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「――おっと、すまないねお嬢さん。ちょっとすぐに終わるから、そこのソファーにでも掛けて待っていてくれるかい?」
「あっ……はい。ディールケス教授、分かりました」
……結局来てしまった。
ここは王都南部の基幹鉄道駅であるノヴレフルス――かつてローザさんと水族館に行った場所――から、2駅ほど北へ行った場所にあるハーロムドルフというエリア。
そして、訪れたのは『ヌーベグリッター共和大学』。
初等科時代に通っていたアプランツァイト学園然り、お父さんの職場であるスタンアミナス大学然り、こういう教育機関というのは基本的に王都の中央から少し外れた場所にある。
地価の問題やら研究で危険な実験をする都合やら、そもそも大学という施設がまだ真新しいもので王城周辺の古くからある街並みを潰して建てるくらいなら街の外側にという運用思想の下建てられた経緯があるからだ。ついでに言えば、全部私立校だし。魔法青少年学院も魔法爵育成学院も王都の中心部付近に位置している。
とはいえ先に挙げた学校と、今訪ねている『ヌーベグリッター共和大学』のいずれも、そうした中では王都中心部に比較的近い地域ではあったりする。
財界人や実業家の卒業生が比較的多めとされるこの『ヌーベグリッター共和大学』だが、何故私がそんな場所を訪ねたかと言えばここが、ウルスラ・ノーマンさん……つまりは『レーヴンヴァルトの片翼党』次期棟梁候補のノーマン総務部長の妻の実家でありかつ、レーヴンヴァルト州の元領主であったディールケス伯爵家の先代当主がここに居るからだ。
何か自分で言っててあれだが、分かりにくいな。
ともかくその人の名は、ジスラン・ディールケス。『農政』と『移民』政策に関する専門家で、社会学の教授だ。
今、私に背を向けて何やら机に向かって書いている白髪の老紳士がそのディールケス教授なのである。
私個人としては、このお爺さんに会うことをとても悩んだ。けれどもルシアのお父さんであるベックさんから、
「……悩んでいるということは伝手があるようだね? ならば行った方が良いと思うよ」
と、こんな助言を頂き、結局のところ何が起きているのか把握はしたかったために、こうして出向いた次第である。
しかし、まさかあの家紋入りの懐中時計。……いつか使うだろうとは思っていたけれどもこんなに早く出番が来るとはな、と若干当惑しつつも、使えるものは使わないとということでアポを取る時にはお世話になった。一応今日も持ってきている。
しかし、今日は安定の制服ではなくフォーマルドレスの装いにした。ベージュのフリルボレロにパステルピンクの膝丈ワンピースドレス。サッシュベルトは大きな飾りの部分がシックに目立たせる形で膝元は黒色のチュールで引き締める。
まあドレスを選択したというよりかは制服を避けたのが主目的だ。普段であれば魔法使い所属であることを明確にする制服であるが、今回は曲がりなりにも片翼党との繋がりが疑われる部分なので、そこで私服にすることであくまでそうした誘いを断ち切っている意図がある。伝わるかどうかは別問題だけれども、そういう主張が出来るように材料を揃えるのは大事だろう。
そしてそんなディールケス教授の研究室を一望。ぱっと見で分かることは蔵書の多さ。とはいえ、研究室というのはそんなものなのだろう。お父さんの研究室にも本は沢山あった。
そしてお父さんの研究室と比較すると狭い。というか、学生用のスペースが無く、あるのは教授の机と応接用ソファーだけ。多分秘書さんとかは居るはずだから別室でもあるのかな。まあ、この辺は学校ごと、分野ごとに全然違うだろう。
「……お嬢さん、コーヒーでも大丈夫かい?」
「あっ、はい。お気遣いいただきありがとうございます」
色々と思惑に耽っていたらいつの間にやらディールケス教授の作業は終わったようで、私の分のコーヒーも入れてくれていた。
そしてコーヒーカップ2つとシュガーポットを木目調のトレーに乗せてこちらへと持ってきてくれた。
しかし……コーヒーか。確かこの世界ではコーヒーは高価であったはず。それはコーヒー豆が熱帯原産であること、そしてこの世界の人類の居住地域は東西に広がっており、南北方向にはあまり幅が無いということと、南半球は全て未知の森で覆われているという点。
