5話 穏やかな日々
海の波音と潮風が気持ち良い。
エミスは玄関前のウッドデッキのベンチに座り、ぼんやりと眼下の海を眺めていた。
ケローネの家は、港町を見下ろす丘の上に建っている丸太小屋だった。
港町は、エミスの街から馬車で半日程離れている。
港には他国から入出港する船が並ぶように浮かんでいて、規模も人の賑わいもエミスの街とは桁違いだ。
誰も自分のことを知らないし、噂されることもない。
今では結婚式の騒動、あれこそが夢だったと思える程だ。ケローネとの生活は、驚く程穏やかなものだった。
攫われた日、さすがに家族が心配になり家に帰りたいと申し出た。
ケローネが必死に結婚式を止めてくれたのは嬉しいが、人間の世界、ましてや貴族と平民ではややこしさがある。亀さんには分かるまい。
しかし戻ったところで、『知らない男に攫われたんです、だからこちらに非はないです』で話が通るのか心配だった。
「ねぇ、ケローネ。いっそのこと我が家に身代金要求してくれない?」
思い切ってお願いしてみた。
といっても、我が家が必死にお金をかき集めてもケローネにとって小銭程度の金額しか用意出来ないが…。
分かりやすく、被害者になればトルトたちも表立って我が家を責められないだろうと思ったからだ。
「……いやぁ、それはさすがに」
白い目で断られた。亀なのだから、人間の世界の罪を被るくらいどうってこと無いだろうに。
「結婚式を潰した責任はちゃんと取るよ。エミスの家族も守るから。俺を信じて少し任せてくれない?」
綺麗な顔で懇願されて、容易く頷きそうになるが、亀の何を信じろというのか。
「……じゃあ、信じられる何かを見せてくれる?」
――預金口座の残高でも、飼い主の名前でもなんでもいいから見せてみろ。そんな気持ちでいたのだが…。
ケローネは、うんうん唸りながら難しい顔をして悩んでいる。パッと顔が明るくなって、何かをいいかけてまた悩んだ顔になる。
「もういいわ」
暫く美男子の百面相を楽しんだ後エミスは、何故か信じてみようと思った。
悪い人なら、疑う余地を見せずにエミスを騙すだろう。でも、ケローネにはそれがない、色々と怪しすぎるのだ。
「もし、私を裏切るようならば…ねぇケローネ、スッポン鍋って知ってる?異国の料理なの。スッポンて亀、煮て食べるらしいわ。もしもの時は、ケローネを煮て料理にしてやるから」
エミスは、悪い顔で笑った。これでは、どちらが悪人か分からない。
ケローネは、顔面蒼白になり…震えていた。
その忠告が効きすぎたのか、最初の夜、部屋に一つしかないベッドをエミスに明渡し、自分は外のベンチで寝るとケローネが言い張った。
家主を追い出して、外で寝かせるわけにはいかない。枕と毛布を抱えて出ていこうとするケローネの服を掴み、外に出すものかと必死に説得した。
「大丈夫よケローネ!寝てる間にどうにかしようなんて思ってないからっっ!!」
必死に止めて、部屋のソファで寝ることを了承させた。
良かったと落ち着いた時、ハタと気づいた。
……普通逆では?
男の方が、何もしないからっていうものなのでは?
