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護国の英雄ケサランパサラン  作者: 敵機直上急降下


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フィリピン防衛戦

フィリピン防衛戦


 1944年10月。太平洋のアメリカ軍はソロモン・ニューギニア方面・マリアナ諸島で戦闘を続けながらも、パラオ諸島ペリリュー島への上陸作戦を開始した。

 事前の砲爆撃はサイパン島の戦いを上回る規模で行われ、サイパン島の戦い以前に構築されていた水際陣地を悉く破壊していった。


 パラオ方面の日本軍守備隊はペリリュー島に集結しており、サイパンの戦いにおける戦訓を反映してそれまで構築していた水際陣地は全て放棄し、縦深防御に基づいた地下陣地などの構築を4ヶ月掛けて行ってきていた。

 米艦隊による攻撃で水際陣地は破壊されたが、既に放棄済みであったため日本軍守備隊に被害はなかった。むしろ直掩機と光毛玉による反撃で、米航空機に相当の損害を与えていた。


 米軍上陸後ペリリュー島守備隊は粘り強く抵抗し続けた。

 毛玉は寸法が巨大であり地下陣地への出入りが困難になるため、水毛玉を除く光毛玉などは航空隊と同様に地上戦が始まる前に島を離れ、水毛玉は地下陣地内に入れて出入り口は人が通れる程度に残して塞ぎ補強していった。


 清潔な水が小虫を対価に大量に手に入れられるため、飲料水の心配はなく守備隊は頑強に戦っていった。

 補給も細くはあるが維持されているため、飛行場は早々に奪われたものの兵士達の士気は高かったのである。



 1944年11月。アメリカ軍はフィリピンのレイテ島への上陸を開始した。


 事前に沖縄・台湾・フィリピンへの米機動部隊による空襲を受け、光毛玉と直掩機による迎撃で米航空機に大きな損害を与えていた。

 各地の飛行場も攻撃を受け多少の損害が出たものの、爆撃機や攻撃機などの航空機は掩体壕に避難しており、反撃は行わず決戦のため温存されていた。


 日本軍は米大艦隊の動きを捉え、偵察の結果フィリピンへ上陸作戦を行うと確信した。

 フィリピンでは既にルソン島に戦力を集結させており、ルソン島での地上戦の準備は整っていて、サイパン島やペリリュー島の戦訓に基づく縦深防御で待ち構えていた。


 また、サイパン島以来となる戦車戦も想定し、M4中戦車に対抗しうる三式中戦車が配備されていた。

 陸軍が準備した砲火力も予定数が配備されており、米軍の砲爆撃にさらされても破壊されぬよう、強固な掩体が築かれていた。


 海軍も準備を整えており、艦上爆撃機・攻撃機が揃わないため艦上戦闘機のみを搭載した機動部隊を囮とし、戦艦部隊がレイテの米艦船に突入する作戦を予定していた。

 艦上戦闘機は大半が零式艦上戦闘機であったが、空母信濃・大鳳・翔鶴・瑞鶴には艦上機に改良された紫電改が搭載されていた。


 戦艦部隊は戦艦の速度差があるため二つに分け、低速戦艦部隊を先行させ、比較的高速な戦艦部隊がその後を追う形をとり、レイテの米艦船へ突入する前に合流する予定であった。

 戦艦部隊は全て闇毛玉で隠蔽された状態でレイテを目指した。



 フィリピン決戦の作戦が発動され、日本機動部隊はレイテ湾より北東の海域に達すると、米機動部隊を釣り上げるため南西に進み始めた。

 戦艦部隊は台湾近海から南下し、低速艦隊は最短経路を南南東へ進み、高速艦隊は日本の制空権が残るルソン島の近海を経て南東へ進路を取った。


 レイテ島には日本軍の守備隊はおらず、米軍に占領された。

 米軍はここを前線基地とするべく、大規模な輸送船団を送り込んでいた。


 釣り出す予定の米機動部隊の位置は、闇毛玉搭載の二式飛行艇晴空改などにより常に把握していた。

 晴空改は姿を消せても電探に捉えられる為、晴空改以外の各偵察機は電探欺瞞紙をまいて航空機の偽装かく乱を行った。


 進捗は概ね軍令部の予定通りであり、日本機動部隊も作戦に変更はなかった。


 日本機動部隊は計画通り米機動部隊へ向け、戦闘機のみの攻撃隊を送り出した。途中まで先導した水上偵察機を除き全て零戦で構成された攻撃隊は、米直掩機の数を上回ることに成功し、最も有利に戦える高度3000m付近での戦闘機掃討戦を行った。

