美少年ふたたび
朝を告げる鳥の声。
心地よいさえずりを遠くに感じながら、ゆっくりと目を開けたら天使がいた。
「おはよう、ラナ」と目覚めの挨拶。その声色でまどろみから一気に覚醒する。
窓から取り込まれる朝日を受けてきらきらと輝いているのは、柔らかな銀色の髪に青い瞳の天使だ。身に着けている真っ白なブラウスも眩しい。
襟の白いリボンの中心は大きな青い宝石で飾られていて美少年に相応しい装いで、朝の光をそのまま具現化したような輝きを放っていた。
ダボダボの服は着ていない、まさに見惚れるほどに美しい天使な王子様だ。
あまりの神々しさに意識を失っていたけれど、はっとして飛び起きたわたしは天使の肩を掴んだ。
「夢!? 夢じゃない。アシュレイ様が夢!?」
びっくりしすぎて意味不明の言葉ばかりが出てきてしまう。
目の前には癖のあるクシャッとした細い銀色のふわふわな髪が似合う、穏やかでどこか悲し気な青い瞳をした十代前半の少年がいるのだ。
これはアシュレイ様だ。間違いなくアシュレイ様。
大きな体で顔に傷のあるアシュレイ様じゃなくて、呪いが解ける前の天使が目の前にいるのだから驚いて当然だろう。
あの筋肉は何処へ。あの大きな体をどこに隠してしまったのか。
いや、違う。
「呪いが解けたのは夢……だったの?」
「ちゃんと解けたよ。君の記憶はどれも夢じゃない現実だ」
そう告げた少年の瞳があまりにも寂しそうで胸が張り裂けそうになった。
「いったいどうして……もとに戻ってしまったんですね?」
呪いが復活したのか、もともと解けていなかったのか分からない。でもこれは大きな問題だ。ナルテカは信用できそうだったのに、呪いが解けたというのは間違いだったのだろうか。
「これは魔法で姿を変えているだけだから安心して。ナルテカと同じだ」
「そう、でしたか」
ナルテカの実年齢は百を超えているけれど見た目は魔法で若作りしている。動きも若々しいからいろんな魔法を使っているのかもしれない。
老子と呼ばれる本物の国一番の魔法使いがすることなんて凡人には分からない。彼女の見た目が異常に若々しいことにはただ「へぇ、そうなんだ」で終われるけれど……。
「どうして少年の姿に?」
アシュレイ様は身を守るために、さらには国防のためにも本来の姿をしているべきなのに。
なにか崇高な理由があるならいいけれど、寂し気な雰囲気からはとてもそうは思えなかった。
「ラナはこの方が好きだろう?」
「え?」
「共に過ごすなら大人の私より安心するだろうと思って」
アシュレイ様は目を伏せた。長い銀色の睫毛が薔薇色の頬に影を落とす。
自身がないのか声も小さくて幼気なさが半端なくて。でも中身が大人だからなのか、見た目と反した印象のせいで色香を撒き散らしていた。
「私たちは相思相愛だと思っていた。だから言わなくても伝わるものだと……そういうものだと思っていたんだ。ラナは私を好いてくれているからと浮かれて、君の本当の気持ちに気付くことができなかった」
相思相愛というのとは少し違うと思う。わたしたちの関係は恋愛めいたものではないはずだ。アシュレイ様が過剰に触れてくるのも魔力の受け渡しのためで、そこに感情があるとしても肉欲に近いのではないだろうか。
わたしとアシュレイ様は呪いを解く目的があったからこそ出会った。それがすべてだ。
本来なら接点なんてあるはずがない者同士なのに歪な出会い方をした。そのせいで許されない関係に感情が引っ張られそうになっているだけなのだ。
「私とラナとでは生まれ育った世界が違う」
ほら、アシュレイ様もちゃんと分かっている。だからどんなに綺麗な言葉で片付けようとしても上辺だけになるのだろう。
わたしに愛人なんて無理だ。弄ばれるのも嫌。
アシュレイ様が大好きだから離れることができなかったけど、こうして住む世界が違うと明確に言われてしまったら現実を見るしかない。
自分がどんな扱いをされるのかちゃんと受け止めなければ。
仕事が生活がなんて言ってられない。このままだと最後にはアシュレイ様に嫌われて確実に不幸になる。
どんな理由があるにしろ、わたしたちは一緒にいてはいけない。
そう思ったのだけど……。
「君と一緒にいることが楽しくて、こんなにも簡単なことなのに愚かな私は何一つ気付けなかった。喜ばせようと思ってしていることも私の独りよがりだったなんて。ラナの気持ちに気づけなくて、不安にさせてごめん。申し訳ない」
独りよがりとの言葉にはっとした。
わたしの気持ちに気づけなかったとアシュレイ様は言うけれど、わたしはアシュレイ様の気持ちに気づけていただろうか。不安にさせたと謝罪するアシュレイ様も、わたしに対して不安を感じている様が窺えた。
アシュレイ様が額をベッドに圧しつける。
大人のアシュレイ様とは違う、白くて細い指がシーツをぎゅっと掴んでいた。
何に葛藤しているのか。少年の姿なだけに痛々しく感じる。