そんな流れで始まった、共同生活はエミスにとって楽しいものになっていた。
「新鮮な卵が手に入ったんだ!何か作れる?」
ケローネは、沢山の食材を入れた買い物袋を両手に抱えてニコニコしながら帰ってきた。
エミスは、袋の中身を吟味する。
「じゃあ、オムレツにしようかな」
「いいね!楽しみだ!」
子供の様な顔で笑うケローネにつられて、一緒に笑顔になる。
ケローネに任せていては食材を丸かじりしかねないので、食事作りはエミスが担当していた。
いつだったか、お腹が減ったと焼く前のキノコを齧ろうとしていた。
「そのまま食べたら食中毒になっちゃうでしょ!!」
慌てて止め、なぜ火を通さねばならないか説明しながら叱った。
反省して料理らしいことをしたかと思えば、適当に茹でられたジャガイモはほとんど生のままだった。
これではいけないと、エミスは腕を振るった。
作るもの全てに感動して、毎回キレイに食べあげるケローネの姿に、もっと美味しいものを作ってあげたいという気持ちが自然に湧き上がってくる。
お願いして取り寄せてもらったレシピ本で、新しいメニューの研究をした。
時間はあっという間に過ぎ去るので、余計なことを考えたり、暇だと思う隙さえなかった。
ケローネは、毎日買い物以外にどこかへ出かけて行く。
「どこへ行ってるの?」と尋ねても、「うん、ちょっとね」と悪戯っぽく笑うだけ。
気になるが、問い詰めたいとは思わなかった。
留守の間は、見張りもいない。逃げ出そうと思えばいつでも出来る。
それでも、ケローネを笑顔で迎えたいから、逃げ出す気持ちにはなれなかった。
家族のことが気にならないわけではない。
直接安否を伝えることもできない、きっと心配させているだろうな、みんなは無事に過ごせているのだろうか。そんな思いは何度も何度も、胸をよぎった。
それでも、ケローネの『任せて』という言葉を信用することにした。
彼と共に過ごす中で、その人となりは信用出来るもの…と思えたからだ。
どこかの貴族の亀だったとして、その飼い主は誰なのか。まだ、彼が何者なのか分かっていない。
これでまた騙されていたら、エミスはこの先誰も信用しないと心に決めていた。
庭先の木に、沢山実ったブルーベリーを見つけた。
一粒食べると、甘酸っぱい。
ケローネは、甘いものも好きなので、ジャムを作ろうと閃いた。喜んでくれる顔を想像しながら、早速準備に取り掛かった。
キッチンで、鍋の中を見つめながらジャムを煮詰めている時だった。
「ええ!すごいね!ジャムだろこれ!こんなのも作れるの!」
いつの間にか戻ってきたケローネが、ひょっこり背後から覗き込んできた。
綺麗な顔が間近にあったものだから、エミスの心臓は飛び出るかと思うほど跳ねた。
「味見したい」
「まだ、煮詰めてる最中だし熱いわよ」
平静を装ってそういうと、分かりやすくガッカリしていた。その姿がかわいいな…なんて思ってしまうから、また胸の鼓動が早くなる。
エミスは当初、申し訳なさを感じつつケローネが留守の間に、何か彼の身元に繋がるものは無いか、室内を探っていた。しかし、それもいつの間にかやめてしまった。
「ただいま!うわ!いい匂い!今日のご飯何?」
今日も元気に帰ってきた。
玄関ドアを開くなりご飯の話をする。小さな子供みたいで、笑ってしまう。
でも、その姿がとてもうれしい。
「おかえりなさい。トマトが熟してたからミネストローネ作ってるの。あと、チキンのソテーよ」
ケローネが食事を楽しみに帰宅して、当たり前のように出迎えて、食事をとりながら他愛のない話をする。
それが当たり前になっていた。
「そうだ!漁港に市場が出てたんだ。外国の珍しい商品も売ってたから、これ、エミスにと思って」
差し出されたのは、ほんのりうす緑のガラス玉が、革ひもの先についたネックレスだった。
「わぁ!キレイ!!…ぷっ、でもやっぱり亀さんの色ね」
「エミスにも、亀仲間になってもらいたいからねぇ」
二人して笑った。
「ありがとう、ケローネ。大事にするわ」
――外にいても、自分を思い出してくれる。
少しくすぐったいが、そう思うだけで自然と笑顔になる。エミスは、そのガラス玉を宝物みたいに、両手でつつみ込んだ。
「うん。今度は一緒に市場に行こうか。珍しい食材もあったからエミスになにか美味しいもの作って欲しい!」
エミスに温かい笑顔を向けながら、お出かけの提案をしてくれた。
「まかせてよ!楽しみね」
毎日が充実していて、笑顔に溢れていた。
ケローネと過ごす中で、この穏やかな時間がずっと永遠に続けばいいと思ってしまう。
小さな家で、彼と二人慎ましやかでも穏やかに暮らせたら…そう思うと、やはり子爵夫人なんて柄じゃなかったんだなと思う。
貴族の奥様が、旦那様の為に手料理を作るなど……馬鹿にされるだけだ。
やはり自分はどこまでも、平民気質だ。
そう……だから、思うだけだ。
ケローネと、この先もずっと一緒にいたいと……思うだけ。
だって、あの高貴な亀は、恩返しを終えたらきっと自分の居場所に帰ってしまう。
それは、エミスが見上げるほど高い場所のはずだ。
彼の身分や立場を証すものは何一つ見つかっていない。それでも、そう思わずには居られなかった。
元から手の届かない、遠い場所にいる亀さんなのだ。
エミスは、芽生えてきた気持ちを押し込めて、そっと蓋をした。




