呪いの顛末 その2(アシュレイ)
「じゃじゃーん。なんとこの女性はアシュレイ様のお嫁さんでーす!」
トゥーリから紹介されたのは眠り姫だった。
眠ったままの、目を覚まさない大人の女性。
黒い髪の彼女は嫌な臭いがしない。大人の女性が嫌いな五歳児の私なら彼女が苦手なはずなのに、静かに眠ったままの綺麗な黒髪の彼女に惹きつけられてじっと見つめた。
「ボクのお嫁さんはどうして眠ってるの?」
「悪い魔法使いに眠らされているんですよ。でも大丈夫、目覚めの呪文を考えましょう。アシュレイ様、どんな呪文がいいですか?」
「ほっぺにちゅうがいいな」
「ぽっぺにチュウですね。いいですねぇ。どうせそれ以上のことをするんですから、目覚めの呪文はほっぺにチュウってことに……って、アシュレイ様。まだしちゃ駄目です!」
起こしてあげようとほっぺにちゅうをしようとしたら止められた。
今なら濁されていたとんでもない理由に思い至れるが……ラナに会ってから体が成長を始めたとはいえ、中身が幼児だった私にはなぜいけないのか理解できず。私にとって特別な存在である「お嫁さん」に早く目を開けて欲しくて、トゥーリの目を盗んでラナの頬にキスをした。
「ボクのお嫁さんはどんな目の色をしてるのかなぁ」
ウキウキしながら目が開くのを待つ。彼女から「うん……っ」と吐息が漏れて、やがて黒曜石のように美しい瞳が現れた。
この時の私にとって彼女は、私のことを変な目で見ない、優しそうな綺麗なお姉さんでしかなく。彼女がお嫁さんという特別な存在なのだと思うと嬉しくて仕方がなかった。
トゥーリから与えられたお嫁さん。彼女への想いは刷り込みのようでそうではない。思い返せば彼女は初め私のことを胡散臭そうな目で見ていた。その視線もまた特別に感じたのだ。
私を愛でて玩具にしようと目論むご夫人が多い中、そんな目で私を見る女性は初めてだった。とんでもないことに巻き込まれているのに、私を見捨てずに側にいてくれた。その間に与えてくれた愛情に嘘はなかった。
早く彼女に見合う大人になりたくてその日が来るのが待ち遠しかった。トゥーリからラナが私を導いてくれると言われていたので、ラナと一緒にいるだけで大人になるのだと思い込んでいた。
今更だが、トゥーリはよくもあんな条件をつけてくれたものだなと頭を抱えてしまう。子供の私を前にラナの葛藤は大きかっただろう。
しかしながら幸か不幸か、彼女の常識のお陰で幼い私は傷つけられず今に至っている。
そう、私がもとに戻ることができたのはラナと契ったからではない。トゥーリの解呪法は少しばかり……いや、大いに間違えていた。
昨夜、ラナと一緒に眠ることを許された。ラナよりも早くに目覚めた私は特別な一夜に高揚していた。寝る前に読んでもらったお気に入りの絵本の結末。王子様とお姫様が結婚式で誓いの口吻をしたのを実践したくなったのだ。
ラナが眠っているときは駄目だなんて考えなかった。ただお嫁さんのラナと結婚式がしたかっただけなのだ。言い訳になるが、あの時の私の心は間違いなく幼い少年だった。
眠るラナの唇に私の唇を重ねた。少し開いたラナの唇はとても柔らかかった。ぺろっと舐めたせいで互いの唾液が混じり合う。
その瞬間。私の体と心は本来の成人男性に戻ってしまった。
ラナと同衾してのこの状況に私は蒼白となった。
前日の風呂の件を含めて、覚醒したお陰でとんでもないことをしでかした事実と現実を突きつけられた。
「う〜ん……」
ラナが寝返りを打ち、私は咄嗟に魔法で肉体を後退させる。こんな魔法今まで使ったことなんてないのに、トゥーリの魔力が入っているお陰で行使することができた。
私の変化にラナは気づかず、このままやり過ごすことにした。
不埒なことをしたことが恥ずかしく、知られて嫌われるのが怖かったのだ。サフィラスに拒絶されたように、成人した私の姿をラナに拒絶されるのが怖かったのもある。
嫌われたくない。今の関係を壊したくない。だから私は罪を隠した。
なんてずるいのか。だが嫌われないためにどうしたらいいのか分からなかった。
様子の変化にガウディは気づいたようだったが何も言わない。この時のガウディには私がどこまでもとに戻っているのか分からなかったのだろう。しかし釣りに出た森の湖で敵に襲われガウディの名を呼んだら、意味を理解して私の体でも使いこなせる小ぶりの剣を投げ渡された。恐らくここで気づかれている。
敵は二十人ほど。長く競り合いが続く国からの刺客だ。半分はガウディが相手にしたが、残り半分は私を追って森に入った。
この体でもラナの身を守れるがやはり勝手が違う。体力的な部分や力、そして身長のせいで見え方までもだ。体が軽いので俊敏に動けても、ラナが私の動きについてくるには無理がある。すぐに追いつかれてしまい仕方なく彼女の前で剣を振るった。
この森には魔物の類である巨大モグラが住み着いている。地上には出てこないが地下に迷路のような穴を掘って獲物が落ちてくるのを待っているのだ。危険だが穴を探して飛び込んだ。いざとなれば元の姿に戻って戦えばいい。
恥ずかしいことに私はこんな時まで自分の利益を優先している。魔力の器が小さいのにそのほとんどを少年の肉体の維持に使用していた。
あまり明るくしてしまうとモグラに気づかれると言い訳し、小さな灯りしか出さずにラナには私と腕を組ませた。
私は自分がこんなにも狡賢い男だとは思わなかった。
ひとたび欲が出ると人は簡単に変わることを身をもって知った。
ラナに嫌われたくない、慈愛に満ちるその瞳を向け続けて欲しい。警戒なく私に触れて抱きしめて欲しいのだ。
なんて醜い欲望なのだろう。
そして今、ラナはその欲望の犠牲になることを厭わず、腕を広げて私の前に立っていた。地面を這い、闇の中から現れようと近づく魔物から私を守ろうと命を投げ出す覚悟で。