そもそも熱帯域の人類勢力圏が少ない。だからこそ熱帯でしか採れない作物の値段は私の世界基準で考えれば高価となる。
「あのコーヒーって温かい地域で採れるから、高価……なのですよね?」
私がそう告げれば、ディールケス教授は興味深そうに頷いてこう返す。
「ほう、よく知っているねお嬢さん。とはいえ温かい地域……なんて生易しい場所では無いよ。この国の夏もそれは不快な暑さだがね、私がこのコーヒー豆を頂いている聖女の国の南西部地域は、冷たい飲み物や食べ物が集落から車で1時間先の店にしかない……なんてザラだからねえ」
前世技術文明と今世の魔石装置に囲われた生活を送ってきた私にとってそれは確かに苦行だ。体験したいとも思わない。
しかし、ちょっとした疑問が生じたのでぶつけてみる。
「聖女の国って、先進国であったはずではないでしょうか?」
錬金術に熟達し、瘴気の森に接していない国。そして元ゲーム『黒の魔王と白き聖女Ⅴ』のヒロインの出身国。少なくとも森の民よりも先進地域であるということはソーディスさん情報から新聞に至るまで様々なところから確認していたものだったはずであるけれど。
「あちらさんの国は国土が広いからねえ。……先進国とは言ってもピンからキリまであるのだよ。お嬢さんが知っているのは、都市部の話だろう? コーヒー豆を育てているような片田舎の風景とはまるで違うのさ。
……私の研究内容的にも訪ねるのは田舎ばかりだから、不便で嫌になるよ全くねえ」
口では農業地域の利便性の悪さを揶揄しながらも、しかしディールケス教授の表情に現れるのは懐古の情である。
しかし国土面積か。今まで気にしたこと無かったな。先進国と言われれば都市部をイメージしてしまいがちだけれども、そりゃ田舎もあるに決まっている。均質化して国家というカテゴライズで農業を見るというのは少々粗野というものなのかもしれない。
そんなことを考えているとディールケス教授はこう口を開いた。
「ま、私のことは良いだろう。わざわざ魔法使い内部で『政治ごっこ』をしている女婿殿の伝手を使って私に会いに来たんだ。このような世間話をするために遊びに来た訳でもあるまい?」
前置きはくどいということか、話を本丸へと持ってきた。まあ、小細工せずに率直に聞いてしまおう。
「実はさる筋から農村対策の要求が政府に提出されているという話を聞きまして。『農政』の専門家で在らせられるディールケス教授のご意見をお聞きしたいな、と思いまして。まずは、そちらについてご存知でしょうか?」
私がそう告げると、ディールケス教授は目を一瞬閉じてソファーへと寄りかかる。そして再び目を開けたときには次の言葉を放っていた。
「……そちらのお客人だったか、お嬢さん。まあ、そうだね。ご存知、というか……そもそもその提言を行った組織の一員だよ私は」
おや、予想外に核心に至れる人物に接触できた。これは思いがけない幸運であると嬉々とした感情とともに、より一層注意せねばという戒めの心を同居させつつ話を聞く。
「ともかく、どこまで聞いているか確認させて貰おう。何を要求したのかは伺っているかい?」
「新規開拓への助成金と、肥料購入補助金。そして……農業従事者債務の支払猶予ですね」
「大変結構。さて……その様子だと、引っかかっているのは支払猶予かな?」
その老紳士の質問に頷き返すことで応答する。そして僅かに生まれた間隙に口を滑り込ませた。
「その……支払猶予は、かつての魔王侵攻手形決済を想起させます。20年の不況を生み出した元凶とも言うべきその債権に類似したものと言うのは、素人目で見ると忌避感を生みかねないものだと思いますが……」
「まあ、そうだね。あの忌々しき魔王侵攻の被害は支払猶予から始まり割引補填から国債交換を経て最終的に『森の民金融恐慌』における銀行の統廃合にかこつけて行った特別融資の対価でもってそれら『不良債権』を完済した、その認識は合っているかね?」
ここも頷く。まあ問題はその過程で20年に渡る金融不安と『森の民金融恐慌』を併発した点であるが。
「つまり、これはこう言い換えることも出来ないかね?
