戦後
戦後
戦後、米軍は一時的に日本を占領した。
そして光線兵器・透明化兵器の正体を知り、困惑した。未知の生物。そうとしか言いようがない毛玉を見ての反応だった。
資料を受け取り、毛玉の巣を調査し、その場所の異常性に米軍は気が付いたのである。
毛玉そっちのけで「毛玉の巣」と呼ばれていた洞窟が調査され、程なく下の階層への階段を発見し、その先で異形の生物と遭遇した。
子供ぐらいの身長で肌は緑色、筋肉質の身体をしており、頭に小さな角を持つ凶悪な貌をした生物であった。
攻撃性が強く、人を見ると襲い掛かってくるのである。
米軍の調査で、毛玉の巣は特殊な空間であることが分かり、その空間の生物は人に対して非常に攻撃的であり、その生物を殺傷すると消滅し、小さな石を残すことが分かった。
この謎の空間の調査を、米軍と日本政府は共同で行う事となり、予算は全て日本が持つことになった。実質米軍の占有なのだが、日本政府が予算を出すことで共同調査に持っていけたのである。
米軍に譲渡された闇毛玉は調査検証が行われた後、日本に返還された。
透明化はできるが、可視光線以外で捉えることができたため、仕組みが分かれば不用とされたのだった。
火毛玉も検証が終わると返還された。
収束火炎放射の威力は絶大であったが、射程が2km程度しかなく、火毛玉が巨大で目立つため、兵器としては使いにくいと判断されたのだった。
光毛玉は全て集めると相当な数になったが、その全てを米軍に譲渡することになった。
米軍は光毛玉を運用する兵士達の協力の下で調査検証を終わらせると、航空機とその乗員の多大なる犠牲への報復として、光線兵器としての光毛玉の処分を決定した。当然日本側からの反発はあったものの、光毛玉を兵器と認識していた米軍に押し切られたのである。
光毛玉を運用する兵士達は、泣く泣く光毛玉に別れを告げ、後は自由にしてよいと指示を出し、光毛玉を集めた演習場を後にした。
演習場に集められた光毛玉に対し、米軍はM2重機関銃による掃射を行った。ところが、殺意を持って攻撃してくる米軍に対し、自由を与えられた光毛玉は無抵抗ではなかったのである。
今までは数秒間照射していた光線を極短く照射し、機銃弾はおろか機銃手やその周辺の敵意を向ける米兵に反撃したのである。米兵は皆頭部を正確に焼かれ屠られていった。
米軍は戦車を持ち出し砲撃するも、砲弾は発射後すぐに焼かれ爆発し、さらに砲身内の砲弾を焼かれて撃破されていった。
重砲による遠距離砲撃は砲弾が空中で焼かれ爆発し、当然雲の上からの航空攻撃は爆弾を空中で焼かれ破壊され、光毛玉と米軍の戦いはしばらく続いたのだった。
米軍は光毛玉を運用していた日本兵に、廃棄予定の船舶に光毛玉を運ばせ魚雷によってまとめて処分することを考え要望したが、日本側からは譲渡済みであるとして拒否された。
光毛玉との戦いによる米軍の損害が問題になり、ようやく米軍は諦めたのだった。
光毛玉は日本に返還され、運用する兵士達だけが近づくことで回収されたのだった。
ちなみに生餌はどうしていかかというと、演習場のそこらじゅうに虫がいるため、それを捕食していたものと推測された。
最終的に米軍は光毛玉を活用する場合、光毛玉と共に運用する日本兵を出向させることにした。
運用する日本兵の手を離れた光毛玉の凶悪さを、身をもって知ってしまったためであった。
もっとも、米軍が光毛玉を活用することは、ほとんどなかった。
それは、毛玉の巣と呼ばれた場所が原因であった。
その地下空間では、襲い来る怪物を近接攻撃または弓や投擲などで倒すことで、兵士達の身体能力が飛躍的に上昇していったのである。
切っ掛けは、兵士が銃剣で怪物を屠っていたことで判明した。その兵士は常人以上の膂力を手にしたのである。
また、自分の状態を確認することが出来ると分かり、その中で自分の力の段階を知ることが出来たのである。
兵士達はどんどん先へ進み、物語に出てくるような魔法を使い出し、やがて毛玉の力すら超えていったのであった。
米軍はその力を国共内戦で試し、朝鮮戦争で本格導入し、ベトナム戦争で同じ力と戦う事となったのである。
毛玉が日本に返還されたため、政府は戦時中の毛玉の活躍を国民に公表した。
日本国民は毛玉によって護られていた事を知り、一気に毛玉人気が高まるのだった。
日本における毛玉の人気は、後に日米の映画などの違いとして現れるようになっていく。
アメリカ映画では無機質にまたは恐ろしい存在として表現しており、日本の毛玉愛好家からは可愛くないと不評であった。対して日本では、可愛らしい好ましい存在として表現しているが、実物を知る者達からすれば、極端に誇張し過ぎと感じられていた。
戦後になって東京大空襲の報復作戦により、件の虐殺指揮官が行方不明であることが日本に伝わり、軍民共に溜飲を下げることができた。
戦後知る事となったものにはドイツへの影響もあった。
アメリカはソロモンニューギニア方面で、多くの陸軍機とその乗員を失っていた。その影響が欧州西部戦線に僅かに及び、ドイツに対する戦略爆撃の規模が予定をやや下回る結果に繋がり、それによってドイツの人造石油工場や兵器工場がある程度生き残る結果となったと分析されていた。
実際のところソロモン・ニューギニア方面では、闇毛玉輸送船による補給のおかげで、日本陸海軍の有力な戦闘機が数多く稼働率が高い状態で展開できており、P-51やP-47そしてP-38といった米陸軍戦闘機と渡り合い損害を与えていっていた。
また、多くはないが光毛玉も配備していたため、その分だけ米陸軍機を撃墜していったのである。
