7話 漁港の市場②
ケローネは、荷馬車が突っ込んできた時に焦った。
だから、エミスを抱き寄せたのも、無意識に近かった。
本当に焦ったのは、その後だった。
ふとエミスが顔をこちらに向けた瞬間、唇に触れた。多分、あれは鼻先。
一瞬、呼吸の仕方を忘れていた。
慌てて離れようとするエミスと離れ難く、さりげなく手を繋いだ。危ないからと理由をつけて。
内心、嫌がられていないだろうかと心配していた。
繋いだ手が、最初は強張っていたからだ。
やっぱり放そうかと、ほんの少し考えたが気づかない振りをした。
すると、強張りも自然と解けて、繋ぐ手が馴染んでいった。
そのまま手を繋いで、二人は市場を回っていた。
その手から伝わる温もりに、ケローネは、口元が緩みそうになるのを必死に誤魔化す。
二人の距離は近いままだった。
ケローネは、エミスと繫ぐ反対の手に購入品を持っていた。
時折、「全部持たせるの悪いから、私も持つ」と気遣ってくれるが「俺はそんなに、やわな男じゃないよ」とケローネはやんわり断った。女の子に荷物を持たせるなんてとてもじゃないが、ケローネの中の紳士が許さない。
商売人の娘としてもあるだろうが、元々の好奇心も手伝ってエミスは市場全ての屋台をみて回る勢いだ。
「ええ!なにこれすごく美味しそう!」
エミスが店先の珍しいフルーツに、目を輝かせる。
「品種改良で出来た、新しいフルーツだ!どうだい?お嬢ちゃん!」
よく日に焼けた、小麦色の肌をした店主がニッと笑う。白い歯が印象的だった。
「じゃあ、そっちのカップに入った食べ歩きサイズのものを一つくれ。エミス受け取って」
「うん!!」
エミスが、嬉しそうに目を見開いて振り向くからその可愛さに笑みが溢れる。
フルーツのカップを手に、エミスはご満悦だった。
一切れ、フルーツを口に放り込む。
「ん〜〜〜!!あっまい!!甘い!!」
その蕩けそうなエミスの表情に、こっちが蕩けてしまいそうだとケローネは危機感を持った。
「はい!ケローネも、ひと口!」
エミスがケローネの口元に、フルーツを運んできて、思わぬ展開に固まってしまった。
「美味しいよ!食べてみてよ!」
その無邪気な笑顔に、腹を括ったケローネはえいっと口を開けフルーツを食べさせてもらった。
甘かった。とても。
フルーツを食べ終わったあとは、どちらからともなく自然と手を繋ぎ直していた。
何を見ても目を輝かせている。楽しそうなエミスの姿にケローネは喜びを感じていた。
「ええ、それ高くない?」
ある店では、商売人らしく値切ることも忘れない。
「これでも、うちは安い方だよ」
「でも日持ちはしないでしょ、今日の市場で売れなきゃ廃棄になるんじゃない?2個買うから……」
若い娘と侮っていたようだが、エミスの切り口に店主もタジタジだった。
ゆっくり歩き、立ち止まり気になったものを買ったり、一緒に食べたりと穏やかな時間が進む。
「わぁ、綺麗な布地だね」
異国の光沢のある艷やかな生地を眺めながら、エミスはうっとりしていた。
「あれをドレスに仕立てたら、エミスに似合いそうだな」
「ちょっと!ドレスなんて着て行く場所が無いんだけど」
エミスは、半笑いで返してきた。
失言だったと、ヒヤッとした。そうだ、彼女は商家の娘だ。
「え?お金持ちのお嬢さんて、みんなドレス着るんじゃないの?」
わざとらしいかと思いつつ、とぼけた返事をする。
「そんな訳けないでしょ。貴族じゃないんだから、ドレス着てパーティーなんてないわよ。せいぜい、仕立てのいいワンピースよ」
笑いながら言うエミスの顔が、少しだけさみしそうに見えた。
婚約者を思い出させただろうか……あのクソ男を。
「よし!ワンピースにしよう!」
ケローネが勢い良く言うと、エミスが慌てる。
「む、無理よ!生地だけでも高いもの!そこに仕立て代なんて払えない!」
