9-16
河川敷には断続的に水上機の離発着の轟音が響き渡る。
着替え終わった後に、小屋からピッチへ出てきた私の姿を視認して、ビョルン選手は一言こう呟いた。
「……君達が魔法使いってことは分かってたつもりだったけれども、その服を見ると軍人なんだなあって今更に実感するよ」
私が今着ているのは、魔法爵育成学院の体育着であるけれども、これって普通の学校のものとは違って本来は戦闘服として使われているものでデザインは男女ともに一緒なのである。
瘴気の森での戦闘行動を一応前提としていて、森に溶け込みやすいように迷彩柄だ。言ってしまえばミリタリー系なのである。まあ正確には系ではなく純正品なわけだが。
制服である軍服ワンピースの方は、これも正規の軍服であるが私個人の感覚としてはコスプレっぽさが拭いきれなかった上に、この世界の人たちから見てみればちゃんとしたデザイナーが見栄えも気にして作った『衣装』としての側面がどうしても強かったのであろう。だからこそ『魔法使い』であることと軍人という要素がどこか朧気にしか繋がっていなかったとも考えられる。
更に『女性魔法使い』という存在そのものが、ここ数年で出来た新概念であるということを踏まえれば、魔法使いの外の大衆目線で見たときには、むしろ『女性魔法使い』という存在そのものがファンタジーに近いのかもしれない。ファンタジー世界でファンタジー扱いされているとは夢にも思わなかった。
加えて言えば私達と交流があるビョルン選手ですらそんな反応ということは、他の選手らの目線を集めてしまっていた。まあ、そりゃ戦闘服自体を見る機会が少なそうだし、普通男性が着るものって固定観念が向こうにはあるからある程度は致し方の無いことかもしれない。
というわけで期せずして完全にガルフィンガングSCの練習が一旦止まってしまった。練習の邪魔になるというアロディアさんの言葉は、全く予想外の形で現実のものとなってしまったわけであるが、ビョルン選手はむしろこの状況を奇貨として利用することを思い付いたようである。
「――そうだなあ。折角だし……」
そう言ったビョルン選手は手を挙げてボールを要求すると、その次の瞬間にはピッチ上で練習していた他の選手からロングボールが飛んできた。それを見事に足でトラップした彼は、次のタッチで私に軽い浮き球のパスを渡してきた。
「えっ、ちょっといきなりですか――」
こういう咄嗟の行動は、どうしても無意識で身体が反応してしまう。脊髄反射となると、その領分は前世の私の領域ではなく身体能力を補完するこの身体・悪役令嬢ヴェレナ・フリサスフィスの領域となる。
となると、その浮き球を易々と胸トラップして、勢いが減衰されたボールは重力に従い自由落下でストンと私の左足へと収まる。なお、ここまで完全に無意識下の行動である。この身体の運動能力の高さを改めて自分自身で再認識するとともに、周囲にそれを誇示する結果となってしまった。流石に脊髄反射は意識してどうこうなる部分ではないから仕方無いが、ビョルン選手完全に今の状況を狙っていたでしょう。
そのビョルン選手は嬉々として、実に楽しそうな声でこう話す。
「やっぱり! 最初に会った頃から、運動神経良さそうだと思っていたけど俺の見立て通りだったようだ!」
……うん、何というか分かってきた。
今まで私は『天才』と呼称して差し支えない相手と幾度も相対してきた。オーディリア先輩もソーディスさんもそうだし、吟遊詩人のティートマール・ベルンハルト氏も、あるいは3年年下で次世代戦争における瘴気の森の殲滅戦略を提示しているベレンガリアさんとか、はたまたエルフワイン王子もそうである。
しかし、彼等はいずれも弁舌であったり、理論であったり、交渉であったりと頭脳労働面に関する天才だ。
ビョルン選手もまた天才なのであろう。しかし私が今まで会ってきたどのタイプとも異なる。
「……私がサッカーは観戦だけではなく、多少嗜んでいることを分かった根拠はなんでしょう?」