実は日本に対する無条件降伏の条件は、もっと苛烈な内容となる予定だったことを知ることになった。
レイテ島や沖縄本島への日本戦艦部隊による艦砲射撃で、米上陸部隊は十数万人という死者を出して、このまま対日戦が続くと対独戦での死者数を上回ることになるため、米国民の厭戦気分は高まっていたのである。
そしてドイツが降伏したことで、もう戦争は終わりという気運になっていた。
そこで米政府は知日派の陸軍長官の意見を取り入れ、日本が降伏し易い条件に改めたのだった。
他にも、原子爆弾は始めから海上で爆発させ、降伏を促すための威嚇だったと伝えられた。
しかし、被弾したB-29が投弾しているため、真偽の程は定かではなかった。
ちなみに、ソ連は否定しているが、ドイツ降伏から3ヵ月後にソ連は日ソ中立条約を破棄し、対日参戦するという密約が交わされていたという。
これが事実なら、日本はもっと領土を失う形で降伏していた可能性があったのである。
戦後日本は秘匿していた土毛玉の力で貴金属を抽出し、莫大な負債を処理することに成功した。さらにそれだけに留まらず、日本の金地金の保有量を増やすことができた。
金の鉱脈が有望な場所を掘り下げ、地下から金を抽出することも行い、土毛玉は戦後日本の救世主となったのであった。
国共内戦が起こり、日本は国民党に武器を輸出し潤うことができた。
徴兵制が廃止され、侵略戦争を行えない憲法が制定されたため、賠償兵器とは別に余剰の兵器を売却したのである。さらに九九式短小銃など求められる武器は生産が続けられ、武器輸出産業は存続し続けた。
大東亜共栄圏で独立させた国々にも日本の武器は渡っており、戦後の独立戦争に活かされ、独立後も日本の兵器の輸出先となっていった。
中国は国境内戦で、北部から西部の共産党と、南東部の国民党に分断された。
国民党は昆明にまで追い込まれていたところから、せっかく満州までをも手にしたのにもかかわらず、またも全てを失う危機に瀕し、どうにか米軍の介入で現在の領土で停戦したのだった。
朝鮮半島は連合国の意向により独立したが、北の共産勢力が入り込み朝鮮戦争が勃発した。
アメリカの本格的な介入により、共産勢力を半島からたたき出すことに成功した。
朝鮮戦争が終わった頃から、世界中で毛玉の巣と同様の洞窟が発見されだした。
アメリカでも多数発見され、事実上アメリカに占有されていた毛玉の巣での共同調査は終わりを迎えた。
毛玉の巣は国の管理下で、主に軍や警察が活用していたが、ベトナム戦争が起きたことで重要性が増した。
常人を超えた者同士の戦争が行われ、新たな戦争の形態が示されたのである。
毛玉の巣と同様の洞窟は各国で様々な名称で呼ばれていたが、コンピューターゲームの発達に伴い、迷宮やダンジョンと呼ばれ出し、2000年代この洞窟が民間に開放される頃には、概ねダンジョンと呼ばれるようになっていった。
日本では毛玉の巣と呼ばれることが多かったが、徐々にダンジョン呼びが増えていった。
日本のダンジョンは難易度が高くなっていた。
それは一階層に出るモンスターであるケサランパサランを討伐できないためである。
日本では小学校の時から毛玉のことを護国の英雄として教えており、さらに物心つく前から絵本などで毛玉のことが刷り込まれていた。
そのため毛玉を愛でることはあっても、攻撃するなどありえないとされていた。
もしダンジョンで毛玉を攻撃したことが判った場合、探索者資格は剥奪され、社会的制裁を受けるまであるのだった。
このため日本のダンジョンでは、一階層でレベルを上げることができず、いきなり二階層のゴブリンとの戦闘になるのだった。
ダンジョンはゲームや物語の影響ですぐに稼げるイメージがあったが、実際は非常に渋く、魔石も燃料などに使われるが十階層以下の魔石は化石燃料との価格競争で非常に低価格であり、初期投資が回収できるのは十一階層以降でポーションを得られるようになってからであった。
素質がある者は探索者協同組合から初期投資として融資が受けられるのだが、何年も借金返済生活を送る羽目になる者が続出するという世知辛い業界だった。
ちなみに、毛玉の正式名称がケサランパサランと判明しても、既に毛玉で定着しており、わざわざケサランパサランと呼ぶ日本人は少なかった。
日本は軍国主義が排除され文民統制となり、民主化により華族制度が廃止され、大陸から完全に手を引いたことで負担が減り国内整備が進んでいった。
しかし最も大きかった変化は、敗戦が切っ掛けとなり軍事費が大幅に削減された事であった。その資金と人材が経済活動へ投入され、資源のない日本は加工貿易に注力し、そのための技術力を高めていった。
日本は戦後大きく経済発展を遂げたが、それを支えたのも土毛玉であった。
土毛玉による資金力で公共事業を加速させ、インフラの整備や農業の機械化と大規模化が進み、貧困層が急速に減っていき庶民の生活水準が上がっていったのである。
日本は様々な分野で技術力を付けていき、世界の産業の基盤を担うまでになっていった。
日本で大規模災害が起きれば、世界の工場が止まるとまで言われるほどになっていたのである。そしてそれは抑止力でもあった。
日本は戦争に負け大陸利権は失ったが、経済力と軍事力のバランスが取れた先進国となった。
また、冷戦では西側陣営となり日米同盟が結ばれ、冷戦後も日米同盟は続いてはいたがアメリカの言いなりなどではなく、日本は自主独立したれっきとした独立国家であり続けたのであった。
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