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9-7


 『豊作飢饉』、『豊作貧乏』。

 一見すると実に矛盾しているように見える単語だ。


 沢山採れれば、沢山売れて大儲けというイメージが先行するが、世の中そんな単純ではなく、作物を買う人間が突然増えるわけでもないので供給過多となり値崩れを起こすのだ。

 前世では、生産調整のために獲れすぎた野菜や果物などを売らずに廃棄する映像や写真が度々ニュースなどで流れていた。とはいえ、廃棄せずに売りに出す訳にもいかない。

 だったら豊作になっても問題無いようにすれば良いとは思ったけれども、作物を植える段階で豊作になるか不作になるかなんて前世でも多分分からなかったと思う。だから作りすぎはどうしても発生するのだ。


 翻って今世。

 皆から聞いた情報を統合すると、豊作かどうかは別にするにしても穀物生産を拡大したがためにその穀物そのものが余りそうだ。


 そして穀物の価格暴落なんてことが発生すれば、『世界繊維危機』で既に大打撃を受けているところに追い打ちのように更なる恐慌が起こるかもしれない。

 しかも、今回は『世界繊維危機』についてルシアと話したときのように、効果的に思える対策案も無い。精々、生産調整で穀物を潰すか、あるいは何とか市場に溢れた穀物を何とかして買い上げるかくらいしか思いつかないし、どちらも供給量を調節するという普遍的な対応策なために、別に私が動いても動かなくても必要に応じて勝手に対策は練られると思う。


 まあ、経済的な話だし、もしかしたらルシア側でまた私に対して情報が絞られていた可能性を考慮すべく、とりあえずルシアに魔力通信で私の懸念は伝える。そうすれば、黙っていたならネタばらしをしてくれるはずだ――。


『ヴェレナ、召集よ。今週末に私の家に来て頂戴。お父様も呼ぶわ』



 ……あれ? もしかしてリベオール総合商会が認識してなかったやつ?


 それはちょっと想定外だ。え、割とヤバくない、それ。




 *


 女子寄宿舎を出ようと玄関へ向かっていると、その玄関の手前にあるダイニングと繋がる扉からオーディリア先輩が出てきて、私に話しかけてくる。


「ヴェレナさん、これからお出かけですか?」


「ちょっと……急用で」


 一応、外出の届出は行っている。書類を申請するときに目的とか聞かれて今までよりもちょっと厳しくなっていたけれど許可は手に入った。


「……なら、これを持っていてくださいな」


 そう言われながら手渡されたのは蜜蝋付きの封筒。厳重に封をされたものをオーディリア先輩から貰うとか怖さしかない。


「……これは?」


 多分、拒否権も無ければ実際には中身も教えてくれないだろうなあと思いながら聞くと、案の定オーディリア先輩はぼかすが、そのぼかし方は流石に想定外だった。


「――ヴェレナさんの命綱ですよ。ベック・ラグニフラスさんにお会いしたらお渡ししてくださいね?」


「……はい」


 何で行き先知っているんだとか、絶対ヤバいもの持たされたとか、そんな感情が入り乱れたが、私は結局全ての言葉を飲み込んで諦めの心境に至りつつ同意を返答をした。



 そして路面列車の2等車を使って最早何度目か分からないラグニフラス家へ向かう。とはいえルシアのお父さんであるベックさんとこういう形で話すことになるのは例の黒歴史製紙事業以来かな。

 で、いつものようにルシアの家に着けば、ルシア本人に案内されて2階の防音部屋へと直行。そしてお手伝いの人とかが居るのにも関わらず機密保護の観点からやっぱりルシアが給仕する形で、私は改めてラグニフラス親子と対面した。


「こうして会うのは久しぶりかな。色々と変わったようで、そして何より息災なようで安心したよ、ヴェレナ・フリサスフィスさん」


 ベックさんはやはりというか正装で私と対面した。そして製紙事業――あれは小学1年のときだから、実に10年前のことになるが、その時とは異なりルシアはベックさんの隣に座っている。つまり今回のルシアは傍観者では無くなっていた。


