3. 私はイヌ?
連れて来られた小さな小屋で、男は麺を茹でて差し出してくる。
「さあ食ってくれ!」
丼の中には確かにうどんらしきものが入っていた。
らしきもの、と言ったのは見た目の時点で嫌な予感がしたからだ。
麺がだらんと力なく丼の底に沈んでいる。
……いやいや。見た目で判断してはいけない。
私は麺をすすった。
「…………」
――まずい。
うどんはのど越しが命だ。そのためにはコシが何よりも大事なのだ。
それなのにこの麺にはコシが一切ない。でろでろと口の中で崩れる。
これはうどんではない。
うどんの形をしたゴミだ。
「これはうどんへの冒涜ですね」
私は男をまっすぐ見据えた。
「これをうどんだと名乗った瞬間、サヌキの民として私があなたを斬り捨てます」
よっぽどキマった目をしていたのだろう。男が一歩後ずさった。
「……まあそうか。美味くねぇか」
男は肩を落として残念そうに言った。
しかしその目に宿る光は消えていない。
「実は俺、サヌキで生活していた時期があってな」
男はぽつりぽつりと語り始めた。
「その時に食ったうどんに感動したんだ。こんなに美味いものが、そのへんに生えてるうどん子からできるのかって」
うどんに感動した。その気持ちは分かる。サヌキのうどんは確かに人の心を動かす力がある。
だがしかし。
感動したのであれば、なぜこの似ても似つかないゴミが出来上がるの?
「だからこの島でも広めたいと思ってずっと試行錯誤してるが、うどんには一つだけ気に食わねぇところがあった」
男の目に火が灯った。
「子供や年寄りが食えねぇほどコシが強いことだ」
「でもコシがあるのがうどんですよ?」
「分かってる」
男は拳を握りしめた。
「分かってるんだ。だが俺はどうしても、この素晴らしい食べ物を誰でも食べられるようにしたかったんだ!」
その目は本気だった。
サヌキのうどんに心を打たれ、それを広く届けたいと願っているのは本当のようだ。
「それでコシを犠牲にしたんだが……」
……なるほど。作りたかったものは分かった。
子供でも老人でも食べられる、優しいうどん。志は立派だ。
――でも。
「そうすると美味しくなくなったと」
私がそう言うと、男は無念そうに項垂れた。
うーん。
私は腕を組んで考える。
この男の志は立派だが、うどんからコシを抜くのは、うどんからうどんを抜くのと同じことだ。
「やっぱりうどんはコシがあってこそなんですよ」
私がそう言うと男は悔しそうに唇を噛んだ。
分かっているのだ、この男も。コシを抜いたらうどんでなくなることぐらい。
分かっていて、それでも誰もが食べられるものを作りたくてもがいている。
「だから、うどんのコシをそのままに別の工夫ができないかな」
ふと思いついたことを口にしてみる。
「例えば、うどんを短くするとか。もっと細くするとか……」
コシが強くても麺が細ければ噛み切りやすい。
子供の小さな口でも老人の弱い歯でも、細ければいけるのではないか。
「うどんを細く……」
男がつぶやいた。
その目に灯っていた火がどんどん大きくなっていく。
「やってみる価値はありそうだ!」
男は叫ぶと、私たちのことなど見えていないかのように生地を練り始めている。
話しかけても聞こえていないだろう。
――上手くいくといいね。
さて、でろでろのうどんもどきで不本意にも少しだけお腹を満たしてしまった。
私は麺を伸ばし続ける男の背中を眺めて、そっとその場を後にした。
◇
「で、島の魅力は見つかったか?」
屋敷に戻ると、皇帝が開口一番にそう聞いてきた。
「いえ。うどんのようなゴミを食べさせられてきました」
私が正直に答えると、皇帝は怖い顔をさらに歪ませた。
何を言っているんだこいつ、という顔だ。最近この顔をよく見る気がする。
「まあいい。こちらには収穫があった」
「え、私を差し置いて島の魅力を見つけたんですか!?」
ずるい!
私がゴミを食べさせられている間に、この強面は美味しい食べ物を食べていたの!?