「そりゃあ最初に会った時にはサッカー戦術談義だし、今日も運動が出来る服を持ってきている時点で、薄々感じていたけどさ。
確信したのは、やっぱりさっきだね。――練習中のピッチの中のボールを目がしっかりと追えていたから」
……目でバレるか。今まで所作で私の心を読んでくる相手は無数に居たが、目の動きだけで『経験』を見抜く相手には初めて出会った。
つまりこのジークマール・ビョルンという選手の何よりの武器は『観察眼』なのであろう。先天的なものなのか、努力で獲得したものなのかは分からないが、競技だけではなく、こうした日常の一面においても役立つレベルで彼の観察眼は優れている。だからこそ、このチームで中核選手となり得ているのだ。
「……それが分かる時点で、ビョルン選手の『目』は私のものよりも遥かに違った世界が見えている何よりの証左だと思いますけれど」
「確かにそうだろうが、君の目は恐らく俺の見えている世界にそれなりに近しいと思うよ。
……ちょっと試してみようか。ウチの正ゴールキーパーとPKで勝負してみないかい?」
どうしよう。前世ならプロサッカー選手相手にPK戦なんて考えもしなかった。それどころかサッカーなんてゲームでちらりと触れたくらいのレベルでしかない。それもスポーツゲームではなくサッカー部を攻略する恋愛ゲームだし。
ただし今の私は、その頃の比にはならない程の運動神経があり、フットサルの経験もあり、何より魔法使いになるために教練などの特別教育や軍事教育を施されている以上、おおよそ女子の中ではかなり高い水準の体力と身体作りはしている気がする。
だからこそ……うん。プロ選手相手にどこまで通用するのか試してみたい。そんな気持ちが今でも内面インドア派である私の中に出てくるとは思わなかった。
私がゴールへちらりと目線を向けた瞬間、ビョルン選手は次のように口を開く。
「……それだけ目を輝かせていれば、答えを聞く必要はなさそうだね。しかし、一目でウチのゴールキーパーのスタメンを見抜くとはさすがだね」
「いや……あの人だけ背番号1番付けているじゃないですか。他のゴールキーパーの方は2桁の背番号を付けていますし……」
ちょっと、訂正が必要かも。ビョルン選手の観察眼は確かに優れているが、何というか逆に基本的なところで抜けている。
*
あれよあれよという間に、私はペナルティマークにボールをセットし、そこから助走の数歩分距離を取っていた。右脚で蹴るので助走は斜め左から入るようにする。
見世物としてはこれ以上のものも中々無いと思うので、ピッチ上で練習していた選手のほとんど全員が、この突如始まった催し事に着目している。
そして私と相対するグローブを付けた背番号1番の選手。彼がこのガルフィンガングSCのスタメンのゴールキーパーである。
サッカーゴールの大きさからすれば、1人の人間が両手を限界まで広げたところで本来はちっぽけな存在でしかない。しかし、目の前でこうして相対するとその威圧感というか集中力からか何倍にも大きく見える。
スペースは無数にあるのにも関わらず、どこへ向かってシュートを打っても入らないような錯覚すら覚える。
「PKは蹴る側のが圧倒的有利な場だ。実力が対等ならば、概ね8割は成功すると言われているよ」
そう直前に話してくれたビョルン選手は、アロディアさんとともにピッチの外で私とゴールキーパーの対決を見守っている。
8割。しかしその数字は対等であればという註釈付きだ。サッカーの実力という意味ではおそらく隔絶しているのだから、おそらく五分ですらないのだろう。
1度深呼吸をする。格上相手でありプロ選手から見られているこの環境、私にとってマイナスに働く因子が多い……と思いながら、ふと気がついた。
――私、そこまで緊張していない。
呼吸は乱れていないし、周りもしっかりと見えている。極度の緊張状態になると頭が働かなくなり、身体が微熱があるかのようにぼやっと熱くなる特有の感覚があるが、それも無い。……その感覚を逆に覚えているのはアプランツァイト学園初等科入学時の挨拶のときだ。まあ何百人という聴衆の前で挨拶をする経験に比べれば、今の状況は異なるか。