「本音を言えば、私はこういう形でまたお会いするのは少々気後れしましたけれどもね……」


 少々毒を吐きつつ、ルシアにとって供された湯気の立つお茶を飲む。……それは前世で実に飲み慣れた味、麦茶であった。

 麦茶は名前に『麦』と付いている通り、茶葉ではなく麦から出来ているけれど、麦は麦でも確か『大麦』からだったはず。種子を焙煎するという意味合いでは紅茶や緑茶よりもむしろコーヒーよりの製法と言っても良いかもしれない。まあ一番作り方が近いのは玄米茶だろうけど。


「……今、ヴェレナに飲んでもらっているのは我が国の北方の州で、今年収穫された大麦よ」


 そして、この大麦が春撒き型の品種であり、収穫は8月の下旬ごろに行われたこととを伝えられる。

 まあこれをここで出してきたということは、リベオール総合商会側でも情報を集めているということではあるのだろう。

 大麦も穀物だ。すでに収穫が為されているということは、おそらく商会側も私が今、聞こうとしていることについて調べたのであろう。


「大麦の価格はどうだった、ルシア?」


「例年に比べて2割安……といったところよ」



 2割か。また微妙な数値だ。

 価格の低下は起きているが、そもそも『世界繊維危機』の影響で物の値段については軒並み下がっているわけで、一概に『2割』という数値が耕作地の拡大によるものなのか、あるいは単に景気低調の余波を受けただけなのか判定が難しい。

 確か『世界繊維危機』の発生時点の生糸価格は半値以下になっていたはず。


 そんな私の様子からベックさんが口を開く。


「ヴェレナさんが考えている通り、判断に悩む数値だ。だが『森の民冒険者信用中央金庫』の転作補助金の対象に大麦が含まれているとはいえ、それを受けた地主や小作農は少ないだろう」


「……それは何故でしょうか」


 あっさりと心の内を読まれているが、段々とこれも慣れてきた。割とこの世界で出会った人の標準装備だし。それとも私が考えていることが顔に出やすいだけなのだろうか。


「何、実に簡単な話だよ。転作対象の穀物の中でもっとも市場価格が高いのは小麦だ」


 本当に単純だ。そりゃあ一番収入が高くなる作物を誰だって植えたいはず。そこで敢えて大麦を選択して転作するとなれば、例えば以前に大麦の肥育経験があるとか、大麦なら売る伝手があるとか、そういった何らかの理由がある少数派なわけで。


 そこから導き出されることは。


「即ち、転作地の大方は小麦畑になっているから、小麦の価格――これが肝になる、と」


「その通りだ。そして、この小麦の価格がヴェレナさんの言う通り大暴落を引き起こすかは、正直リベオール総合商会内部でも意見が割れていてね。

 まあ、我々は小麦を取り扱っていなかったからね。食品関連が門外漢だからなあ」


 そう苦笑いしながら告げるベックさん。確かリベオール総合商会の主要事業領域は、金融・鉱山・工業の三本柱だっけ。


 付け加えるようにルシアが話す。


「一応、クレティとも協力してはいるんだけどね。リネン油が『世界繊維危機』後に6割くらい価格が崩れたらしいけど、それ以外の油は軒並み安くなってはいるらしいけれども極端に下がったものはないらしいわよ。

 今は大豆油とトウモロコシ油に着目していると言っていたわ」


 リネンって確か繊維でも使われてる植物だったよね。確か天然繊維では綿や絹に次いで三番目のシェアをウールと争っていたってやつ。そりゃがっつり繊維関連だから価格暴落するわな。

