16話 あの時助けていただいた、亀です
――私の名前はテストゥード・オセアン・マレ
――マレ王国の第五王子だ
その名乗りが、ずしんとエミスの胸に重くのしかかった。
「テストゥード……さま」
エミスが始めて、本当の名を口にした。
するとテストゥードは、弾けるようにうれしそうな笑顔を見せた。
「やっと、呼んでもらえた。俺の名前」
その笑顔が、見つめる瞳が優しすぎるから苦しくなる。
マレ王国――海に囲まれた豊かな国。
ケローネ改め、テストゥードは異国の王子様。
マレ王国とこの国は親交が深く、立太子した第一王子や第二、第三王子の活躍は平民のエミスでも少しばかり耳にしていた。
しかし、第五王子の話は全く知らない。
王子としてのテストゥードは未知の存在だ。
今朝までとエミスもテストゥードも、何ひとつ変わっていない、それなのに全てが変わってしまった。
本来ならこんなに気軽に話すことは許されないし、ましてパーティでエスコートされるはずもない。
エミスは平民なのだから。
しかも正体を知らなかったとはいえ、ペットの亀の名前で王子様を呼んでいたのだ。
これは、不敬すぎるのでは。
黙り込んでしまったエミスを、まるで自分が悪いことをしてしまったように、困った表情を浮かべ見つめるテストゥード。
彼は何も悪くない、何も変わっていないと分かっている……だけど、それでも……。
余りにも重たい事実に、エミスは気持ちの整理がつかない。
室内には沈んだ空気が漂っていた。
コンコン
再びドアをノックする音がした。
「失礼いたしますぞ」
そう言って、返事も持たずにホヌが入ってきた。
「殿下、自己紹介は終わりましたな?ではお次の方ですぞ」
部屋に漂う、重苦しい空気に気づかないのかお構いなしなのか、ホヌはさっさと話を進めようとする。
そして、その手元に乗っているものに、エミスは目を見開いた。
ホヌの手の上には、上質そうな小さな座布団。
そしてそこに、ちょこんとおとなしく鎮座する、緑色の物体。
エミスはゆっくりとホヌに近づくと、その緑色の物体に顔を寄せた。
「……かめ」
エミスがゆっくり顔を上げて、ホヌを見る。
「ええ、かめさんです」
ホヌは、笑顔でゆっくりと頷いた。
「もしかして……いや、もしかしなくても」
その声を待っていたかのように、ホヌは続けた。
「はい、あのとき街外れの用水路でエミス様に助けて頂いた、ケローネ様でございます!!」
おとなしく座っていた亀が何故か「えっへん」と偉そうに返事をした気がする。
「ケローネ!!本物の!?生きてたの!?」
先ほどまでの重苦しい雰囲気は、エミスの驚きに掻き消された。
「ええ!?まって!?なんでケローネを死んだと思ってたの!?」
予想外のエミスの反応に、テストゥードが悲痛な声で短い悲鳴を上げた。
「え……だって、丸太小屋のケローネの水槽、ずっと空だったから」
「あ……ああ、なるほど、それでか。ケローネの食欲が急に落ちたから、慌てて獣医に見せに行ったんだ……ほらあの」
テストゥードが、少し言いにくそうに言葉を濁す。
「エミスをさ……攫った日に、眠ってるエミスを置いて俺外に出たでしょ?」
昨日のことのように、テストゥードとの出会いを思い出した。
(……私、亀の柄のペーパーナイフ突きつけたな)
最悪だ、出会い方としては最悪の出会い方。
それが、こんなに好きになってしまうなんて、あの日の自分に聞かせたら驚きで倒れてしまうかもしれない。
「プッ……ふふふ」
思い出したら、おかしくかなってきた。
その笑顔に、テストゥードもほっと胸をなで下ろした。
ホヌが満足気に、手元の亀と視線を合わせたようにみえた。
「ケローネ様も、エミス様を応援しておりますよ」
そう言うホヌの手元のケローネは、心無しか『俺たちいい仕事したな』と言っているような顔に見えるから不思議だ。
「エミス様、これより緑宴会です。殿下のパートナーとして、あなた様は十分に貴族と渡り合える武器をお持ちですよ」
一転して、室内の空気がピリッとする。
「それに、このホヌがマナーを叩き込んでおるのです。ご安心なさいませ。エミス様はどこに出しても恥ずかしくない、立派な淑女でございます」
ホヌは、二人に向かって深々と礼をする
「いってらっしゃいませ」
テストゥードは、エミスの手を取る。
「さあ、いこうかエミス!!」
差し出されたその手首に、エミスとお揃いのブレスレットが光る。
王子様には不似合いな、安物のガラス玉のブレスレット。その手をとるエミスの手首にも、色違いのブレスレットが揺れる。
エミスは、テストゥードの手をギュッと握る。
――大丈夫。
ふぅと短く息を吐いて、テストゥードを見上げる。
「うん!行こう!ケロー…じゃなかった」
慌てて口を塞いだ。
「ははっ、ケローネでもいいよ」
「いや、さすがに亀さんの名前で王子様を呼べないよ……」
エミスが申し訳なさそうに言うと、テストゥードは少し考えた。
「あ!じゃあ、“テス”ってよんで。これなら、短くて言いやすいだろ?」
――変わらない。王子様だと分かっても、彼は彼のままだ。エミスの大好きな彼のまま。
「ホヌさん、行ってきます!」
ホヌに向かって笑顔を向ける。その自信に満ちた笑顔を見て、ホヌは力強く頷いた。
「行こう!テス!」
「ああ」
二人は、固く手をつなぎ部屋の扉を開けた。
勿体ぶってましたが、やっと亀さんが登場しました