それに格上相手の1対1も、今になってみれば私は何度も経験していることであった。そしてそれは同時に突破口となる。
単純なサッカーの技量勝負に持ち込んでは絶対に勝てない。ある程度フットサル経験があるので、止まっているボールなら方向や高さなどは大雑把に調節することはできるが、ピンポイントで隅の方を狙うまでの技量はない。
だからこそ、心理戦の土壌へと相手のゴールキーパーを引きずり込む。偶然やまぐれにかけて枠内ギリギリを狙うのも1つの考え方であるとは思うが、それじゃあ『ヴェレナ・フリサスフィス』らしくない。
1度黙祷をするかのように目を閉じて、数秒後に再度開ける。
「――よろしくお願いします」
その言葉は自然に出てきた。そして改めてゴールを眼中に収めたとき、先程まで感じていたゴールキーパーの威圧感のようなものは幾分柔らかくなったように感じた。
目線をゴールの左端から右端まで向ける。しかし隙は無い、であれば隙を作るしかない。
もう一度左へ目を向ける。そして見つめるのは左側のゴールポストとクロスバーの結節点。物理的に中央から最も遠い地点である。
そしてボールまでの距離を目測する。おそらく5歩といったところか。更にゴールキーパーの表情を伺う。変わらない。まあ私には心を読むスキルは備わっていないから仕方ない。
諦めてもう一度軽くゴール左上を見据えてから、足を動かした。
1歩、2歩と歩みを進めて小走りの状態でスピードに乗る。3歩目で足の向きを少し変える。
4歩目にはほぼゴールに向かって直線方向。
5歩目、この左足が軸足となる。軸足はボールから少し離れた位置へときた。そして腕を大きく振り、身体をまるで半回転させるかのようにひねる。この時点で相手ゴールキーパーが動き出したのが気配で分かった。
顔を再びゴールに向ければ確かに左側へとキーパーが動き出していた。
6歩目を踏み出すことはなく。勢いづいた右足は、そのエネルギーを殺すことなくボールへと乗せてゴールへと向けて蹴り出す。
そして私は。右足の外側――アウトサイドでボールを蹴り。
真っすぐ――ゴールの右隅に向けてそれなりのスピードでボールは転がっていった。
*
「いや、見事にキーパーの逆を付いていたし、狙いもプロ顔負けだ。正直、ここまで面白いものが見れるとは思わなかったけれども……まあ、枠外は枠外だ。
残念だったね」
結局。私の蹴ったボールは、確かにキーパーの完全に裏を付いたことでそれを防ぐ者は存在しなかった。しかし、飛んだ先が少々まずかった。右端のゴールポストの更に右側……つまりゴールの外であった。
左へ動いていたキーパーは完全に虚をつかれた表情を最初は浮かべていたが、そのボールが外れたことを見てあからさまに安堵の表情を浮かべていた。彼の身体はまさしく左上へ飛んでくることを企図したかのようにジャンプすらしていたので、私の目線は完全に読まれていたし、逆に目線による誘導は成功していたともいえる。
だからこそ、外してしまったことは悔しい。その理由をビョルン選手に尋ねる。
「何がいけなかったか、外から見て気付いたことはありますか?」
「うーん……。そりゃ技量的な部分で言えることはあるけれども、そうじゃないでしょ。
……あっ、それならこれはどうだい? 君は、元々左利きなのを矯正しているね?」
背筋に嫌な汗が伝った。まさかここで左利きに言及されることは想定していなかった。
「……ええ、確かに小さい頃は左利きだったと、お母さんから伺っています」
転生前ヴェレナが、元々左利きであったことを私はお母さんから知らされている。忘れるわけがない。
「多分そのせいかも。本当に僅かな差なんだけれどもね、やや身体の力の入れ方が偏っている気がするよ。多分意識的なものじゃないとは思うし、身体の本来の動きからごく僅かに逆らって力が入っているように見えたかな。その変な力の入り方が、非常に精密な動きを要求されると、ちょっとだけ自分の思い通りとずれる……とかかな?
