6話 漁港の市場
「明日市場に行こうか」
そう誘われて楽しみにし過ぎて、エミスはその日の夜なかなか寝付けなかった。
ケローネとの初めてのお出かけだ。
それはつまり――デートみたいじゃないか。
意識すればする程、目が冴えてしまった。
「おはよう」
眠い目を擦りベッドから出ると、ケローネは準備万端でコーヒーを飲んでいた。
「――!!寝坊した!?起こしてよ!!」
急速に目が覚める。時計を見ると7時半を過ぎていた。
珍しい魚は、朝一で行かないと売り切れるなんて話していたのに!!
「……いや、なんか幸せそうな顔して寝てたら。あと…」
ケローネがヘラッと笑う
「寝顔、可愛くて」
その言葉に、エミスの顔に熱が集まる。
「――っ!!!!!」
慌ててクローゼットから着替えを掴むと、バスルームへ飛び込んで、勢いよくドアを閉めた。
一部屋しかない家なので着替える時は、バスルームを使っている。
「……なによ…それ」
心臓がドクドクとうるさい。
ケローネ本人は自覚がないかもしれないが、不意打ちで『可愛い』なんて言われてはこちらの心臓が持たない。
(……っていうか、寝顔がかわいい!?大口開けて寝てないわよね)
自分の寝顔なんて、確認しようが無いから突如不安になる。
鏡を見ると、真っ赤な顔の自分と目が合った。
(……ああ、浮かれてはダメ)
この穏やかな日が、もう少し続けばそれでいい。
これ以上は望んではいけない。
小さく息を吐く。
胸の奥が、少しだけ震えた。
◇
市場は、沢山の人で賑わっていた。
イカを焼いた香ばしい匂いが、屋台から漂ってくる。
「あーいい匂い。あ、あの雑貨かわいい。あっちの果物みたことない」
市場は、エミスの興味を惹くもので溢れていた。
「ははっ、エミスは忙しいね。気になったもの何でも買っていいよ」
両手をズボンのポケットにいれたまま、半歩ほど前を歩くケローネが太っ腹発言をする。
「そんなこといっちゃうと、市場丸ごと買い占めることになるわよ」
慌てさせようと、わざと意地悪発言をした。
勿論、ケローネに買わせるつもりはない。
今は手持ちがないから、借金することになるが家に戻ったら返せる金額分だけ買うつもりだ。
「いいよ」
「……へっ?!」
「だから、いいよ。エミスが欲しいなら市場ごと買っても」
「よ……予想外の返しだったわ。ケローネが言うと冗談に聞こえないんだけど。なんでかしら……」
「冗談のつもりじゃないからね」
ケローネが、事もなげに平然とした顔で言う。
「……ええっ」
真顔のケローネを見て、一瞬、本気かもしれないと言葉を失う。
「……ぶっ」
ケローネが吹き出して、にんまりとした顔で見下ろしてくる。冗談だったと我に返った。
「ちょっと!!!」
なんだか腹立たしくなって、軽くケローネを小突いた
その時だった。
「っと!危ね!」
ケローネは斜め後ろに視線を向けたかと思うと、瞬時に反応して、エミスをさっと抱き寄せた。
歩行者区域に、荷馬車が進入してきた。
歩行者のみだと、完全に油断していた。
間一髪、あのまま進んでいたら間違いなくぶつかっていた。
血の気が引く。
「申し訳ありません!!お怪我は!?」
御者が慌てて頭をさげながら、馬車を止める。
どうやら、間違えて入ってきたようだった。
「エミス、大丈夫?」
ケローネが、顔をのぞき込む。
「うん…大丈ぶっ…」
見上げた瞬間、エミスの鼻先にケローネの柔らかい唇がかすめ、息が止まった。
抱きしめられていることに気づいて、更に慌てる。
グッとケローネを押して身体を離す。
「大丈夫よ。ありがとう」
周りで見ていた人達に声を掛けられた。
「ケガなかったか?兄ちゃんたち。」
「よく、躱せたなぁ。すごい瞬発力だ」
あちこちから声をかけられるが、皆ケローネの瞬発力に驚いていた。
「怪我人が出なくて良かったが、次からは気をつけるように」
ケローネが御者に注意していた。その姿が、なんとなくいつもと少し違った。
御者は、エミスたちの無事を確認すると何度も頭を下げながら去って行った。
(私一人なら、確実に大怪我してたわ……)
また少しだけ、恐怖が戻ってきた。
「エミス?ほんとに大丈夫か?」
ケローネの心配そうに声をかけてくる。
「うん…大丈夫。ごめんね、ぼうっとしてて……!?」
笑って返事をしたタイミングで、手を握られる。
「行こっか。こっちのほうが安心だろ?」
(――!!!!!きっ……緊張して手汗出てきた……!)
「あ、あっちの屋台気になるんだよね」
ギュッと握られた手を解くことも出来ず、そのまま呑気なケローネに手を引かれて進むことになった。
ケローネは手をつないでいることなんて、何とも思っていない様子だ。
(手…繋いでるの、私だけ気にしてる……?)
なんだか少し悔しいが、やはり気にせずにはいられない。エミスは手元に、全神経を集中してしまっていた。そんなエミスの葛藤など知らず、ケローネはふとある出店の前で足を止めた。
「わぁ」
思わず声が出た。南方の島の伝統工芸品が並んでいた。綺麗なグラスや織物が並んでいる。
遠い国のものなので、なかなかお目にかかれない。
エミスは仕入れた商品を数点見たことはあるが、こんなに沢山並んでいるのを見るのは初めてだった。
エミスの中にある、商売人の血が騒ぐ。
「素敵な商品ですね!この市場でいつも出店しているのですか?」
勢い良く質問するが、店主は少し困り顔だった。
(……あれ?何か変なこと言ったかしら?)
エミスも困惑しているときだった。
「ここでは、どれくらいの頻度で出店しているんだ?」
ケローネが店主に異国の言葉で話かけた。
店主の顔が明るくなると、ケローネに返事をしている。エミスは単語しか拾えないが、それはこの店主の国の言葉に違いなかった。流暢なもので、互いに笑いを交えながら会話している。
「今日の出店が、初めてらしいよ。商談があってやって来たそうだ。その話がまとまれば、定期的に出店するかもって」
ケローネが通訳してくれた。
「……そうなのね。ありがとう」
エミスは、それよりも驚いたことがある。
「ケローネ、すごく流暢に話してたけど……よくあんなマイナー言語話せるね」
そうなのだ、南方の小さな国の言葉なのでエミスの国では、喋れる人などめったにいない。
(……亀の……出身地?)
「ああ……昔興味があって家庭教師をつけたんだ。なかなか見つからなくて大変だったけど、言葉を学ぶのは楽しいからね」
何事も無いようにサラッという。
(……マイナー言語の家庭教師を探すって、並大抵のことではないはずなんだけど。しかもあんなに流暢に話せるレベルって)
エミスは、恐る恐る質問した。
「……もしかして、他にも話せる言語あるの?」
「え?」
ケローネは、なんでそんなことを聞かれるのか
不思議そうな顔で答えた。
「うん。7カ国語は話せるよ」
――やはり普通ではない。
彼は一体、何者なのか……。