 米艦上戦闘機F6Fなどに対して性能の劣る零戦は、数的優位を活かしてどうにか互角以上の戦いに持ち込んだ。電探により誘導されたF6Fなどとの空戦は、米機動部隊の手前で行われた。


 戦闘機のみの攻撃隊帰投後、米機動部隊の進路が北東になり、誘引成功を確信した。

 おそらく、攻撃隊の後を偵察機がつけていたものと思われた。


 日本機動部隊は無線封止を解除し、北上を開始した。


 やがて、米機動部隊からの攻撃隊が殺到し、迎撃戦闘が開始された。

 零戦と紫電改による大規模な迎撃戦闘により、敵第一波の撃退に成功した。第二波は投弾を許してしまうが損害は軽微であり、撃退に成功した。


 台湾からの増援の零戦が到着し、空母信濃・大鳳・翔鶴・瑞鶴にて給油を行い直掩に加えていった。


 米機動部隊からの攻撃は5派にも及び、空母信濃・大鳳・翔鶴が被弾し、装甲空母である信濃と大鳳は装甲で弾き返し、翔鶴は離着艦不能となった。

 日本機動部隊は米機動部隊の誘引成功を打電し、計画通りに進んでいることを戦艦部隊に伝えた。


 米機動部隊は艦載機を大量に損耗しているにもかかわらず、大量の攻撃隊を送り込んできていた。おそらくは小型空母からの補充や、パラオからの増援を受けているものと推測された。

 日本機動部隊も台湾からの零戦の増援は受けていたが、物量差は歴然であった。


 翌日も米機動部隊からの追撃は続き、さらに数隻の空母が被弾したが囮作戦は大成功となった。

 幸いにも沈没するほどの損傷艦はなく、北上を続けた。


 日本機動部隊が米機動部隊を引き付け北上を続けている頃、戦艦部隊は合流を果たし、隠蔽を解いた。

 直掩として航空戦艦伊勢・日向から水上偵察機瑞雲がそれぞれ22機発艦し、その他の戦艦や巡洋艦からは偵察目的の水上偵察機が発艦し、レイテ沖に展開する米護衛艦隊を発見。日本戦艦部隊は米護衛艦隊を目指し突き進んだ。その過程でルソン島から増援の零戦が順次駆けつけ直掩となり、米護衛艦隊への突入を支援した。


 日本戦艦部隊は高速を発揮できる水雷戦隊を先行させ、米護衛艦隊の小型空母から五月雨式に飛来する攻撃隊を直掩機が撃退しつつ、米護衛艦隊への攻撃を開始した。

 戦艦は砲撃戦を始め、水雷戦隊は砲雷撃戦で米巡洋艦と駆逐艦を排除し、小型空母への攻撃を行わんとしていた。


 今海戦に投入した日本戦艦部隊の艦艇数は米護衛艦隊を上回っており、戦艦の数だけでも日本9隻に対し米6隻と優勢で、さらにその米戦艦は全て旧式戦艦でもあった。

 それに加えて巡洋艦と駆逐艦の数も上回っており、レイテ沖海戦は日本が有利な戦況で始まった。


 艦容の大きな戦艦大和と武蔵には米戦艦の砲弾が集中したが、大和型戦艦の防御力は高くその不沈性を誇示した。

 大和と武蔵が集中砲火を浴びる中、他の戦艦も旧式ながら奮戦していった。


 レイテ沖での艦隊決戦が日本有利で進む中、ルソン島の温存していた航空隊もレイテ湾に到着し、米輸送船団に対し爆撃を開始した。

 本来輸送船団を護衛すべき米小型空母の艦載機は、日本戦艦部隊の直掩機と交戦しており、輸送船団の直掩機は最小限となっていた。そのため、米輸送船団に対するルソン島航空隊の攻撃は、直掩機の反撃を護衛機が完封し行えたのである。