いや、そうは言っても日常生活はおろかスポーツをやっていてもこれだけの潜在能力があるなら、困ることは早々ないとは思うごくごく僅かなものだと思うけれどもね。
心当たりはあるかい?」
私の中で、疑問に思っていたことが1つ氷解する大きな心当たりがあった。
2年前の3月に行った1年次の野外演習においての射撃演習。魔力枯渇するまで射撃を続けたのにも関わらず、女子生徒の中で私だけ唯一全ての射撃目標を撃破出来なかったあの出来事。
確かに、魔力残量を意識することなく、課題のこなし方について創意工夫することなくうまくいかなかった。
しかしビョルン選手が言う通り、極めて精密な動きをするときに本来左利きであった身体を私の意識で無理やり右利きとして運用しているがために、本当に僅かであるがずれが生じるということであるならば。
この身体のポテンシャル的には、数度当たらずとも狙撃銃の狙いを修正すれば当たるはずだったのに、あの時20回以上やり直して3発しか当てられなかったのは……。
――私の身体の使い方のせい?
*
「――それで、アロディアさん。ちゃんとビョルン選手から聞き出せた?」
私は内心の動揺は隠しつつ、水上機の爆音にかき消されおそらく周囲には聞こえていない環境下で、私はPK戦の感想を聞いている素振りでアロディアさんに課していたミッションの報告について聞く。
PKの勝敗もビョルン選手の観察眼による私の身体の使い方も本質ではなく。本来の目的は、義父が森の民サッカー協会と繋がりがあるブランヒルデさんのバックグラウンドについて知ることである。
私の質問に対して、アロディアさんは神妙な表情をして、こう答えた。
「あや、想定よりも深い繫がりが。
プロチームが資金のやり繰りに苦しんでいることはヴェレナ先輩も知っていますよね? 実はケールスティンさんの義父であるオドラニエル・ブランヒルデさんが会長職に就任してから、助成金の申請がかなり通りやすくなってチームの財政健全化に貢献しているらしい……と。ビョルン選手も経営の中核にいるわけではないですので、あくまで又聞きということですが、信憑性は高いでしょう。
……正直、私も応援に来るサポーターの数はあの『世界繊維危機』の後は激減していることはスタジアムに足を運ぶ中で分かっていたので、どうやってこのガルフィンガングSCが従来通りの経営を維持しているのか疑問に思っていました。
それで、何故オドラニエルさんが会長に就いてから急激に羽振りが良くなったかと言えば……」
「……軍拡、だよねえ……」
様々な意図が包括されているものの1つには『世界繊維危機』による雇用対策として失業者の受け皿も企図して、魔法使いの『留守部隊』の新設が行われた。これは、既に魔法爵育成学院を卒業して『魔法爵位』を有することになった先輩の4人が配属され、私も卒業後配属予定である婦人大隊もその増設部隊の1つであることから、軍拡は私達に大きく関わりがある内容である。
「……恐らくヴェレナ先輩の推察の通りかと。3月に通過した今年度の予算案では魔法使い・錬金術師の常備兵力の拡充が雇用対策目的で増やされていましたが、その拡大予算の恩恵を近衛兵も受けていて、それをサッカー行政へと注ぎ込んだ可能性が考えられます」
悪いことではないとは思うが、現在進行形でその近衛兵の一派に監視の目を向けられている私にとっては気になってしまう。
近衛兵予算の一部がサッカーの振興に利用されている。
それが意味することは、一体……。




