沖縄防衛戦
沖縄防衛戦
1945年5月。日本は各戦線で奮戦していた。
ソロモン・ニューギニア方面では粘り強い防戦を続け、戦闘機と少数の光毛玉で対空戦闘を行い、敵機に出血を強いていた。マリアナ諸島、ペリリュー島、ルソン島、硫黄島では持久戦を継続していた。
中国方面では大陸打通作戦で大きく占領地域を拡大し、占領地の維持に手を焼いていたが、日本の傀儡政権である新国民政府に治安維持を任せ、日本陸軍は総力を上げて重慶・成都攻略を推し進めていた。
ビルマ方面では、無謀なインパール作戦を輸送機による食料などの空中投下や、光・水毛玉の活躍により支え続けたものの攻勢防御という目的は失敗し、持久戦へと移行していた。
同盟国のドイツでは、新型機のジェット戦闘機ハインケルHe162や串型双発戦闘爆撃機ドルニエDo335が量産されていたものの、制空権の確立には至らず徐々に追い詰められていた。
それでも人造石油工場や兵器工場がある程度健在であったため、連合国軍と正面からぶつかり合っていた。
東京大空襲への報復成功が大々的に国民に報じられる中、沖縄では米海軍による砲爆撃が激しさを増していた。
沖縄本島への空襲では、光毛玉と直掩機の迎撃で米軍機に大損害を与えていたが、艦砲射撃を受ける段階で航空隊は沖縄を離れていった。
日本軍は沖縄本島に集結済みであったため、米軍は沖縄攻略の前線基地を何ら抵抗を受けることなく慶良間諸島に造っていった。
1945年6月、沖縄本島へアメリカ軍が上陸した。
日本軍守備隊は、縦深防御に基づき持久戦を開始した。
米上陸部隊が沖縄本島へ上陸した事で、これまで戦力を温存していた日本海軍による反撃が開始された。
とはいえ米艦隊の規模は膨大であり、それを守護する米機動部隊だけでも強大な戦力であった。
日本機動部隊の空母は全艦新型機の離着艦が可能になっており、風毛玉を用いた発艦や新型着艦制動装置を用いた着艦訓練も終えていた。
艦上戦闘機烈風が主に搭載されており、艦上爆撃機彗星が少数載せられていた。
九州周辺は対潜哨戒を徹底して行い、姿を隠蔽した戦艦部隊が既に沖縄を目指し先行し、同じく姿を消した機動部隊が九州の制空権内南部に移動した。
米艦隊の位置は偵察機が把握しており、特に闇毛玉搭載二式飛行艇晴空改が接触を続けていたが、電探に捉えられるため晴空改以外の各偵察機は電探欺瞞紙をまき、航空機を偽装しかく乱していた。
日本機動部隊の第一次攻撃隊は、地上発進した艦上偵察機彩雲に先導され、烈風と少数の彗星が米機動部隊へ向け飛び立った。
同じく第二次攻撃隊も烈風と少数の彗星であり、第一次攻撃隊の後を追った。
第一次攻撃隊は米機動部隊の直掩機による迎撃を受け、数と性能に勝る烈風が優勢に戦闘機掃討戦を行った。
米直掩機は大半が艦上戦闘機F4Uとなっており、やや性能の劣るF6Fの割合が半分以下となっていた。
戦闘機掃討戦が行われる中、彩雲と彗星は米機動部隊に接近し、迎撃を受ける前に電探欺瞞紙を散布して離脱した。
第二次攻撃隊も同様に戦闘機掃討戦を行い、より米機動部隊の近くで電探欺瞞紙をばらまいた。
続いて、九州から零式艦上戦闘機を主体とした攻撃隊が飛来し、性能差を数で補い戦闘機掃討戦を行った。
日本機動部隊の攻撃隊と同様に、彩雲などが米機動部隊の至近で電探欺瞞紙をまき離脱した。
この間に、日本機動部隊に向けた米機動部隊の攻撃隊が二派飛来したが、日本機動部隊は姿を隠蔽し、紫電改を主体とする九州から支援に来た迎撃機で迎え撃った。零戦ほどの航続距離がない戦闘機は、機動部隊の直掩を担うため九州に集められていた。
米攻撃隊迎撃はF4Uが性能に勝るも、それを数で補い米艦爆艦攻を着実に撃破していった。
九州からの二派目の攻撃隊が米機動部隊の上空に電探欺瞞紙をまき、日本機動部隊は第三次攻撃隊を送り出した。
日本機動部隊には九州で待機していた艦上攻撃機流星が着艦し、第四次攻撃隊の準備に取り掛かった。
第三次攻撃隊が米機動部隊上空に電探欺瞞紙をまき、日本機動部隊が米攻撃隊の攻撃を受けようとするも、護衛戦闘機の減っている米攻撃隊を紫電改などの直掩機が撃退し、第四次攻撃隊を送り出した。
九州からの三派目の攻撃隊が数の減ってきている米直掩機を拘束し、米機動部隊上空に電探欺瞞紙を駄目押しとばかりにばらまいた。
そして、先行していた日本戦艦部隊は米機動部隊の間近まで迫り、一斉に攻撃を開始した。
特に接近していた水雷戦隊は米新型戦艦に必殺の酸素魚雷を放ち、米巡洋艦や駆逐艦を相手にするべく急速に離脱した。
