撤退と全滅
眼前に迫る、理央のニコニコ顔。謎の迫力に、俺の喉がゴクリと鳴る。
その時、『実験サンプル82号』の入口から、俺のラビリミンがキューキュー鳴き(。´> ω <`)ながら這い出てきた。
入ってから六十八分後だ。……撤退か。
まあ、仕方ない。
あれだけ綺麗に剪定されたダンジョンだものな。
レベル20を超えれば難易度は跳ね上がるし、今さら騒ぐことでもない。
理央がスッと体を離した。
離れ際にフワッと香ったシャンプーは、奇しくも俺が使ってるのと同じものだった。
彼女は腕時計を一瞥し、クスクス笑いながら呟く。
「ふうん? 時間からすると、六層くらいまでは行ってるかな……えひひ。82号相手にここまで粘るなんてね。ウワサ通り、ラビリミンの攻略力が相当高いね」
言いつつ手帳に何かをメモすると、カバンをごそごそ漁ってインスタントコーヒーのスティックを取り出した。
パッケージを破き、水筒に残ったお湯にぶちこんで、蓋をしてシャカシャカと振る。
できあがったホットコーヒーをズズズと啜ると、理央は俺の方を向いた。
「あ、お兄さん。お菓子食べる?」
差し出されたのは、ブルボンのバラエティーアソートである。
ルマンドやらアルフォートやら、いろんなお菓子が詰め込まれた大袋だ。
このサイズを「お菓子食べる?」の一言で出す奴は、初めて見たぞ。
……まあ、いいけど。
「いただくよ。ちょっと飲み物、買ってくる」
アルフォートとバームロールをひとつずつ手に取り、公民館の自販機で缶コーヒーを買って戻った。
椅子に腰を下ろし、お菓子をつまみながらコーヒータイムと洒落こむ。
しかし、それから小一時間が過ぎても、『サービス残業お断りダンジョン』から理央のラビリミンが出てくる気配はなかった。
俺のラビリミンたちはとっくに全員が復活し、心配そうな顔でキュイキュイと何事かを相談 ( ´・ω) (´・ω・) (・ω・`) (ω・` ) している。
やがて、一匹が意を決したようにテテテと走りε三╰( ˙꒳˙)╯、ダンジョンの入口へと飛び込んでいった。
しばらくして体を半分だけ乗り出し、腕を振りキューキュー鳴きヾ(;`・Д・)ノながら仲間を呼ぶ。
残りも慌てた様子で、ぞろぞろと中へと駆け込んでいく。
俺は思わず呟いた。
「あ。もしかして、これは……」
おそらく、全滅だ。
予想通り、理央のラビリミンたちがズルズルと引きずられて入口から出てきた。
俺のラビリミンたちは彼女のラビリミンを『実験サンプル82号(株)アゾット製薬』の前まで運ぶと、またテテテと走って、『サービス残業お断りダンジョン』の中へと帰っていった。
しばらくして、理央のラビリミンの一匹が目を覚ます。
ハッとしてΣ(; ・Д・)、キーキー鳴きながら他の仲間をゆすり起こした。
次々と気づいたラビリミンたちは、しばし呆然と( ´・д・`)辺りを見回していたが、やがて体を濃い紫に染め、地団太を踏んだりメソメソと泣き始めた。
ラビリミンの青は悲しみ、赤は怒りである。
ならば紫は、その二つが入り混じった、やり場のない感情といったところか。
全滅は、ラビリミンにとってあってはならないことなのだ。
己の力量をわきまえず、撤退すらできなかった——その証に他ならないからだ。
俺の『サービス残業お断りダンジョン』は、とびきり殺意が高い。つまりは、全滅率が高い。
過去に四回ほど他のラビリミンを全滅させているが、どのオーナーも我が子同然のラビリミンを蹂躙されて、誰もが絶望の表情を浮かべていた。
俺との再戦を拒む者も、少なくなかった。
しかし、理央は違った。
嬉々とした笑みを浮かべたまま、全滅した自分のラビリミンが嘆く様子を、食い入るように観察している。
「えひっ、えひえひっ、えひぃーッ! いやぁ、よかった。まさか全滅のデータまで取れるなんて……お兄さん、本当にありがとうねぇ」
「感謝される筋合いはない。……それより、自分が育てたラビリミンが全滅したんだぞ。悲しいとか、腹が立つとか、そういう気持ち少しはないのか?」
「悲しむ? 怒る……なんで?」
理央は、心底理解できないといった様子で首を傾げた。




