来歴いまだ不明
「さあ二十七、肩すくめない! 肩甲骨寄せて、二十八! 胸を意識して、二十九!」
めちゃくちゃ珍しく定時で終わった俺は、『マッスル・サンクチュアリ』に来ていた。
ベンチプレスに横たわる俺へと、剛がテンポよく声を上げる。
俺は彼のカウントに合わせて、仰向けの姿勢でバーベルを上げ下げしていた。
「はい、ラストだよ! 三十回!」
最後のリフトを終えて一息ついた俺に、ジムの中から声がかかる。
「あと一回、行ってみよう!」
叫んだのは、全然知らないおっさんだ。
「うええっ?」
戸惑う俺に、剛が苦笑しながら言う。
「聞いたろ? 玄君。あと一回だ」
仕方なしに俺は、あと一回バーベルを上げ下げする。
と、今度はレッグプレスをしていた青年が叫ぶ。
「もう一回、行ける行ける!」
「もう一回だよ、玄君」
剛が言う。俺はまた、バーベルを上げる。
と、今度はダンベルでトレーニングしてる学生らしき若者が叫ぶ。
「限界、超えましょう、あと一回!」
「聞こえたね? あと一回」
俺は腕をプルプルさせながら、もう一度バーベルを上げる。
と、今度はエアロバイクを漕いでいた女性が叫んだ。
「もう無理じゃない、まだ一回!」
「いや、もうええわッ!」
俺は思わず叫び返す。
「ク、クソ……っ! やればいいんだろっ」
それでも、ラスト一回。
渾身の力を振り絞り、なんとか持ち上げた。
ガシャン!
音を立ててバーベルを置く俺に、ジムの中から一斉に称賛が上がる。
「いい締め! めちゃくちゃ良かった!」
「はい、勝った! 今日一番!」
「明日の筋肉が感謝する!」
「仕上がった! その粘り、マジで強い!」
俺はハアハアと乱れる息を整えながら、剛に尋ねた。
「な、なんっ……すか……? このノリ……?」
剛は白い歯をニカリと見せて笑う。
「悪いね。うちのジムは、みんな初心者が大好きなんだ」
トレーニングを終えた俺は、ジムの片隅でスポーツドリンクを飲みながら休憩していた。
他の利用者の指導を終えた剛がやってきて、俺に言う。
「おまたせ、玄君! 君に相談された件だけどね。やっぱりこの辺りで、ダンジョンスプラウトを盗まれたトレーナーは一人もいなかったよ」
「そうですか……。ありがとうございます」
先週、理央と話した俺は警察署へと足を運び、ダンジョンスプラウトの捜索願いや関連する事件がないかを確認した。
しかし、事件は起こっておらず、遺失物の届け出もゼロだった。
それでも、誰かの苗が盗まれた可能性を捨てきれず、念のために剛へ相談を持ちかけることにした。
剛はトレーナー仲間の知り合いを通じて、ダンジョンスプラウトを失くした人はいないかを確認してくれていたのだ。
「うーん。それじゃやっぱり元の持ち主が必要なくなって、ゴミ捨て場に捨てたのかなぁ……?」
俺の言葉に、剛は腕組みして首を傾げる。
「レベル20以上となれば、毎週レイドをしているのは確実だからね。急にレイド会に来なくなった人がいれば、仲間うちでも噂になるはずだよ」
しかしながら急に来なくなった人たちも、それぞれに納得できる理由があり、調べてみても所在不明のダンジョンスプラウトは見つからなかったという話だ。
「そもそも、君のダンジョンスプラウトは、すでに『サービス残業お断りダンジョン』の名前と冥属性がついてる。元の持ち主が見つかったとしても、どうだろう……? 名前も属性も違うダンジョンスプラウトは、前の苗とは別物と言えるんじゃないか?」
「まあ……そうなんすけどね。俺も元の持ち主が捨てたってんなら、なんの憂いもなく育てられますよ。でも、もし無くして困ってるなら、知らんぷりして自分のものにしちまうのは気分が悪いです」
剛が厳しい顔で言う。
「君は誠実だね。もちろん、一番大事なのは君の気持ちだ。君が返したいと思うなら、僕は全力で協力するよ! ……でも僕の気持ちを言わせてもらえば、わざとにしろ事故にしろ、ダンジョンスプラウトを管理できずにゴミ捨て場にやってしまうような人間に、苗を育てて欲しくはないなぁ」
俺は、無言でスポーツドリンクを飲み干した。
自宅に帰り、ダンジョンスプラウトを眺める。
ちょうど出てきた一匹のラビリミンが、俺の顔を見て敬礼した。
俺も敬礼を返すと、嬉しそうにピョンと跳ねてから、鉢植えの資材を取りに行った。
……剛にはあんな風に言ったが、感覚的にはもうこいつは『うちの子』だ。
今さら誰かに引き渡すとなったら、悲しすぎて悶絶する。
そんなこんなで週末はレイド会だ。
理央は先週、『サービス残業お断りダンジョン』をクリアしている。
なので今日はフリーである。
「えっ? ゴールデンウィークは何をするのかって? 寝て過ごすつもりだけど……なんでそんなこと聞くの、凛花ちゃん」




