妻は無理
一気に言い終えたアシュレイ様をじっと見つめる。サラちゃんに焦がされて短く整えられた銀色の髪は少し伸びて、この姿のアシュレイ様との時間も日々積み重ねられているのだなぁと、場にそぐわないことをなんとなく考えていた。
ええっと。色々言われたけど結局言いたかったのはわたしを妻に迎えたいとのことらしい。それが今この状況を作っている原因のようだ。
ずいぶんと独り善がりなことに思うけど、告白が事実なら仕方がないことでもあるのかもしれない。
身分相応の婚約者がいて、王子様で。天使の姿をした美少年から逞しい騎士へと変貌を遂げたというのに、初恋がわたしだなんて。
しかも恋愛経験がないって本当なのだろうか。アシュレイ様の周りには絵本に出てくるようなお姫様のような女性がたくさんいるだろうに。
泣きながら離れたくないと吐露するアシュレイ様の言葉を疑うわけじゃない。だけどどうしてもぴんとこないのだ。こんなに素敵な人がわたしに恋心を持っているのも不思議でならなかった。しかも泣くほどに。
それでも「好きだ」と真っ直ぐに告白されて嬉しい。ぼろぼろと滝のような涙を流して悲壮感いっぱいなのは、拒絶されると確信しているからだろう。
こんなにも素敵な男性がすぐ側に膝をついて真っ直ぐに告白してくれて。嬉しくないはずがないのに本当に不思議なことだった。
「どうしてわたしなんですか?」
「ラナは幼い私を弄ばなかった」
「え?」
弄ぶとはなんとも不穏な言葉だ。
「幼い頃の私はご婦人方の心を鷲掴みにしていた」
それは納得だ。なにしろ天使なのだから。
「可愛いと囃し立てては寵愛を免罪符に追い回し無遠慮に触れてくる。幼い私は強い臭いを放ち襲い来るご婦人が恐ろしかった。成長するにつれご婦人たちは離れていったが、今度は体や顔つきが変わり傷が増えるたびに怯えられるようになり、若い女性からは距離を置かれた」
なんてことだ。握られた拳が震えている。ご婦人というから大人の女性だろう。その女性たちは天使のアシュレイ様の心に傷をつけたのか。
「ご婦人方は一体何をしたのですか?」
「愛らしい天使といいながら抱きしめて頭を撫で回し、目元や頬に唇を当てて私の顔を紅だらけにした。なにしろ寄ってたかってなものだから、様々な臭いが入り混じって胸がむかむかした。吐きたくても失礼になるので必死に耐えた」
「それは……」
ご婦人の気持ちも分かる。だってアシュレイ様は本当に天使だったから。わたしが知っている天使のアシュレイ様は十代前半だけど、もっと幼い、それこそ幼児のアシュレイ様なんて想像するだけで可愛さ無限大に違いないのだ。
だからご婦人の気持ちは分かる。分かるけどそれはいけない。
「逃げることはできなかったのですか?」
「ご婦人には優しくしなくてはならないし、動じるのもよくない。私は王子だ。相応しい態度を取ることが役目だ。あれほど嫌だったのに私はラナに同じことをしていたのだ」
アシュレイ様は緑に敷き詰められた芝生の上に蹲って泣き出してしまった。わたしは咄嗟に椅子から降りて咽び泣くアシュレイ様を抱きしめる。
「違いますよ。戸惑いと恥ずかしさはありましたけど嫌ではありませんでしたから」
「だがっ、同じことをしたんだ。あの恐ろしいご婦人たちとなんら変わらない」
縋り付いてきたアシュレイ様の頭を撫でると胸に頭を摺り寄せてきた。幼児だったころのアシュレイ様と同じだ。
「今となってはなんとも思っていない。だが当時の私は確かに嫌だった。それをラナに強いたのだと思うと自分が許せない」
「同じじゃありませんよ。アシュレイ様のことは大好きですから」
「本当に!?」
がばっと顔を上げたアシュレイ様の涙と鼻水を拭いてあげる。立派な大人の男性なのにこんな一面があるなんて。
ついさっきまで不満に感じていたことなんてどうでもよくなってくるからなんとも現金なものだ。
「でも妻になるのは無理です」
「そんな……」
がーんと、落ち込んだ様が目に見えたが、これだけはやっぱり無理だ。
わたしとアシュレイ様の間には超えてはいけない身分の差がある。親のいない平民の女なんて世間が認めない。アシュレイ様の汚点になんてなりたくないし、世間の白い目に晒されることに耐える自信もない。
「わたしはアシュレイ様とこの国で生きていけたら、それだけで満足です」
本当なら世間一般の男女のようになりたい。でも無理だから仕方がない。アシュレイ様がいるこの国で暮らしていけたらそれでいい。こんなにも気持ちを向けてくれるのだ、あとから心変わりされてもそれは拒絶した自分のせいだからアシュレイ様を恨んだりしない。
「ここにいてくれるのか?」
「国防に関わる仕事って魔力の補給のことだったのですよね? それなら一緒にいられます。でもあの部屋は駄目です」
正式な妻の部屋に居座るのは自分のためにもよくない。アシュレイ様を否定するならなおさらだ。わたしもアシュレイ様も弱いから欲望に負けてしまう可能性がある。妻にならないと決めたのだから一線は引くべきだ。
大型犬が縋るような視線をむけてくるので負けないように唇を噛んだ。
自分の気持ちに素直になってアシュレイ様の胸に飛び込めたらどんなに楽だろう。でも平民と貴族の間には大きな身分の壁がある。王族となればなおさらだ。この壁を超えるのにアシュレイ様が何をするのかは分からないが、多くの人を巻き込むであろうことは予想できた。
「ラナ……」と、アシュレイ様の手がわたしの噛み締めている唇に伸びる。キスされるのかな、どうしよう。拒絶するべきかと考えていたら、涙に濡れるアシュレイ様の視線が逸れた。
つられるように振り返ると、ひょろりと背の高い男性がたくさんの護衛を引き連れて向かってきていた。
アシュレイ様が「兄上」と呟く。
兄上?
兄上って、王太子殿下!?
びっくり仰天している間にもこちらに向かってどんどんやって来る。怖くてアシュレイ様に縋った。




