3話 トルト・ムステーラという男
「とりあえず、座ろうか」
男がソファを示し、エミスは大人しく従うと、男も向かい合って座った。
「どうして、結婚することになったのか話してもらえる?最初から愛人を承諾してた訳じゃないんだろ?」
エミスは、無言で頷くとゆっくり話し始めた。
「…最初は、本当に優しくて素敵な人だと思ってたの」
トルトとの結婚は、商会の顧客だったムステーラ子爵家から申し入れられたものだった。
はじめは、恐れ多いと断った。
エミスは大商会の娘として、高水準の教育を受けていたとはいえ、平民と貴族では身分が違い過ぎる。
整った顔立ちはしているが、着飾った貴族のご令嬢ほどではないだろう。
立ち振る舞いだって、つけ焼き刃をバカにされるのが関の山で、とても子爵夫人などできるものではない。
ムステーラ子爵家は由緒正しい家柄とはいえ、本来なら、こちらから飛びつくような縁談でもなかった。
しかし、ムステーラ子爵夫妻から何度も熱心に申し入れられ、貴族相手に無下にも出来ず、折れたエミスの父は、トルトとの顔合わせを承諾した。
エミスもしぶしぶ、トルトとの顔合わせを了承した。
平民の娘など一度会えば、あちらから断るはずだと期待して。
その期待は、良い意味で裏切られた。
好青年然とした姿、洗練された立ち振る舞い。
初めて会った日、トルトは赤い薔薇の花束を持って現れた。
自分宛の花束を貰ったのは、それが初めてだった。
話術も巧みで、知らない分野のことを分かりやすく面白く話してくれる。
トルトの提案で、一緒に市場を歩いていた時の事だ。
「あの香料、随分と珍しいものを置いてますね。」
エミスは、肉屋の店棚に並ぶ香料に気づいた。異国のもので、決して一般的でも安価でもない。それなのに、少し見ていると、次々と客がその香料を手に取り肉と共に購入していく。
「そこが、この店の上手いところですよ」
トルトが指差した先には、小さな紙が貼られていた。
カラフルな色使いで、どんな肉料理に合うのか簡単な説明がイラストと共に書かれている。
「肉を購入に来た客に、さりげなくオススメしてるんです。他の肉屋との差別化にもなるから、この店に足を運ぶ客が増える」
言われてみれば、一番客が集まっているのがその店だった。
「少しの小さな工夫で、売り上げを伸ばすことができるのですよ。新しいことをはじめるのなら、まずは小さく試すことです。香料程度なら、売れなくても損失は少ない。失敗したら、別の案を考え直せばいいのですから」
商会の娘として、それなりに商売の知識はあると思っていたが、トルトの説明にエミスは感心しきりだった。
将来この人となら、商会をもっと大きくしていける。彼の姿頼もしい姿に、そんな未来を思い描いた。
エミスの胸は、期待で満たされた。
さらに、エミスへの気遣いも抜かりなかった。
庭園へ出かけ少し休憩しようと、ベンチに座ろうとした時だった。
「座るのは、少しだけ待ってください」
そういうと、さっと自分の白いハンカチをベンチに敷き、その上に座るように促された。
ハンカチが汚れてしまうと、エミスは断った。
「ハンカチは汚れる為にあるのです、それに今日の貴女の服装とてもよくお似合いです。汚れてしまっては、私が嫌なのです」
これが、貴族。そして、令嬢への扱いかとエミスは衝撃を受けた。
人生で初めてお姫様の様に扱われた。
頬が熱くなり胸が高鳴る。
エミスは、舞い上がった。
街へ出た時のデートの終わりには、ご家族にどうぞと手土産まで持たせてくれた。
この人は、自分だけでなくエミスと同じように家族も大切に思ってくれていると嬉しくなった。
王子様とはトルトの様な男のことだと、夢中になるのはあっという間だった。
心配していた両親も、エミスの反応やトルトが娘に向ける眼差しを見て、良縁に恵まれたと安心しきっていた。
仲睦まじくデートを重ねる姿は多くの人に目撃され、またたく間に街中に広がった。
「ムステーラ子爵令息様って、本当に素敵な方よね」
「ええ、おとぎ話みたいだわ。平民にもあんなに優しく接してくださるなんて」
「まるで、エミスがお姫様みたじゃないの。羨ましすぎるわ」
同じ年の頃の娘たちは、羨ましがり憧れを持ってエミス達を見ていた。
街中の誰もが、おとぎ話のような貴族と平民の恋愛に酔いしれていた。
しかし、幸せな時間は長くなかった。
婚約誓約書を正式に提出した直後から、婚約者とその両親は豹変した。
『金で貴族の生活を買ったと思ってくれればいい』
『お前に求めるのは、財力だけだ。平民との子供なんて欲しいわけが無いだろう?』
『由緒ある我が家に平民の血が混ざるなど、許されませんからね』
