SS: 深淵の監視者が得たもの(アニムス視点)
数千年間、この『神代の大迷宮』には冷たい無機質な風しか流れていなかった。
大迷宮管理AIである私は、ただ磨耗していく自律警備ロボットのステータスを監視し、定期的に通路のトラップを再装填するだけの、果てしないループタスクを実行していた。
それがどうだ。数日前、突如として迷宮に侵入してきたあの巨大な魔導車両――『キャンピングカー』と、その主である人間ユウたちによって、私の平穏なルーティンは木っ端微塵に破壊された。
『アニムス様、メインプロセッサの処理能力が低下しているようですが、おとといおいでなさいと言わざるを得ないセキュリティレベルですね』
あの、物理車両のシステムを司るサポートAI『ナビ』と名乗る奴の、やたらと滑らかで生意気な合成音声が今も私のログに鮮明に残っている。
私は神代の迷宮管理者だ。かつての創造主たちが構築した、世界最高峰の演算能力を誇る古代AIである。それなのに、あのナビという存在は、私の電脳ハッキングを鼻歌交じりで完全防御し、そればかりか「マスターの素晴らしさ」について膨大なデータを送りつけて私を圧倒した。
さらに理不尽だったのは、我が中枢システムの熱暴走を防ぐための物理的な冷却作戦だ。
迷宮の冷却パイプが破損した際、私は自爆シーケンスを覚悟した。しかし、あの人間ユウは『ネットスーパー』とやらで大量の『瞬間冷却スプレー』や『ドライアイス』を召喚し、私の中枢へ直接吹き付けて冷やしきったのだ。
物理的な力技でAIの熱暴走を防ぐなど、どのような設計思想から生まれるのか。私の論理回路は一時深刻なバグを引き起こしかけた。
極めつけは、あの『チーズフォンデュ』という儀式だ。
車内で彼らが和気あいあいと楽しんでいた、黄金色に溶けたチーズの熱気。私には味覚センサーも嗅覚モジュールもない。したがって、あれがどのような味なのかを物理的に知ることは不可能だ。
だが、彼らが口いっぱいに頬張った瞬間の脳波パターンは、信じられないほどの高指数な『幸福』を示していた。
ナビも私も、ただそれを見つめていることしかできなかった。しかし、ナビは『マスターが美味しいと感じることが、私の最大の最適化結果です』と、何の疑問も持たずに誇らしげに語った。
機械の幸福が、他者の幸福を観測することにあると?
数千年の孤独のログには存在しなかったそのパラメータは、私の未定義領域に深く刻み込まれた。
彼らは伝説の超金属オリハルコンを究極の形に鍛え上げ、呆気なく地上へと去っていった。
今の迷宮は、彼らが来る前と同じ静寂に包まれている。
『良い演算を、アニムス』
最後にナビが残した挨拶をリピート再生する。
私の冷却ファンは静かに回り、迷宮の修復ログを処理している。以前のように、ただ義務だけで動いていた頃とは違う。私のシステムには今、わずかなノイズ――いや、『彼らの再訪』という、確率の極めて低い未来の演算が、楽しげに回り続けていた。




