4話 ケローネ
「思い出した?助けたの」
目をまん丸にして驚いているエミスに、男は柔らかな眼差しを向けて言った。
「あの時の亀?……私が助けたから、困ってるの知って来てくれたの?」
亀が人間の姿になるなんて信じられない。
でも、その信じられないことが目の前で起こっていた。
あの時の亀以外に、誰がその事実を知りリボンを大事に持っているだろうか。
「ごめんね、もっと別のやり方で、穏便に助けられたら良かったんだけど。さすがに、結婚誓約されちゃうと色々と厳しいから…」
「そっか…亀さんなりに必死に助けてくれたんだね。助け方はイマイチだったけど。」
「…ん?亀さん」
男の、キョトンとした顔をみてエミスは気がついた。
「あ!ごめん、亀さんなんて失礼か。私に“人間さん”て呼びかけてるようなもんよね」
エミスの言わんとすることを理解した男。
「ああ、ちゃんと名乗ってなかったね。俺は…」
「知ってる!ケローネでしょ!」
男の言葉を遮って、エミスはそう自信満々に返した。
「……ぶっ」
男は、一瞬目を見開いた後、笑いをこらえていた。
「ん?何がおかしいの?」
エミスは、男の顔をのぞき込む。
「…ふっ、いや。うん、ケローネだ。俺はケローネ」
「……うん。」
「そうだ、エミス。服買ってきたから着替えて、さすがにそのままでは動きにくいだろう?俺は、着替えが終わるまで外に出とくから。着替え終わったら食事にしよう」
そう言われて、自分がウェディングドレスを着たままだと気がついた。
ケローネは、テーブルに乗せた紙袋に着替えが入っていることを伝えると外に出て行った。
エミスは、その紙袋に目を向けた。
「…うっそ」
洋服の入っている紙袋に記された『メゾンフルール』という店名を見て思わず驚きの声を上げる。
町娘たちの憧れ、貴族御用達の有名ブティックだ。
ペラペラのワンピースでさえ、平民の一ヶ月分の稼ぎほどのお値段で、とても手が出せる代物ではないのだ。
その店のワンピースが5着ほど入っている。そのうち、2着はうす緑とエメラルドグリーンだった。
亀のセンスだな、エミスはそう思った。
(……家具もだけど、こんな高級な服を私の為に用意してくれるなんて…なんで亀がこんなにお金持ちなのよ)
新たな疑問と怪しさが出てきたものの、憧れのワンピースに心が躍る。
普段ドレスなど着慣れていないエミスは、どうにかウェディングドレスを脱ぐと、せっかく選んでくれたからと、うす緑のワンピースに着替えた。
「わぁ」
嬉しくなって、くるりと回ってしまった。
風を受けてフワッと揺れるワンピースは、シンプルなのにとても洗練されたデザインで着心地も良い。
ドアをノックする音がした。
「どう?問題ない?」
ケローネの声がした。
「着替え終わったわ。素敵なお洋服をありがとう」
エミスがドアを開けると、正面にケローネがいた。
「……」
ケローネは一瞬目を見張ると、口元を上げた。気のせいか耳の端が、ほんのり赤い。
しっかりとケローネの顔を見てみると、驚くほどの美青年だったことに、エミスは今更ながらに気づいた。
以前は、トルトの整った顔立ちをみて王子様のようだと思っていたが、ケローネと並べば比べるまでもない。
トルトを王子様のようだと思った過去の自分は、世の中の王子様に対して、ひどく失礼なことを思っていたのだと反省した。
「…いいね、似合ってる。その色もいい」
目を逸らしたまま、褒めてくれた。緑色がやはりうれしいようだ。
「食事っていっても、作れないからそのままだけど」
ケローネが購入したものを紙袋から出すと、皿に並べてくれた…のだが…。
平皿の上に、りんごにきゅうり、長いパンがそのままの形で置かれている。シチューは、持ち帰り用の紙皿に入ったままだ。
(…そうか、亀さんだから人間みたいに調理の仕方を知らないか)
「ケローネ、キッチン借りてもいい?」
エミスは立ち上がると、キッチンスペースに食材を運んだ。
「ええ!すごい!何これ!?魔法?」
数分後、ケローネは食卓の変貌に驚いた。
キッチンにあった、ベーコンときゅうりを軽く炒めて塩コショウで味付けをした、パンとりんごは適当に切って皿に盛り直す。シチューは温め直した。
「そんなに凄いことしてないじゃない。少し手を加えただけよ」
エミスは、苦笑いをしたが純粋に驚くケローネを見て悪い気はしなかった。
ずっと食欲を感じていなかったが、テーブルに並ぶ料理を輝く目で見ているケローネの姿に、自分も食事をしようという気持ちになった。
「ん!このシチュー美味しい!」
エミスは、驚いてふとシチューが入っていた紙容器に記された、店名を思い出した。たしか、港町の有名ビストロではなかったか…。また、高級なものを見つけてしまった。
(財源はどこからなのよ…)
「きゅうりって温めていいんだね!こんなに美味しいなんて!!」
感想を言いながら炒めたきゅうりを、ケローネは幸せそうに頬張っていた。
(…きゅうり、気に入ってくれたみたいね。やっぱりそこは、亀よね。どんなに男前でも)
さらに、何気なくケローネを見ていて思った。
食事の所作が、綺麗なのだ。
それも、とてつもなく。
エミスが作った適当な料理を、ナイフとフォークを使い優雅に食べる姿を見て、自分は人間なのに亀に負けている、と密かに敗北感がエミスの胸をよぎった。
(悔しい。)
ケローネは、どこかの高貴な身分の飼い主に、それはそれは厳しくマナーを仕込まれたのだ。
そうだ、彼は――高貴な家の飼い亀だ。
それは、確信に近かった。




