒げた。
この人がこんな声を出すのを聞いたのは初めてだった。
でも、私は怯まない。
「影武者として怖い海賊皇帝に嫁いできたんですよ?」
私は笑いかけた。
「私がそこで何をしたか覚えてますか?」
皇帝が何かを言いかけたが、私は続けた。
「強面の皇帝にも引かず。イツクシマの女神にも引かず。アズキアイランドを救い、錬金城主にド悪党と啖呵を切りました」
一つ一つ指を折る。
……我ながら、本当にめちゃくちゃなことしかしていない。
「全部、度胸だけで乗り切ってきました。不格好で、恥ずかしくて、いつも後から後悔するけど。でも乗り切ってきたんです」
「しかし、相手は魔王軍だぞ!そんなところに行かせられるわけ……」
何かを言いかける彼の口を。
――私は、自分の口でふさいだ。
唇が触れた瞬間、彼の身体がびくりと跳ねたのが分かった。
私だって心臓がうるさいぐらいに鳴っていた。
でもこれぐらいしないと、この強面は黙ってくれないと思った。
唇を離して、私は彼の目をまっすぐに見た。
「相手が魔王になるだけです」
そんな大見栄を、私は切った。
「無事に姉を連れて帰ってくるから。だから……私を信じて」
彼の瞳が強面の奥で揺れて、珍しく彼の方から目をそらした。
私は彼に背を向けて、部屋をあとにしようとした。
「待て!」
その声に足が止まる。
振り返ると皇帝はどこか苦しそうな顔をしていた。
「走り出したお前を止められないことは、俺もよく分かっている。……でもせめて、最高の護衛をつけさせてくれ」
彼が私をまっすぐ見据えると、手を上げて合図をした。
部屋に入ってきた影が二つ。
一つは黒装束。
先日、心臓が止まるほど驚かされた諜報部隊――コバヤ衆の男だ。
そしてもう一つは見慣れた顔。
ヨシカワだ。
皇帝の前だから相変わらず顔を引き締めて無言になっているが、目だけは「やれやれまたですか」とでも言いたげだった。
こんな時なのに、ヨシカワの顔を見るとなぜだか何とかなりそうな気持ちになってしまう。
「ヨシカワ。そして、コバヤカワ」
皇帝が二人の名を呼んだ。
コバヤカワ。
黒装束の諜報部隊員の名前を、私はこの時初めて知った。
「俺の大事な人を、守ってくれ」
大事な人と、彼はそう言った。
二人は同時に膝をつき、深く頭を垂れた。
臣下の礼。それは命に代えても守り抜くという、無言の誓いだった。
……さあ行こう。
「信じて」と見得を切ったのは私なのだから。
背を向けて歩きだす私の横にヨシカワが立ち、コバヤカワが音もなく後ろに控えた。
こうして我々三人は、セトウチの命運を背負い、ヒメジへと発ったのだ。




