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15話 亀の正体

ゆっくりと扉が開かれる。


綺麗に磨かれた、高級な革靴の靴先が目に入った。


少し気恥ずかしく、笑みを浮かべながら下を向いていたが、期待に胸を膨らませエミスはゆっくりと視線を上げた。


上質な白い生地に、細やかな金の刺繍が施されたモーニングコートを纏うケローネは、いつものラフな姿とは違う圧倒的な高貴さを放っていた。


あまりの眩しさに思わず息をのみ、胸が大きく跳ねたが――それは本当に、ほんの一瞬のことだった。


ハッと息を呑む。


胸元の刺繍に視線が落ちた瞬間、エミスの顔から上気した表情がストンと消えた。


その刺繍の紋章が意味するもの……


(……うそ)


それを見て頭をガツンと殴られたような衝撃が全身を駆け巡る。


「エミス……」

ケローネが少し困った顔で呼びかけるが、体がこわばり返事が出来なかった。


――ああ……


エミスは、思わず呼吸を整える為に目を瞑る。

手が僅かに震える。

さっきまで胸を満たしていた、浮かれた気分は一瞬で消え去った。


――遠い人だとは思っていた。


ケローネが、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。

その足音でさえも、いつもと違って重く感じる。


――高貴な立場の人だと、覚悟をしていた。いや、覚悟をしたつもりでいたのだ。


目に入るケローネの白い意匠。その胸元に輝く紋章が、嫌でもその現実を突きつける


――正体が分かった今、自分の想像を遥かに越えた雲の上の存在だったと知る。


その場に崩れ落ちそうになる自分を、心の中で叱咤する。

エミスは深く息を吐き出し呼吸を整えると、前に立つケローネに向かってマナーレッスンで教わった淑女の礼をとった。


「エミス、お願い顔を上げて」

その声が、少し寂しそうに聞こえるのはエミスが彼(・)との決して埋まることのない溝を感じるからか。


エミスは顔を上げ、彼を見る。


「びっくりさせたよね?……ごめん、いつも段取り悪くて。また怒らせた?」

少し情けない顔で、エミスの様子をうかがうように笑う。そのいつもと同じ、ケローネらしい表情ににエミスの胸がぎゅっと締めつけられる。


締め付けられた胸が、とても痛い。


「……そんな、怒るだなんて」

消え入るような声しか出ない。もっと何か言いたいのに、言葉が見つからない。何を話して、どんなふうに接したらいいのか。さっきまで、どんな風に話していたのかすら、分からなくなってしまった。


いつものように、優しい目でエミスを心配している。


(いつもと変わらない…変わらないのに)


その優しさがより一層、今のエミスにはせつなく、苦しい。


「エミス、とても綺麗だね。その布地のドレスすごく似合ってる」


目を細めて、愛おしそうに優しく笑う。


その顔が眩しすぎて、苦しくなる。


ああ――いつの間に、こんなにも彼に惹かれていたのだろうか。


こんなにも苦しいのに、彼が愛おしそうに見つめるから嬉しいと思ってしまう。

彼の視線を独占出来る喜びと、それがほんのひとときの魔法であることをエミスはひしひしと感じる。

この緑宴会がもたらした、ひとときの魔法。


どんなに想いを寄せても、決して手の届かない人。

一緒に過ごした、奇跡のような日常を改めて思い起こす。もう、遠い昔のことのようだ。

そして、きっとあの温かな場所にはもう戻れない。


深く考えると泣きそうになるから、誤魔化すように唇をキュッと結んで小さく笑顔を作る。


口を開きかけて、ハッとした。

軽々しく声をかけていいのだろうか……。

いや、自分は緑宴会でのパートナーとしてここに来たのだから今はいいのか――エミスの思考は大混乱だった。


「――ふっ!」

いつも通りの、ケローネの笑顔が弾ける。


「何考えてるの?なんか、色々悩んでるでしょ?でも、俺は俺。一枚皮を被ったところで中身は同じケローネのままだよ?」


悶々とした顔が表に出ていたらしい、素直にそうかと頷いてしまっていいのかそれでも悩むが、確かに彼はケローネだ。


結婚式に乱入したことも、丸太小屋で一緒に過ごした日々も、優しく笑いかけてくれたことも、どれも嘘ではない。


それに彼が素直な人で情に厚く、どこまでも優しいことは正体が分かったとしても、何一つ変わらない。


けれども、目の前の彼は今までのように気軽にケローネとは呼ぶには余りにも遠い人だ。


「なんとなく、高貴な立場の方なのかなとは思っていたのよ……」

エミスはなんとか声を絞り出し、精一杯の笑顔を見せた。


そして、胸に手を当てると小さく深呼吸をした。

覚悟を決めて、真っ直ぐに彼の瞳を見る。


「……お名前を伺ってもよろしいですか?」


彼は、少しだけ表情を引き締めると、真剣な眼差しでエミスと向き合った。


「私の名前はテストゥード・オセアン・マレ」


胸元の金の紋章がキラリと光る。

その王家にしか許されない紋章が。


「マレ王国の第五王子だ」


―――誘拐犯は、異国の王子様だった。


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