「この島の岩石を調べると興味深いことが分かってな」
……なんだ、岩か。
岩なら私には関係ない。食べられないものに興味はない。
「調査をするために一度帝国へ帰ろうと思う。採取した岩を石工が豊富な領地の諸侯に見せたい」
帝国に帰って諸侯に会う。
それはすなわち、コムギ姫の知り合いに遭遇するリスクを意味する。
却下である。
「私はこの島に残ります!」
「……なに?」
「コシの強いうどんを誰でも食べられるものに改造するんです!」
私は怖い顔をした皇帝に言い放ってやった。
「何を言って……。いや、聞いても仕方がないな」
皇帝はため息をついた。
しかしその後、少し考え込むような顔をした。
「まあしかし、うどん子を使った食事ならば島民の主食になり得るか」
強面は一人で納得してくれた。
「ではまた数日後に迎えに来る。それまでに何か形にしておけ」
そう言い残して、皇帝は翌朝には慌ただしく島を発っていった。
◇
それから数日。
私はうどん男の小屋に足しげく通った。
「もっと細く!もっと繊細に!」
男の情熱は本物だった。
粉を練って生地を切る。ここまではサヌキのうどん職人と同じだ。
だが彼はそこから先が違った。切った麺を二本の木の棒にかけ、少しずつ引き伸ばしていくのだ。
まるで糸を紡ぐように。
その繊細な力加減はもはや職人技だった。
引き伸ばされていく麺を見ているだけで飽きない。
しかし、問題が発生した。
「くそっ、また張りついた!」
麺がある程度の細さになると隣の麺同士がぺたりとくっついてしまうのだ。
くっついた箇所を剥がそうとすればぷつりと切れる。
男は何度も試した。力加減を変え粉を変え、乾かす時間を変えた。
それでもやはり、ある一線を越えた細さになると麺は隣の麺と手を繋いでしまう。
……これはうどんの意志なのだろうか?
うどんとは太くコシがあり、堂々としたものである。
もしやこの麺は「俺は太くあるべきなのだ」と訴えているのでは?
「何か策はないものか……」
男が頭を抱え、私も一緒になって腕を組んでいると。
後ろで壁に寄りかかっていたヨシカワが何でもなさそうな顔でぽつりと言った。
「油を塗ればいいんじゃないですか」
「それだ!!」
私は膝を打った。
油を麺に塗れば張り付かない! 考えてみれば単純な話じゃないか!
私の中でヨシカワの好感度がほんの少しだけ回復した瞬間であった。
私は歓喜していたのだが、男を見ると微妙な顔をしている。
苦虫を十匹ほど同時に噛み潰したような渋面であった。
「油か……」
何だろう。
油を塗るだけの話にそこまで難しい顔をする必要があるだろうか?
「この島で油と言ったら、やはりあの油女のところに行くしかねえ」
油女?
聞き返す間もなく、男は「仕方ねえ!」と叫ぶと小屋を飛び出していったのであった。
早足の男を私とヨシカワは慌てて後を追う。
「ちょっと待ってくださいよ!」
急いでいるのか、呼びかけても男は振り向きもしない。
やがて道の両脇に見慣れない樹が並び始めた。
どうやら何かの果樹園らしい。
低い木々が整然と植えられていて、枝には小さな楕円形の実がなっている。
梅……にしては形に丸みが足りない。
私はこんな果物を見たことがなかった。
男は果樹園を突っ切り、その奥にぽつんと立っている小屋に向かってまっすぐ進んでいく。
そしてノックもせずに戸を荒々しく開け放った。
小屋の中では先日この男と盛大に言い合いをしていたあの女が、あの実を石臼ですりつぶす作業をしていた。
「何!?サヌキの援軍を連れて私に乱暴しに来たのね!」
女は目をむいて叫んだ。
……別に乱暴するつもりはない。
「おう油女。お前のところの油を美味いうどんにしてやるよ」
男はそう言い放つと、小屋の棚に並んでいた油の入った小瓶をひったくり、そのまま踵を返して出ていった。
「ちょっ……何するのよ!この泥棒!!」
女がわめいたときにはすでに男はいなかった。
怒り心頭の油女は鬼の形相をしていた。
――え、それは本当に泥棒では?
「あの……代金をお支払いしましょうか?」
私がおずおずと申し出ると、油女は唾を飛ばす勢いでわめいてきた。
「サヌキから来たあの男のイヌにもらう物なんて何もないわ!取り返さないと!」
イヌ?
私はイヌ?
油女は私の返事を待たずに小屋から飛び出し、男を追いかけて走り去っていった。
残された私とヨシカワは顔を見合わせた。
「えぇ……」
「まあ、戻りましょうか」
ヨシカワが何でもないことのように言ったのだった。