 沖縄や台湾の航空隊もルソン島へ増援に来ており、続く第二波の航空攻撃に参加し、レイテ湾やレイテ沖の米艦船に攻撃を加えていった。特に退避中の米小型空母は、小型とはいえ空母であるため格好の標的であり、真っ先に仕留めていった。

 これにより、レイテ沖に残る米艦艇は損傷著しい戦艦のみとなり、それもやがて沈んでいったのであった。


 米海上戦力を一掃した後、日本艦隊はレイテ島への艦砲射撃を開始した。

 レイテ島に陸揚げされていた物資や上陸部隊へ向け、砲弾の許す限り徹底的な砲撃を加えていったのである。同様にルソン島の航空隊も、米機動部隊の戦闘機が戻ってくるまでレイテ島の米上陸部隊を爆撃し続けた。


 劣勢な戦局であった日本は、アメリカに対し待ち望んでいた勝利を収めたのである。

 そして日本はこの勝利を持って、有利な講和を結ぶつもりであった。


 レイテ島への砲撃を終えた日本艦隊は、米機動部隊が戻ってくる前に帰還の途についた。

 損傷艦は多数出て航空攻撃を受けて沈没した艦も出たが、乗員達はこれまでの鬱憤を晴らせ、勝利の余韻に浸り、意気揚々としていたのであった。


 今回の戦いの結果、米上陸部隊に大損害を与え、輸送船団と戦艦6隻を含むその護衛艦隊の撃滅。米機動部隊の艦載機を多数撃墜破した。

 対する日本は、戦艦部隊の多数の艦艇が損傷し、水雷戦隊には沈没艦も出していた。機動部隊に空母を含む損傷艦が多数出ており、艦載していた戦闘機も消耗していた。


 日本海軍は勝利はしたものの、一時的に海上戦力を失ったに等しい状況となっていた。

 そんな海戦を行いたくでもできない状況ではあるが、さすがのアメリカも旧式とはいえ戦艦を6隻も失い、撤退せざるを得ないだろうと考えられていた。


 ところが、囮の機動部隊追撃を中止し戻ってきた米機動部隊は、レイテ湾近海に留まり続け、そして小型空母を多数有する護衛艦隊と輸送船団が再びレイテ沖に現れ、レイテ島への物資揚陸を再開したのであった。


 講和の話も進まず、対米戦争、そしてフィリピンの戦いは続行となったのである。



 アメリカはレイテ島の軟弱地盤に手間取りながらも前線基地を築き上げ、ルソン島への砲爆撃を行っていった。

 航空攻撃に対しては、光毛玉と直掩機が反撃を行い損害を与えていた。艦砲射撃に関しては、放棄された水際陣地が分かり易い標的となり、砲撃を誘引していた。


 ルソン島の航空戦力は掩体壕により損害を押さえつつ、米軍の隙を見つけては妨害を行い続け時間を稼いでいった。


 米陸軍は、レイテ島での艦砲射撃による大損害を回復させ、フィリピン南部でルソン島への上陸の準備を整えていた。

 また、米海軍も失った戦力を回復し、陣容を整えルソン島上陸作戦に備えていた。


 上陸作戦を前に米陸海軍機によるルソン島空襲が激化したが、陣地は縦深防御であるため損害は軽微であり、光毛玉の活躍により米陸海軍機の半数近くを撃墜していった。


 1945年3月。ルソン島に上陸した米陸軍との地上戦が開始された。

 航空隊は全て島外に退避し、ルソン島は守備隊による粘り強い持久戦が行われていくことになるのであった。

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