日本戦艦部隊の砲撃は初弾から米正規空母を撃破していき、数回の砲撃で米機動部隊の全空母は戦闘能力を失った。
米新型戦艦も反撃してきていたが、61cm酸素魚雷が片舷に複数本命中したことで、ほぼ戦闘能力を奪うことに成功した。
損害は軽微であった日本戦艦部隊は、空母と戦艦を撃破した後は戦果拡大は行わず急速に離脱し、再び姿を隠蔽した。
海戦のあった海域には、米輸送船団を護衛する艦隊の小型空母から来たと思しき攻撃隊が飛来するも、日本戦艦部隊は姿を消しているため攻撃を受けることはなかった。
初めて敵の目前で闇毛玉の隠蔽を解いたため、今海戦以降の戦闘では対策が講じられる可能性が高く、日本海軍はそれを前提に戦っていくことになった。
日本戦艦部隊が離脱した後の米機動部隊へは、日本機動部隊から飛来した第四次攻撃隊が襲い掛かり止めを刺していった。
マリアナ沖海戦以降の日本海軍は、米機動部隊に対し正面から戦いを挑むことを避けていたが、遂に強敵である米機動部隊を撃滅することに成功したのであった。
この段階でようやく温存されていた台湾の攻撃隊が二派に渡り米輸送船団とその護衛艦隊に迫り、やはりこれまで同様に電探欺瞞紙をばらまき、電探のかく乱を行った。
台湾の航空隊は、九州のように全国から戦力を集められるわけではないため、米艦隊の航空戦力が減少するまで温存されていたのだった。
日が暮れ夜間となり、九州から米輸送船団とその護衛艦隊に、夜間戦闘機月光に護衛された陸上攻撃機銀河の大編隊が攻撃を仕掛けた。
電探欺瞞紙も散布したが、銀河による赤外線誘導対艦徹甲爆弾であるケ号爆弾の一斉投下が行われた。陸軍が開発したケ号爆弾は、自由落下する徹甲爆弾を熱源に誘導するため、先に着弾し大きな熱源を作るとそちらに引き寄せられるため、一斉に投下する必要があったのである。
ケ号爆弾の命中率は水平爆撃よりマシといった程度であったが、多数の米艦船に命中した。
そしてその混乱する米艦隊に、日本戦艦部隊が攻撃を仕掛けたのである。
炎上する米艦船が光源となる中、日本戦艦部隊は姿を消した状態で接近し、圧倒的有利な状況で砲雷撃戦を開始した。
米上陸部隊を放置して逃げることができない米艦隊は、踏みとどまり応戦し、沈んでいった。
沖縄沖海戦は、レイテ沖海戦における勝利を上回り、日本海海戦をも上回る大勝利となったのであった。
まさに、一撃講和の機会であった。
米海軍の被った損害は膨大であり、これからさらに沖縄の米上陸部隊への攻撃も控えており、今回の決戦によってさしものアメリカも講和に応じざるを得ないだろうと考えられた。
圧倒的勝利を収めた日本戦艦部隊は、砲弾の補給のため一旦下がった。
そして、沖縄本島の米上陸部隊への攻撃は、まず九州・台湾と沖縄近海に移動した機動部隊の航空隊が行った。
やがて日本戦艦部隊も艦砲射撃で攻撃に加わり、米上陸部隊に大打撃を与えていった。
ところが、連日沖縄本島の米上陸部隊を攻撃していた日本戦艦部隊が、米艦載機の攻撃を受けたのである。
偵察機も飛ばしていたのだが、完全なる奇襲となったのであった。
直掩機の烈風が対応するが、米攻撃隊を護衛する新型艦上戦闘機の数が勝り、米艦爆艦攻の攻撃を許してしまうのだった。
日本戦艦部隊は大きく損傷し、戦闘継続を断念し撤退を余儀なくされたのである。
次いで米艦載機は、日本機動部隊へと攻撃を仕掛けてきた。日本機動部隊は沖縄の米上陸部隊攻撃のため、艦載機の離着艦を行っており、闇毛玉による隠蔽は間に合わなかったのである。
日本機動部隊の直掩機が米護衛機と同数程度で対応するも、米新型艦上戦闘機の前に烈風ですら性能に劣り、日本機動部隊は空母への攻撃を許してしまうことになった。
日本機動部隊は多数の空母が損傷し、やむなく撤退を決断。
沖縄本島の米上陸部隊を、あと少しというところまで追い込んでいただけに、非常に悔やまれる結果となったのであった。
偵察の結果、多くの小型空母や軽空母からなる大規模な米機動部隊が来襲してきたと判明した。
沖縄では日本軍守備隊による反撃も開始されていたのだが、流れが大きく変わってしまったのであった。
しかし、これまでの間に沖縄の日本軍守備隊へは補給と増援が送られており、十分持久戦に耐えられると考えられた。
そして時間を稼ぎ、日本軍は再び反撃の機会に全力を尽くす構えであった。
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