あっさり奪われてしまった
怖くて身がすくんで足に力が入らない。だけど駄目、頑張らないと。アシュレイ様を守るためにわたしは見えない何かが姿を現すのを震えながら待つ。
「アシュレイ様は逃げてください」
震えのせいで歯がカチカチなってうまく言葉にできない。だけどアシュレイ様を守って死ぬなら本望だ。こんなわたしを「お嫁さん」だと慕ってくれて、無邪気な愛情を向けてくれた唯一の男の子。
本来の中身がどうのなんて関係ない、わたしにとってアシュレイ様は幼い少年だ。
とんでもない役目を押し付けられてトゥーリには腹が立って仕方なかったけど、アシュレイ様という素敵な少年に慕われて幸せだった。きっとこの先を生きていてもこんな幸せはやってこない。今ここでアシュレイ様のために命を捧げるのはわたしにとって無駄にならないはずだ。
「アシュレイ様。このままの優しい大人に成長してくださいね。そうしたらわたしなんかじゃなく、素敵なお姫様に出会えますから」
サフィラス様とうまくいかなくても、王子という身分に相応しい相手がアシュレイ様の奥さんになる。
魔物に食べられるのは痛いだろう。恐怖を和らげるためにアシュレイ様の天使のような顔を目に焼き付けようと振り返った。
「出会えないよ」
「え?」
淡い光の中には表情を無くしたアシュレイ様がいた。
「ボクのお嫁さんはラナだけだよ。ボクはラナがいい」
最後までなんて可愛いことを言ってくれるのか。感動で涙がこみ上げる。この言葉を胸に秘めて天国に行くと決めた。
「ごめんねラナ。ちょっと魔力を分けてもらうね」
そう言ってアシュレイ様はわたしの頭をぐいっと引っ張る。え? なに? と思った瞬間。
アシュレイ様の唇がわたしの唇に引っ付いた。
ちゅっと音がして、口のなかに舌が入り込んだ。びっくり仰天する間もなく引き抜かれて唇をぺろっと舐められる。
「え?」
ちょっと待って。今のってキス……の類じゃないの?
驚きのあまり思考停止。
こんな時なのに放心してしまったわたしに、アシュレイ様は「ありがとうラナ」と天使の微笑みを向けて。すぐに凛々しい顔つきになったかと思えば「サラ、行け!」と闇に向かって短く告げた。
その途端。わたしの胸でブローチと化していたサラちゃんがぴょんと飛び降りると、瞬く間に巨大化して真っ赤な炎を吐く。
「えぇぇえぇぇっ!?」
今度こそびっくり仰天したわたしは驚きの声を上げるしかできない。
サラちゃんが吐く炎の先では巨大な黒い何か……おそらくモグラが「ギシャァァァァァ!」と恐ろしい声をあげて突進してきた。
かと思えば剣を手にしたアシュレイ様がまばゆい光をまとって地面を蹴って跳躍する。しかもとんでもない高さ。ザシュッと音がしたかと思えば一拍遅れてモグラの首と胴が離れて、どすっと音を立てて落ちた。
アシュレイ様が持つ剣は短くて、巨大なモグラを一刀両断にできるような代物じゃない。でもそれをやってのけた。きっと魔法を使って切ったのだろう。モグラの切断面からはどくどくと血と思われる大量の液体が流れ落ちていた。
「奴らが来る、逃げるよ」
アシュレイ様に手を引かれて、首を落としてなおのたうつモグラの横をすり抜ける。サラちゃんは小さくなって胸に戻っていた。
「奴らってさっきの人たちですか!?」
「それもだけど、音を聞きつけて他のモグラも」
それは大変、逃げなくては。
わたしは今目の前で起きた現実からちょっとだけ逃避することにして、アシュレイ様に手を引かれて暗い穴の中を駆けた。
ちなみに手を繋いでいでない方のアシュレイ様の手にはしっかりと剣が握られている。灯りは宙に浮いて、わたしたちの前を流れるように先導していた。
へぇ、手のひらから離すこともできるのねと、どうでもいいことが漠然と脳裏を過った。