だけどこれが大人の勇ましいアシュレイ様だったとしても同じように感じられる気がした。
わたしたちには圧倒的な身分の差がある。だからわたしはアシュレイ様に本当の気持ちを言えていない。言葉にしない現状をわたしが望んで快く受け入れているのだと勘違いされるのも当然なのではないだろうか。
「わたしはアシュレイ様のなんですか?」
少し怖かったけど訊ねた。ここで不安通りの答えが返ってきたら傷付くけど知るには今しかない。
「お嫁さんだと思ってる」
「お嫁さん……」
貴賤問わず、嫁と呼ばれる立場になるには明確な意思表示が必要だ。わたしとアシュレイ様の間にそんな意思表示をした記憶はない。
「わたしは結婚していません」
「この部屋は妻に与えられる寝室なんだ」
「そんな説明うけましたでしょうか?」
「……私の部屋と扉でつながっている。ここは夫婦で使う共用の寝室なんだ。妻になる人にここ以外の部屋をあてがうなんてあり得ない」
ただ豪華なだけの部屋ではなかったようだ。なるほどと思いながら部屋を見渡した。
貴族のお屋敷って大きいだけあって部屋が多い。それだけじゃなく子供が喜びそうな隠し部屋や通路なんかもあったりする。お屋敷の掃除を手伝うようになってからは発見の連続だった。図書室奥の大きな書架が可動式で秘密の抜け道になっているのには驚かされたものだ。
「嫌なんだね……」
「嫌と言うわけじゃ」
「なら嬉しいのか!?」
がばっと顔を上げたアシュレイ様の瞳は濡れていた。瞬きすると涙が弾けて頬に跳ねて転がる。
「ラナは私のお嫁さんになってくれるのか!?」
「それは……」
無理ですと言おうとしたら「見た目や身分で差別しないで欲しい」と青い瞳を潤ませ懇願された。
「生まれや肩書ではなく、私自身を見て欲しいんだ」
見た目のせいで間違えそうになるけど、今のアシュレイ様は二十四歳の大人の男性だ。天使ではなく雄々しくてまさに戦神に相応しい見た目の、頼り甲斐のある素敵な騎士様だ。
そんな彼が天使の姿で泣いてる。
お嫁さんになって欲しいと、見た目や身分で差別しないでと、こんなわたしに懇願していた。
そのあまりにも綺麗な涙に胸を撃たれてしまう。
アシュレイ様は心の内を吐露してありのままの自分を見せていた。自分の言葉で感情のままに涙を流しながら告白してくれていた。
王子様だとか平民だとかで拒絶するのではなく自分を見てほしいのだと。呪いが解けてもわたしのことをお嫁さんだと言って受け入れてくれていた。
幼児の感覚ではなく、大人の男性としてお嫁さんという言葉を理解したうえで使っていたのだ。
でもわたしは王子様のお嫁さんになんてなれない。
これまで「お嫁さん」としてアシュレイ様の側にいたのは解呪の役目があったからだ。それはアシュレイ様だって理解できているだろう。
なのに真っ直ぐに向けられる好意はわたしの心を満たしていく。
親のいない平民だと卑下する気持ちが消えないわたしに、身分で区別するのではなく自分自身を見て欲しいと泣くのだ。
いまの見た目は天使だけど、傷のある勇敢で立派な体格の男性が涙を流して縋るのを想像する。
アシュレイ様との関係に思い悩んでいたのに。体を求められるだけの娼婦に等しい立場にいるのだと辛かったのに。
天使の向こうにいる本当のアシュレイ様を想像したら、なんだかかわいいなぁと思えて。辛かった気持ちが飛散してしまった。
「とりあえず本来の姿に戻りませんか?」
「でも……ラナはこの姿が好きだろう?」
「好きですよ。どんなアシュレイ様でも好きです」
「どんな私でも……」
そう呟いたアシュレイ様は、わたしから視線を外さないままおもむろに立ち上がる。
首元に手をかけて青い大きな宝石の飾りを取ると、リボンを外してブラウスのボタンに手をかけた。
「ちょっと待って。何をしているんですか?」
「何って……このままだと服が破れてしまうから脱ごうとしているだけだ」
天使が不思議そうにわたしを見ていた。
「えっと……そうですね。服を着たままだと無理ですね」
ここでわたしはよくよく考えた。
起き抜けでベットの上にいるわたしと、大人の姿に戻るために服を脱いでしまうであろうアシュレイ様。その後の展開が予想できてしまうだけに脱がせるわけにはいかない。
「お互い身なりを整えましょう。お天気もよさそうですし、これからについてはお庭で朝食を取りながらお話しませんか?」
刺激しないように気をつけた。そうしないとこのまま押し倒されて同じことの繰り返しになる可能性がある。
だから笑顔でそう告げたら、アシュレイ様は「分かった!」と元気に返事をして。わたしの頬にちゅっとキスをすると「急いで支度する!」と手を振りながら嬉しそうに部屋を出て行った。
そんなアシュレイ様を見送ったわたしの瞳は潤み、頬は赤く染まっていた。
だってあまりにも可愛かったのだ。天使の破壊力が凄すぎて悶え死にそうだった。