 しかし、他の穀物で変動が薄かったからと言って小麦で暴落するかは分からない。転作地の過半は小麦であると推定されるのだから影響範囲が素人目では読めないということだ。


「……政府としてこの件に対しての対策は? あるいは『経済産業連盟』内での動きはありますか?」


 かくなる上は、予測ではなくまだ発生していない事態に対してどういった備えが為されているかに焦点を変える。

 大手商会の利害調整組織である『経済産業連盟』にアクセスできるベックさんであれば、動向を掴んでいるはずだ。私に教えてくれるかは別問題だが。


 そして私の疑問に対しての返答は芳しくない。ここは情報共有できるラインを越えているのかな。


 と、ここでふとオーディリア先輩が渡してくれた封筒に思い至り、これを手渡す。


「……それは?」


 私は何も言わずに中を拝見するように促す。



 ――次の瞬間、ベックさんとルシアの表情が凍った。


「……ちょっと。……オーディリア先輩ここまでするの……?」


 ルシアの呟きが私の恐怖を増大させる。一体何が入っていたのか。


「……一体何が」


「……ヴェレナもこの中身知らなかったのね、まあ無理も無いわ。

 ほら、見てみなさいな」


 そう言われて手渡された紙を私も震える手で見つめる。

 と、同時に私も表情が凍った。



 ――その書類は、魔法爵育成学院への不法侵入者の素性が記された一覧のリスト。


 魔法使い内部の機密指定文書であった。




 *


 その機密書類の隅には手書きで『これがバレたら私もヴェレナさんも魔法法廷送り確定なので、確認したら速やかに処分してください』と一筆入れられている。


 服務提要に反している以上、魔法使い内部の法で裁かれる行為だ。そして私も幇助ほうじょしたことになるので、黙っていてどこからか露見した場合連座する恐れがある。

 何故、オーディリア先輩はこのタイミングで情報流出というリスクのある行動を取ったのか。


 私がオーディリア先輩の行動を理解できずに呆然としていると、ベックさんが力の抜けた私の手の内にあった書類を取り、そしてそのまま部屋の隅の棚から取り出したアームリフト式のオイルライターを用いてそのまま火を付けて燃やしてしまった。


「あっ……」

「えっ……」


 私とルシアは同時に声を挙げたが、ベックさんは気にすることなく言葉を続ける。


「……オーディリア・クレメンティー嬢からの贈り物である花火・・は実に風流ではあるが、今は秋口。少々季節外れよな」



 今まで幾度も交渉の場を経験してきた私であったが、それまでのやり取りがお遊びに過ぎないものだと、このベックさんの物言いとここには居ないオーディリア先輩に思いを馳せつつ、気圧されて何も答えることが出来なかった。



 しかし、1つだけ分かったことがある。


 ――私は、この瞬間に何か(・・)を回避したのだ。

 根拠は無いが、しかし確実に私の深層意識はそう訴えかけていた。




 *


「……政府も『経済産業連盟』もまだ本格的な対応策の決定段階までは踏み込めていない。起きるか分からぬ『豊作飢饉』よりも『世界繊維危機』への善後策のが優先すべき課題だからね。

 しかし、一部からは農村対策への要求も出ている。1点目は新規開拓地への助成金で、これは今『森の民冒険者信用中央金庫』がやっていることを国策化して欲しいという要望に近い。

 2つ目が、肥料購入の補助金だ。まあこれも分かりやすいから説明は良いだろう。

 問題は3点目だが、農業従事者が現状抱える負債の支払猶予を求めている」


 ここに来てベックさんが明確な回答を出した、ということはあの機密文書を巡るやり取り1つで、私の交渉の手を離れてオーディリア先輩とベックさんの間で合意が取れたということ。