支払猶予を行った債権の処理に関して我が国は知見がある。確かに『魔王侵攻手形』の処理には20年要したが、国債化による分割支払という手法、そしてそれが上手く行かなかったときの代替計画まであるのだから、そこまで混乱に至ることは無いと私は見ている。
……それに『森の民金融恐慌』で中小銀行が統廃合され、その結果地方に有力な銀行が幾つも誕生した。その『地方銀行』たちは新たな国債の担い手として拡大財政を支える力になっている」
事ここに至っては、最早私が高校生であることはお構いなしである。えっと、1つずつまとめていこう。
1度魔王侵攻手形の件で曲がりなりにも処理が成功しているのだから、2度目はもっとスピーディーにかつ金融不安を生まないように対処できる……まあ、そういうものなのかな。でも手探りで決済期限を延長していた魔王侵攻手形よりかは上手くやれそうと言われれば確かにそうなのかもしれない。
そして銀行の統廃合。これは私も当時ちょびっとだけ関わったやつであるが、統廃合され弱小銀行が淘汰されある程度まとまったことで、地方の銀行が国債の買い手となるという思いがけぬ効果を発揮しているようだ。
確かに、現在の『世界繊維危機』にて様々な対策を練っている現行政府は、拡大財政を推進していたが、その財源がどこから出てきていたかと言えば国債発行だったのだろう。そして偶然か財界が狙っていたかは分からないが、度重なる合併により銀行の地力が付いていたことから、その買い支えが出来ていたというロジックであった。
そして、この言葉には更なる裏もある。
「……駄目なら再び銀行を合併させれば良いという訳ですね」
「左様。とはいえ、そこまで行くと金融対策の領域だから私の方からは何とも言えないよ。
……まあ、そうは言っても『支払猶予』という単語に忌避感を覚えるものは多いだろう」
「……それはそうですね。今のロジックを知らぬ者であれば尚更かと」
「故に、これについては認められたら儲けものという譲歩の札に過ぎないよ。無論、今後の農村の窮状を鑑みるに成立するに越したことはないが……本命でもない」
あー……交渉用の見せ札というわけか。分かりやすく忌避を抱くワードを含む案を取り下げることで譲歩したように見せつつ、本命は別の場所に用意している、と。
「本命ですか。……流石に肥料補助金ではなさそうですね。
となると、おそらく新耕地開拓の補助金でしょうが……、ですがこれって『森の民冒険者信用中央金庫』が現在支援していることを国策化するということですよね?」
少なくとも私はベックさんからそう聞いていた。
すると、ディールケス教授は納得するように頷いた後にゆっくりと理解を示した様子でこう返事をしたのである。
「……なるほど、どうも違和感があると思ったら齟齬はここにあったようだね。
お嬢さん、1つ質問をしよう。『耕作権』についてはご存知かい?」
「……いえ」
『耕作権』。初めて聞いた言葉だ。
とはいえ、割と読んで字のごとくの権利で、地主などの農地保持者に賃料を支払ってある土地を耕作する権利のことだ。すなわち、農地を自前で持たない小作人が地主と契約した際に発生するものである。
この森の民における農業形態の1つとして、地主は小作人に対して土地と植える作物について決定して、収穫量などから一定割合分だけ賃料として徴収する。物納であることも金銭徴収であることもあり得るようだ。
なので地主層がより利益を上げるために安易で単純な手段としてはその徴収する割合を引き上げて小作人から搾り取るということが考えられるが、ここでこの世界を近代たらしめた原因である『人間は魔力資源という意味合いで有望な人的資源』という考え方があり、下手を打てば行政指導が入りかねない。
だからこそ、地主層は小作人を飢えさせてお上に怒られないように、森の民冒険者信用中央金庫の耕地転換の誘いに乗った。
「……あれ? それならやっぱり、国策化するだけなのでは――」
「――『新規開拓地』への助成金だよ、私達が要求しているのは」
耕地転換……ではない。
新規開拓地、言われてみれば確かにそうだ。その言葉の意味する部分の真意を問うために私はディールケス教授の顔を見る。
「既存の農地を転作する場合でも、法の穴を突けば『新規開拓地』として認められるかもしれないけれどもね。でも私達が本質的に求めているのは新たな開墾地を耕作する際の助成金だよ。
……さて、ここで1つ問題となる。当たり前だが我が国――『森の民』は名が体を表す通り、森が多く土地に起伏が激しい。だからこそ農業に適する平地というのは限られている。人口も最近3700万人を突破して増え続けている……さて、お嬢さん。この国に開墾に適する土地はあるのかな?」
「斜面を切り崩す……というのは苦労しそうですね。となると、新規開拓地と出来る場所はどこに……?」
