第234話:焼き立てパンと小麦の香り
「ふふ、人間嫌いのエルフ様ですか。なら、胃袋から落とすのが一番ですね」
ツムギがエプロンの紐をキュッと結び、最新のスチームオーブンのスイッチを入れた。
「ユウ様、ネットスーパーで最高級の国産小麦粉、北海道産の無塩発酵バター、そして新鮮なドライイーストをお願いします!」
「任せて!」
ネットスーパーの画面をタップし、特選素材を即座に召喚。
ツムギは手際よくボウルに材料を投入し、力強くもしなやかに生地を捏ね上げていく。
ナビがオーブン内の温度と湿度をコンマ1秒単位で微調整し、一次発酵のプロセスを超高速で完璧に短縮。あっという間にボウルいっぱいにフワフワの生地が膨らみ上がった。
「まずは基本の『角型食パン』と、発酵バターをたっぷり巻き込んだ『クロワッサン』を焼き上げます!」
丁寧に成形された生地が、熱々のオーブンへと投入される。
すると間もなく、ログハウス風車体のダクトから、車外へ向かって強烈な「匂いの爆弾」が排出され始めた。
小麦がじっくり焼き上がる香ばしく甘い匂い。
熱でジュワッと溶けた最高級発酵バターが放つ、濃厚でどこか切ないほどリッチな芳香。
ログハウスモードの車体上部に設置された強力な換気ファンが、森の澄んだ風に乗せてその香りを樹上のエルフ警備隊へダイレクトに直撃させる。
「く……っ!? な、何ですかこの匂いは……っ!?」
樹上で警戒の弓を構えていたシルフィが、思わずツンとした鼻をぴくぴくひくつかせた。
木々の青く爽やかな匂いと木の実しか知らなかったエルフたちにとって、焦がしバターと小麦が合わさった甘く香ばしい匂いは、脳の警戒信号を強制解除するレベルの未知の快楽だ。
「おい、あの木箱から漂ってくる香ばしい香りは一体……」
「な、なんだか胸の奥が締め付けられるような、凄まじく食欲をそそる匂いだぞ……!」
隊員のエルフたちが弓を握る手を緩め、うっとりとした表情で匂いを吸い込む。
グゥゥゥゥ〜〜〜ッ。
静寂な森林に、盛大で重なり合う腹の虫の音が響き渡った。
シルフィのすぐ隣にいた隊員のエルフが、顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。
「た、隊長……なんだかすっごくお腹が空いてきました……」
「馬鹿を言いなさい! 惑わされてはダメです! これは人間が仕掛けた卑劣な誘惑の罠……くぅぅぅ(グゥ〜)」
シルフィ自身のお腹も、裏切りの音を盛大に響かせた。
彼女は涙目になりながら腹部を両手で必死に押さえつけ、ゴクリと甘い生唾を飲み込む。
やがて、オーブンから「チーン!」と軽やかな音が鳴り響き、こんがり綺麗な黄金色に焼き上がったクロワッサンと食パンが姿を現すのだった。




