8話 帰宅
「はぁ!楽しかった。もう、くったくた」
あのあと、市場を出て繁華街も散策した。
市場で食べ歩き、カフェでお茶の休憩をして、夕飯は軽めに食べてきた。
すっかり日は落ちていた。
こんなに一日中楽しく過ごしたのは、いつぶりだろう。
見るもの全てが新鮮で、何よりケローネと一緒だと、どんな些細なことでも楽しく感じた。
ケローネとなら、多分道端の小石を見ても楽しく話ができるだろうと思うくらい、何でもないことで笑い合った。
トルトとの街歩きの時には無かった感情だった。
部屋に入ると、家までずっと繋いだままだった手を離した。
一日中手を繋いで歩いていたというのに、離れてしまうことを残念に思ってしまう。
もう、ケローネに触れる理由がなくなってしまった。
「重かったでしょう?ありがとう」
ドサッと荷物を置いたケローネに、労いの言葉をかけた。
「エミスが楽しかったなら、何よりだよ。俺も一日楽しかったよ。ありがとう」
街の案内をしてくれて、お金を出して――もちろん、後からエミスの購入分は返すつもりだが――一日中荷物持ちをしていて、それでお礼まで言うのだから、ケローネの性格の良さがうかがえる。
カップに注いだ水を飲みながら、ケローネは今日届いた郵便物の選別をしていた。
ふと一通の手紙を読んで、表情がみるみる険しくなった。
「……どうしたの?なにか良くない知らせ?」
エミスは、ケローネの顔を覗き込む。
「……え、ああ。大したことじゃないよ。……ちょっと出かけてくる。待たなくていいから、戸締まりしっかりして先に寝てて」
そういうと、上着をサッと片手に掴んでドアに向かっていった。
「えっ!あ……うん、分かった。もう暗いし気をつけてね」
こんな時間にどこへいくのか?聞きたい気持ちをグッと我慢する。深く詮索はしない。エミスがここに来てから、自分で決めているルールだ。
「……いってらっしゃい」
その声にケローネは、軽く片手を振って笑顔を見せると出ていった。
パタン――
扉が閉まる音が、いつになく大きく響くと部屋は静まり返った。
今日が楽しすぎた反動か、いつもの夜の静寂が無性に寂しく思える。
エミスはそっと、自分の手首に巻かれたガラス玉のブレスレットを撫でる。
今日の市場で、お互いに贈り合ったお揃いのブレスレット。
ケローネの手首にも、色違いのそれがついている。
エミスは、市場での出来事を思い返した。
◇
「おや、お嬢さんの胸元のネックレス、いいガラスだねぇ。」
ガラス細工の店主が、自分の店の物と分かりニカッと笑って声をかける。
エミスは首から下げていた、ケローネからもらったネックレスを大事そうに撫でた。
「ふふ、素敵でしょう?とても気に入ってるんです」
エミスがそう返すと、店主は嬉しそうに同じデザインのヘアピンやブローチもあるよ!と勧めてきた。
露店には、沢山のガラスアクセサリーが並びエミスは、目を輝かせそれを見た。
「うわぁ、素敵!!」
その様子見て、ふふっと声を出してケローネが笑うと続けて言った。
「街の中央通りにも、アクセサリー店があるよ。後で行ってみようか」
ケローネが何気なく挙げた店名を聞いて、エミスはひっくり返りそうになった。
それが王都の貴族も利用するような、超がつく一流の高級店だったからだ。
「ちょっと!あそこは庶民の格好で干物の入った袋を持って入れる店じゃないわよ!それに、そんな高いもの買えるわけないでしょ!」
「そう? でも、あの店の安いものならエミスに贈るよ?」
「いやいや、何言ってるのよ……安いの感覚が絶対におかしい! そんな高価なもの、贈られる理由がないわ」
恋人でもないのに……という言葉はなんとなく口に出せなかった。
すると、ケローネが眉を八の字にして、心底残念そうにしゅんとした。
「……俺からの贈り物は、全部拒否?」
さっき見た生地を、ワンピースに仕立てるのを拒否したばかりだ。
可愛くしょぼんとするケローネの姿に、エミスの胸がどきりと大きく跳ねる。
「〜〜っ!!じゃあ! これなら受け取る! これ買って!」
エミスが指差したのは、露店に並ぶ小さなガラス玉のついたブレスレットだった。
「それと……お返しに、私はこれをケローネに贈るね」
エミスは色違いのブレスレットを手に取った。
「え……」
予期せぬお揃いに、ケローネは目を見開いていた。
お会計を済ませると、エミスはケローネの手首にブレスレットを付けた。
その後、エミスは自分のブレスレットを付けようとした。
すると、「今度は俺が付けてあげる」とエミスの腕に付けてくれた。
エミスは、一瞬……ほんの一瞬だけ結婚指輪の交換を想像した。
「……お揃いになったね」
そう言ってケローネは、お揃いになった手首を見て、嬉しそうに目を細めていた。
◇
ドレスを仕立てるのが当たり前で、高級宝飾店に気軽に行ける財力。荷馬車が迫る危険に瞬時に気づいた洞察力。事もなげに、7カ国が話せてしまう知性。
今日一日、一緒に過ごして嫌と言うほど思い知った。
違う……エミスは、父親が親しくしていた男爵家の当主、トルト、そして店の常連の貴族を思い出す。
貴族なんてみんな、小金持ちでドレスを着てパーティをしている。でも金銭感覚や教育水準でいうと、平民であっても大商会の娘であるエミスとそんなに大差ないと思っていた。
でも、違った。
理由は簡単だ。エミスの周りに本物の高位貴族がいないからだ。
ケローネは、自分が知っている貴族とはレベルが違う。
違い過ぎる。
それにあの手紙……ちらりと見えたのはケローネが顔色を変えた、さっきの手紙に押された封蝋だった。
こんな街外れの丸太小屋に届く手紙としては、とんでもなく不似合いだ。
エミスは、ブレスレットをいじりながら短く息を吐く。
彼の正体が気になるものの、知りたくないと強く思う。
だって、知ってしまったらきっと今までのようには過ごせない。
「宝石も大金もいらない……ただ、一緒にいられたら幸せなのにな」
一人呟いた言葉は、震えていた。