「更に1つヒントをあげようか。私は、確かに『農政』の研究者の端くれだが……。専門は実はもう1つあってね……。知っているかい、お嬢さん?」
――その言葉を理解した瞬間、私は全身に悪寒が走るのをしっかりと認識した。
そうか。この問題も結局、私を破滅へと導くものだったか。
このディールケス教授の専門分野は『農政』と……『移民』。
「隣国への『入植』を企図したもの……という訳ですね」
「既に、『街道の民』には我が国の兵力でもって魔物対策を行っているのは他ならぬ魔法使いの卵であるお嬢さんなら知っていることでしょう? であればもっと本腰を入れて魔物駆除を行えば『街道の民』と瘴気の森の間の空白地域を農地として利用できるという考えなのだよ」
ゲームシナリオで起こる商業都市国家との戦争。それに至る最初の『森の民』の変質は、この『街道の民』への進駐と、商業都市国家の一部地域の買収にあった。
……まさか、魔法使い強硬派による動きだけではなく、農業界からの働きかけがあるとは。完全に想定していないところに火種はあったのである。
*
ディールケス教授の狙うシナリオはこうだ。
まず『街道の民』への兵力駐屯を増強して、魔物を駆除する。そしてその空白地域に我が国の余剰人口を入植させる。この際に『街道の民』には食糧援助などの見返りを入れ込んだ保護協定の改定を確約する。
そう簡単に『街道の民』が受け入れるかという話もあるが、我が国には防衛兵力割り当てとともに『街道統監庁』という機関が設置されており、これは『街道の民』政府に対して政策のアドバイスを行うという名目の機関だ。
この『街道の民』。言わば森の民と商業都市国家群との両属状態に近いが、前回の魔王侵攻時に商業都市国家群が防衛の責務を我が国に委譲した関係で、森の民の方が影響力としては強い。まあ両国の緩衝地帯でもある。
だからこそ、こちらからの提案に内心はどうであれ反対は出来ないだろう。実利として魔物駆除という利益と保護協定改定も体裁として用意されている。
まあ、その保護協定改定も結局のところ我が国で余る見込みのある穀物を、外交カードに変えるというものだ。一応使い道があるのであれば、政府による穀物の買い上げも多少はやりやすくなり、結果『豊作貧乏』の到来を防ぐことができるという筋書きなのだ。
問題は、入植者は森の民の住民であるという点。であるから瘴気の森からの防衛については森の民の魔法使い、つまりは私達に更なる負担が強いられるわけで……って、そっか。ここで繋がるのか。片翼党とこのディールケス教授の思想の結節点はここにあるのか。軍拡という名の魔法使い組織拡大のお題目にこの入植事業はこの上なく都合が良い。
……そして、ゲームシナリオでの悪役令嬢率いる強硬派はこの流れに乗った、と。
「また、この『移民』政策は、現状の農村で拡大している過激派思想への迎合を防ぐ役割も果たす予定だ。農村の代表者へ権限を集中させ、農村自治体の集団化・組織化を行うことで、合理化を図り無駄を減らすことで、現状への不満を無くして過激派へ農業従事者が走ることを防ぐためにも応用が出来るからね」
成程ね。つまりは、農村代表者の意向に沿わない人物を『入植者』として共同体から追放してしまえば良いということね。そのための飴として新規開拓地への補助金が必要、と。
取り敢えず農村救済策の真意は分かった。この後2、3の話し合いをした後にディールケス教授の研究室から退出した私は帰路につく。
さて、どうするか。
私の今後を考えた場合に防いだ方が良いのは確実だが、現状これに勝る対案があるわけでもない。一応ディールケス教授の企みを踏まえれば余剰穀物の処理方法まで考えているし、流石に専門家であるわけで私やリベオール総合商会の経済的な部分での懸念点は解消しているように思える。更には私個人のメリットとして農村で支持者が増大している過激派対策になっているというのは評価ポイントだ。全部が全部私に対してマイナスに働くわけでもないのだ、これ。
まあ、その分外交上のリスクを抱えているように思えてならないが、これは私がゲーム知識で将来を知っているからなのだろうか、それとも正当な疑念なのかは分からない。
分かることは、ただ今の私ではこの流れを止めるだけの手立てはないということだ。仮に王子のラインを使うにしてもリベオール総合商会のコネクションを使うとしても、やはり対案なき状態で潰すのは不可能としか思えない。
……結局、手出しできないか。ううん、まあ高校生だし仕方は無いとは思っている。何なら情報を手に入れるところまではできているのを是とするべきなのかもしれない。
ただ、やっぱり。もどかしさは感じるし、焦りも当然生じている訳で。動けるときには動けるようにならないと。




