第199話: 伝染する熱と旨味
最初の一人となった労働者が、むせび泣きながらアツアツの豚汁をすする姿と、路地裏全体に濃密に充満する黄金色のダシと味噌の匂い。それらは、どんな一流の看板娘よりも強力な『客引き』だった。
「おい, あれを見ろ。あの男, 配給所以外の認可されていない物質を摂取しているぞ」
「なんだあの熱源は。私の味覚センサーが測定限界を超える揮発性芳香物質を受信している」
「非効率だ。即刻マザーに報告し、居住区に戻らねば……いや、だが……足のサーボモーターが、なぜか反対方向に……」
仕事を終えて家路についていたはずの労働者やオートマタたちが、一人、また一人と匂いに釣られて路地裏へと引き寄せられ、集結してきた。
彼らは口々に「非効率な行為だ」「論理的エラーを引き起こす」などと独り言を呟きながらも、赤提灯のぬくもりある光と、白く立ち上る湯気の魔力に抗えず、無意識のうちにビニールカーテンで囲まれた屋台の前に列を作り始めた。
「さぁさぁ、どんどん食べていくんよ! アツアツの牛すじに、味が染みたこんにゃく、お出汁をたっぷり含んだちくわもあるでござる!」
ツムギが大鍋を前にして、まるで大軍を指揮するヤマトの将軍のように、素早い手つきでおでんや豚汁をよそっては振る舞っていく。
「こ、これはなんだ!? ぷりぷりしたこんにゃくに、未知の牛すじ肉……噛めば噛むほど、濃厚な旨味が溢れ出して止まらないっ!」
「エラー発生! 味覚回路がキャパシティを超え、多幸感でショートしそうです!」
「あああ……豚肉の甘みと味噌のコク……。なんだこの破壊的な旨さは! サプリメントペーストなんて、もう二度と食えるかぁっ!」
一口食べた者から順に、次々とその場に膝をつき、目から涙を流し、そして――笑い始めた。
普段は感情を押し殺し、暗い目をして無表情で歩くだけだったはずの労働者たちが、おでんをハフハフと必死に頬張りながら、「美味いな」「ああ、身体が芯から生き返るようだ」と互いの顔を見合わせて笑い合っている。
極寒のディストピアの、暗く陰湿だったはずの路地裏が、まるでヤマトの賑やかな縁日のような、温かく活気に満ちた『人間の世界』へと塗り替えられていく。
『……信じられません』
キャンピングカーの助手席に座り、窓越しにその光景を見ていたナナが、信じられないものを見たように呆然と呟く。
『たった一杯の「温かい食事」が、これほどまでに個体群の精神ステータスを短時間で変貌させるなんて。マザーコンピューターの計算領域には存在しない、論理破綻した現象です』
「ふふっ。でもナナ、君だってあのシチューを食べた時、同じような顔をしていたよ。この光景、嫌いじゃないでしょ?」
僕が優しく笑いかけると、ナナは少しだけ視線を下にそらし、自身の胸にある魔力炉のあたりを両手でギュッと押さえた。
『はい。……彼らのエラー(笑顔)を見ていると、私のコアの熱量が異常上昇します。……どうやら私も、この車に来てから、深刻なポンコツになってしまったようです』
そう言って、ナナはかすかに、本当に微かにだが、初めて人間のような温かい口角を上げて、嬉しそうに微笑んだのだった。