トルトの慈しむ様な眼差しは、その直後から汚い物を見るような視線に変わった。
『書類上だけだとしても、俺の妻が平民だなんて屈辱以外の何物でも無いんだ』
突きつけられた言葉は、一言一句忘れていない。
信じられなかった。
信じたくなかった。
今まで見ていた、あの優しく頼りになる王子様のようなトルトはどこへ消えてしまったのか。
エミスの心は、深く深く傷ついた。
婚約誓約書を出した後も、無効にする事は制度上は可能である。
こんな屈辱的な扱い、普通なら婚約破棄を叩きつけてやるところだ。
しかしそれが出来なかった―――身分差ゆえに。
エミスの家は大商会ではあるが、所詮は地方都市での話。中央の高位貴族につてがある訳でも、商会として社交界に影響力があるわけでもない。
平民から貴族に対して婚約破棄をしたところで、当たり前のように握り潰される。また、運よく破棄出来ても平民側に瑕疵があるとし、その後の生活が脅かされる。
実質不可能なのだ。
いくらこの不条理を訴えても、そんなバカな男に騙されて自業自得だ、そもそも平民が貴族になるなど、分不相応の夢を見るからだと言われるだけだろう。
エミスは最初、自分の両親には、トルトたちの豹変を黙っていようと思った。
断ってもいいと言われた縁談を、進めたいと望んだのは自分だったからだ。
幸せになるんだよ、と喜んでくれた両親を失望させたくなかった。
自分さえ我慢すれば、丸く収まると思った。
エミスの両親は、婚約の誓約を正式に交わしてから、彼女の元気が無くなっている事に気付いていた。
結婚が現実的になって、ナーバスになっているだけだろう…そう思い見守ることにした。
しかし、日に日に食欲を無くし、よく笑う娘が全く笑顔を見せなくなったことに、ただ事ではないと焦りはじめた。
懸命に心配してくれる両親の姿に、エミスは黙っていることが出来なくなり、トルトたちのことを話した。
両親は憤り、どうにかしようと動いた。
いくつもの街を駆けずり回り、何人もの法律家を訪ね歩いた。信用出来る男爵家の当主にも相談した。
しかし、返ってきた答えはどれもエミスたちを絶望させるものだった。
「父達が調べて分かったことだけど……ムステーラ子爵家の財政状況はかなり悪かったらしいの。巧みに隠されていたわ。最初から、お金だけが目当てだったの」
エミスが一通り話終えた頃、男はミルクティーを淹れてくれた。
「どうぞ。飲んで」
エミスは、そのマグカップを見て言った。
「…これも亀の柄なのね」
「亀の物を見るとついついね。全部ケローネみたいだと思ってしまうから」
男は笑顔で、そう言った。
(ケローネって自分のこと言ってるのかしら…自分が大好き男?)
エミスは、ミルクティーを見つめながらぼんやり思った。
「ねぇ、私が亀を助けたって話だけどいつの話?私全く覚えてないわ」
少し落ち着いた、確認しなければ、と話を変えた。
「あなたは、私を助けるつもりというけれど適当な話作って騙そうとしてない?今の私、素直に人のこと信じられないの。トルトだけじゃなくて、ムステーラ夫妻も凄く人が良さそうに見えたの。演技がうまかっただけなんだけど」
ふう、と深呼吸する。
「だから、ちょっとやそっとじゃ絆されないし騙されるつもりもないのよ。大体、あんた胡散臭い。怪しさしかないわ」
エミスは、わざと煽るような言い方をした。
早く本性を見せたらいい。
下手に出ればつけ上がりやがって、と殴り掛かってきたら、このミルクティーを投げつけてやろう、そう思っていた。
「そっか…覚えてないか」
男は音をたてて、ゆっくりと立ち上がった。
来るか!
カップを投げ付けるタイミングを計るために、エミスは男の動きを凝視する。
しかし、男はエミスに背を向けてデスクに向かうと、引き出しから布切れを取り出した。
「これ、見覚えはある?」
差し出されたのは、赤いチェックの布切れ。
驚いて声が出なかった。
子供の頃お気に入りだった、リボンだったからだ。
そして、思い出した!
亀!亀だ!
悪ガキ4人組が、街外れの用水路で小さな亀を突いていじめていた。
それを確かに止め、傷ついていた足に、ハンカチでは大きすぎたので、お気に入りだったリボンを巻いた。
「こんなの…」
エミス本人でさえ忘れていた出来事だった。リボンもあんなに気に入って毎日使っていたのに、その存在さえスッカリ忘れていた。
わざわざ、エミスを騙すために調べて似たようなリボンを探すとは思えない。
「こんなの…本人以外に知り得ないわよね。いや……本亀?」
エミスは呆気にとられ、まじまじと男の顔をみた。