「プレゼントするよ、それなら問題ないだろ?」
「問題あるわよ!そんな高いものダメです!」
ピシャリと拒否されて、ケローネは諦めた。
贈るというのだから、受け取ってくれたらいいのに……とは思うが、しっかりしているところがエミスの魅力でもある。
くるくる変わるエミスの表情に、見惚れていたケローネだったが、ふいにエミスに繋いだ手を離されて驚いた。
いつの間にか、つなぐ手を緩めてしまったらしい。
「エミス!!」
突然走り出したエミスを、慌てて呼ぶ。
「大丈夫ですか!おばあさん!」
見るとエミスが向かった先に、台車を引く老婆がいる。
台車の上の木箱から、リンゴがいくつか転げ落ちていたらしい。エミスは、老婆に語りかけながらテキパキとリンゴを拾っている。
荷物を持っていて遅れを取ったが、エミスのその背中に追いついた。「手伝うよ」と声をかける間もなく、エミスは、全てのリンゴを拾い上げていた。
そのまま、エミスは老婆の屋台まで一緒にリンゴを運ぶことにしたらしい。
「ごめんねケローネ」
と謝ってくれるが、老婆に付いていくことは決定事項でケローネに拒否権はなかった。もちろん、拒否するつもりは無いのだが。
その見返りを求めない姿に、エミスらしいなと、胸の中が温かくなる。
困っている人を見過ごせないと助けに走る姿は、昔と少しも変わっていない。
――あの、小さな亀を助けた時のように
老婆の屋台に着くと、店番をしていた彼女の息子がいた。ものの数分で、老婆の息子とも打ち解けてしまい、3人で何やら話し込んでる。
そうかと思えば、急に切り分けたアップルパイをのせた皿が、ケローネの目の前に差し出された。
「はい、これおばあさんが売ってるパイなんだって!ケローネも感想聞かせて?」
そういうと、エミスも自分のパイをかじる。
「うん!これ!すっごく美味しいですよ!多分、売れない理由って味じゃないです!!」
どうやら、あの短い時間でエミスは老婆やその息子とすっかり打ち解け、商売のアドバイスを求められたようだ。
どうやったら、あの短い時間でそこまで話を進められるのか。
ケローネは、エミスの社交力の高さに驚かされた。
パイを頬張り、身を乗り出してアドバイスする
エミスの目は輝いていた。
「この市場って、手軽に食べ歩けるサイズの商品が多いですよね?ホールで売ってるお土産用とは別に、小さいサイズで個別に包装して『市場巡りのお供に』って看板つけてみてはどうでしょう?」
エミスは、自分の経験や知識をフル稼働させて老婆たちを手助けしようとしている。
「ここってちょうど、人の流れが途切れちゃう場所のようなので看板を出すなら少し派手過ぎるくらいて、イラストもつけてみて……」
真剣に考える横顔は、とても美しいなとケローネは思った。
真っ直ぐに、人の為に自分の全力を尽くすエミスが眩しく見えた。どんな宝石よりも、エミスが輝いて価値のあるものに見える。
自分の周りはいつだって、媚び売り、腹の探り合い、利益や損得で動き、時に裏切られるのが当たり前の世界だ。
(やっぱり君は、いつだって僕に光をくれる人だ)
「まいったなぁ……」
思わず独りごちる。ケローネは、自分の気持ちを無視出来なくなっていた。
エミスを連れて行くことなど、叶わない。
――いや
無理やりにでもというのなら、可能だ。
自分の立場なら、エミス一人を連れて行くなど容易いことだ。
しかし、ケローネの世界に彼女を閉じ込めることなんて絶対に出来ない。
いや、したくないのだ。
彼女には、今のように自分の世界で生き生きと輝いて笑っていて欲しいのに。
―――それなのに
共に過ごす時間が、永遠に続けばいいのに、と願ってしまう。
(俺は本当に、エミスから離れられるのか……?)
それは、ケローネの胸を締め付ける疑問だった。