 その場に居ずして交渉を進めるという離れ業をやってのけているオーディリア先輩の異常性には、驚かざるを得ない。だが、今やるべきことは驚くだけのことではない。


 ベックさんの放った言葉を反芻して理解すること。そして、この情報が指し示すものは何かを考えること。それが私に必要なことだ。

 そうしたときにベックさんが問題と言った3点目。『負債の支払猶予』だが、私はこのワードに聞き覚えがあった。



「……魔王侵攻手形」


 私がそう呟いたのを見て、ベックさんは満足そうに頷いた。


「然り。『豊作飢饉』が起きた際に支払を猶予するという論理は、一見正しいように思えるが、我々森の民は26年前の魔王侵攻の際に同じことをして、それから長らく金融不安の時代へと突入した手痛い過去がある。

 それがようやく、5年前の『森の民金融恐慌』でドラッセル金融の解体と引き換えにして清算できたのに、また同じような手形を――今度は農家に対して発給せねばならないのか……という不満や危惧は確実に挙がるだろうね」


 結局、解決までに20年以上の歳月がかかった魔王侵攻手形。それの二の舞となる制度を作ろうという動きには、反発の声が出ることは必至だ。

 問題は支払猶予を言い出す人間も、おそらくそのくらいのことは織り込み済で言っているだろうということ。


「同じ論理では、再び20年の不況時代に突入するかもしれない。にも関わらず、どうして……」


 私がそう呟けば、我が意を得たりといった面持ちでベックさんが告げた。


「その通り、今のヴェレナさんと同じ疑問を私もリベオール総合商会上層部も抱いていてね。そもそも『豊作飢饉』が起こるか半信半疑でもあるけれど、同時に既に挙がってきている対策案についても疑問符を投げかけざるを得ない。

 ……しかし農業、取り分け農政はリベオール総合商会の管轄外だ。辛うじて繊維関連は売買で関係はあるが、主題たる穀物には知見が無い。

 だからこそ、この『魔王手形』を想起させるやり口の裏を我々は知りたい。

 もっとも、これにヴェレナさんやルシアを巻き込むつもりはあまり無かったのだが、オーディリア嬢の手土産を見せられたらねえ……」


 ある意味、あの書類を持ち出したのはオーディリア先輩なりの意思表示だった、ということだろうか。うーん、そんなに単純な仕掛けをあの悪辣な先輩がするわけ無いよなあ。どうせ多段式の策略なのだろう、これも。

 そして、ベックさんは続けた。


「こうなってしまった以上、可能であればヴェレナさんにも現状把握の協力をお願いしたい。

 正直に言えばリベオール総合商会としてあまり表立って動くと、逆にそれが市場を刺激して我々が穀物相場の崩壊の要因となり得る可能性もある。だからこそ、ヴェレナさんがひっそりと調べてくれるのが一番有難い。

 無論、無理にとは言わないし、協力してくれるのであれば見返りも用意するがね」


 一応、選択の余地は残してくれている。

 まあ可能か不可能か以前に検討せねばならないのは、これについて知っている人が私の関係者の中に居るかどうかだよね。

 農業の話とはいっても、一介の農家だったり地主だったりのレベルではなく、政策決定に携われるような人物なのだから、結構偉いよね。あるいは専門家チームとかだったりするのかな。


 農業の専門家……と言われても、それってやっぱり農家じゃない? としか思えない。あるいは平々凡々な意見で良いのであれば研究者とかか。でも農薬の研究者とか品種改良の専門家とかでは駄目だ。……ベックさんの言葉を借りれば『農政』の研究者。


 そんな人物に心当たりなんて1人も――。


 ……っ!



 ……1人居た。


『――妻のウルスラ・ノーマンです。実は私の父もヴェレナさんのお父君のように、大学で学者をやっているの。社会学専攻ですけれどもね』


 片翼党次期党首候補のノーマン総務部長のその妻。フリーダさん曰くディールケス伯爵家の当主の姉。

 その私に対して詭弁を通してきた女性の父親の研究分野は、社会学。


 しかも、その中でも――『農政』と移民の研究を行っているとあの魔法会館での対面時に確かに言っていた。


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