第14話 同じ名の商会
ことば屋つばめの長机は、その日の午後、帳簿と木枠と図面で埋まった。
中央には六年前の木枠。左にハッサンの父の設計図。右にはヴィウンタが並べた現在の受注控え。見ただけで頭が痛くなりそうな机なのに、誰も片づけようと言わない。
「ラージン商会が六年前にも板材を納めていた証拠は、これだけでは弱い」
ハッサンが木枠の焼き印を指す。
「商印だけでは、流通品を横流しされたと言い逃れられる」
「じゃあ、もっと紙が要るんだね」
ヤスミンが言うと、戸口のほうで小さく咳払いがした。
背の低い男が、両腕に三冊の帳簿を抱えて立っていた。灰色の上着は地味だが、紙を持つ手だけ異様に丁寧だ。顎の線はきっちり剃られ、眼鏡の奥の目は、人より先に日付を見るような顔をしている。
「紙ならある」
男は言った。
「貸し出し記録に残したくない量だが」
ハッサンが息をつく。
「ミスラフ」
文書庫番のミスラフは、机へ帳簿を置く前に木枠の下へ布を敷いた。
「木屑を帳簿へ落とさないでくれ。六年前の支払記録と、事故後の押収台帳、それから外注再契約の摘要簿だ」
パゾスが小声で「味方というより紙の化身だな」とつぶやき、ヴィウンタが「静かに」と返す。
ミスラフはページをめくった。
「六年前の豪雨後、避難案内板の再制作名目で、ラージン商会へ追加支払いが出ている。金額は通常の二倍弱。しかも摘要欄が曖昧だ。板数の内訳が書かれていない」
ヴィウンタが隣から現在の受注控えを差し出す。
「こちらは今月の水路補修関連です。仮設案内板、営業掲示の補修材、登録所向けの板材。発注先は同じくラージン商会」
ミスラフは二つの頁を並べた。
「さらに事故後三か月で、外された一角の買い上げに関係した後見契約の写しにも、この商会の名が出る」
ヤスミンの喉が固くなる。
サフィアの札。市場の娘の震えた声。女手だけの店は大変だろう、後見が入れば楽になる。あの押しつけがましい申し出が、六年前から同じやり方で続いていたのだ。
「店を弱らせて、人を追い出して、あとで拾う」
彼女が言うと、ミスラフは感情を交えずうなずいた。
「帳簿だけ見れば、そう読める」
「帳簿だけ見ても、だろ」
バレールが低く言った。
ハッサンは設計図へ目を落としたまま、しばらく何も言わなかった。父の図面が潰され、そのあとで同じ商会が金を得た線まで揃ったのだ。彼の沈黙は、怒りを整列させる時間に見えた。
ヤスミンは逆に、整えきれなかった。
母の死はずっと、“あの雨では仕方なかった”の言葉に押し込まれてきた。町じゅうがそう言うから、自分もそう飲み込むしかなかった。けれど今、仕方なかったの外側に、誰かの手順と利益が見えてしまった。
「仕方なかった、で終わらせてたんだ」
震える声でこぼれる。
「私も、周りも」
ハッサンが顔を上げた。何か言おうとして、うまく言葉をつかめない顔だった。
「ヤスミン」
その一言のあとが続かない。
慰めるのが下手なのではない。たぶん、正しい慰め方がこの場にないと分かってしまったのだ。
結局、彼はごく不器用に言った。
「君が見誤っていたわけではない」
それは抱き起こす言葉ではなかったが、ヤスミンには十分痛かった。
見誤っていなかった。では、見ていて届かなかったことは、別の痛みとして残る。
彼女は頷きもせず、木枠の角を指でなぞった。
そのとき、戸口で短い足音が止まった。
局の小使いらしい少年が、息を切らして立っている。
「ハッサンさん、整備局から」
差し出された封紙を読んだ瞬間、ハッサンの目が硬くなった。
「何」
ヤスミンが問う。
彼は紙をたたむ。
「監査官ベクシが来る」
「今さら?」
パゾスが眉をひそめる。
「何を監査する気だ」
ハッサンの返事は短かった。
「工房だ」
長机の上で、帳簿の紙端がかすかに鳴った。
真実へ近づいた直後に、向こうもこちらへ手を伸ばしてきたのだと、誰にでも分かった。




