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護国の英雄ケサランパサラン  作者: 敵機直上急降下


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降伏という名の講和

降伏という名の講和


 1945年6月。沖縄沖海戦後、B-29の戦術が変化した。


 東京大空襲への報復の損害を復旧した米軍は、光毛玉による迎撃が困難になる梅雨の日本に対し、B-29による爆撃を強化していた。しかし、雲により目視できない地上目標であるため命中率は低く、硫黄島からのP-51戦闘機の護衛がついているものの迎撃戦闘機と高射砲により少なくない損害を出していた。

 そのため米軍は効果の薄い爆撃から、機雷の敷設へと方針を転換したのだった。


 このB-29による機雷敷設が物流を阻害し、日本にとって大打撃となったのである。

 大雑把に海上へ投下される機雷は膨大な数に上り、B-29の爆撃圏内にある航路や港湾を全て封鎖していく勢いであった。


 海軍は機雷の掃海に努め、陸海軍航空隊や高射砲は全力でB-29の迎撃を行った。

 しかし、掃海で取り除ける機雷よりも、投下され敷設される機雷の方が圧倒的に多かったのである。


 1945年7月。ドイツではホルテンHo229が投入されるも、戦局は覆すことはできず、遂に連合国に降伏するのであった。

 ソ連がドイツとの戦争を終えたことで、日ソ中立条約が1946年4月に失効する日本としては、四面楚歌となる状況になった。


 中国方面では大陸打通作戦後、占領地の治安維持を新国民政府に任せ、日本陸軍が総力を挙げて重慶や成都の占領作戦を行い完遂した。

 その原動力はやはり毛玉であり、連合国軍の航空攻撃は悉く撃墜し、強固な陣地は丸ごと焼き払い、飲料水に困ることなく突き進んだのであった。


 国民政府はさらに昆明に遷都し、徹底抗戦の構えを見せた。

 だが長らく続き、大東亜戦争の切っ掛けとなった支那事変もようやく終わりが見えてきたのである。


 しかし依然として機雷による物流の停滞は深刻で、兵器生産に影響が出て、都市部への食糧供給が滞り、中国方面への補給にも影響が出ていた。

 重慶を攻略し支那事変は解決目前と考えていた陸軍は、昆明攻略作戦を延期せざるを得ないのであった。


 機雷対策としてコンクリート製の戦時標準船を建造し、その頑丈さで掃海するなども行われたが、それでも機雷掃海はB-29の機雷敷設に追いつかなかった。

 各島嶼への補給も、比較的安全な東北から物資が送られるため輸送距離が伸び、その分米潜水艦による襲撃の機会が増え、被害を受ける確率が高まっていた。


 同7月末に連合国より日本に対し、降伏勧告が行われた。それは交渉の余地のない、無条件降伏を求めるものだった。

 日本は劣勢とはいえ、軍はまだまだ挽回できると考えており、無条件降伏など認められるはずもなく、有利な講和を引き出すべく徹底抗戦の構えであった。


 1945年8月となっても、B-29とその護衛戦闘機であるP-51との戦いは続いていた。

 米軍の気象予報能力は高く、的確に曇りの時を狙い来襲していた。もちろん雲の切れ目から姿を見せれば、たちまち光毛玉により撃墜していた。


 日本もジェット戦闘機橘花・震電を投入し、各地に五式十五糎高射砲が配備され、光毛玉が機能しない悪天候時の防衛を担っていた。

 主に橘花がB-29を迎撃し、震電が一撃離脱戦法でP-51に当たっていた。



 この日、いつものように海上で迎撃を行っていたところ、撃破したB-29が爆弾を投下し、それが海上で凄まじい閃光と共に大爆発を起こしたのである。

 それは伊勢湾で起き、伊勢湾への機雷敷設を行うB-29の編隊だと思われていたが、爆弾であったため目標は名古屋であったと考えられた。


 この前代未聞の大爆発を観測した日本軍は、アメリカが新型爆弾を投入してきたと考え調査に乗り出した。

 しかし、機雷が漂う海上を調査するのは困難で、沿岸部の聞き取り調査や迎撃機の搭乗員からの聴取により、新型爆弾が原子爆弾の可能性が高いと予測し、米軍が新型爆弾を使用した事を大本営に報告した。


 強烈な閃光と数kmに及ぶ大爆発。風下で放射線測定器を使用した際反応があった事から、原子爆弾で間違いないとされ、大本営は対策を検討した。

 もし、大都市に落とされれば東京大空襲の比ではない犠牲者が出る事が予想され、政府も大本営も対応に苦慮することになった。


 初の原爆投下より三日後のB-29迎撃戦で、再び原爆が投下され、今度は相模湾で炸裂した。

 横浜を目標としていた物であると予想され、多くの者が目撃していた。


 幸い2発とも海上であったが、次もそうである可能性は低く、政府は連合国の降伏勧告を受け入れる否か検討に入った。

 無条件降伏の条件で天皇制は維持される事と、占領地や満州・朝鮮半島・委任統治領などは手放す事になるが、南樺太・千島・台湾・半ば占領されている沖縄や硫黄島も日本領と認められていた。


 しかし、陸海軍に対しては完全なる降伏を要求してきており、軍国主義の完全排除や、連合国と日本が共同で行う戦争責任の追及、民主化や文民統制を行うための憲法改正などが要求されていた。

 政府としてはアメリカは十分に譲歩しており、日本にとって不利ではあるが実質的に講和の条件を提示しているのと同義であり、それを無条件降伏の条件にしているものと判断した。しかし、軍としてはまだ負けていないという意識が強く、いざとなれば武力による政権転覆もありうると考えていた。


 政府や大本営の方針が定まらない中、御前会議が開かれ、意見が真っ二つに割れたことで、首相が陛下の意思を確認し、御聖断が下された。

 日本は無条件降伏を選択したのであった。


 軍の完全降伏はあるものの、御聖断が下り、しかも天皇制は維持されるため、軍の反発は拍子抜けするほど弱く、連合国への無条件降伏受諾の通告はすんなりと行われた。

 陛下の御意思であるならば、ということなのであろうが、それならば何故開戦を決める御前会議の場において示された、陛下の御気持ちを汲めなかったのかという話になるのだが、今更言っても詮無いことであった。


 連合国への無条件降伏受諾の通告は行った。ところが、その直後にB-29の大編隊が夜間来襲したのである。

 ただ、雲が少なかったため光毛玉が全力を発揮することができ、光毛玉の射界に入ったその悉くを撃墜したのであった。



 無条件降伏の条件の一部に、光線兵器・透明化兵器の譲渡と技術・情報の引渡しが盛り込まれていたため、光毛玉と闇毛玉そして火毛玉に関する資料のみ残し、他の毛玉に関する資料は全て焼却処分を行った。

 特に土毛玉に関しては、厳重に秘匿されるのであった。



 1945年9月。日本は降伏文書に調印し、正式に降伏した。

 長らく続いた戦争が終結し、終戦を迎える事になったのであった。

お読みいただきありがとうございます

後1話です。よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
同じ降伏でも史実よりだいぶマシですね。軍の解体と憲法改正はネックですが東京大空襲や沖縄の民間人の死者数も史実より少ないし原爆被害もほぼないし、なによりルメイを燃やせてるので史実知ってる人から見れば納得…
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