12話 あなたの隣に立つために
「くぅ〜〜〜、も、もうっ、むりっ!!」
エミスは目の前で微笑む、好々爺に恨みがましい視線を向ける。
パンパンッ!!
「エミス様!よそ見はせずに!視線は真っ直ぐにですぞ!!」
手を叩きながら、ホヌが注意する。
エミスは、この優しそうな見た目に騙された思いだった。ケローネの従者――ホヌは優しそうなおじいさんに見えてとんでも無いスパルタ教師だった。
「歩幅が乱れております!姿勢が三センチ前傾しておりますぞ!真っ直ぐですっ!!!本が落ちてしまいますよっ!!!」
(んーーーー!!!あくまっ!悪魔だ!)
頭の上に乗せた分厚い本に意識を集中しつつも、思わず泣き言が零れそうになる。
頑張ると言ったのは自分だ。
ケローネに並んで、恥ずかしくないように厳しくお願いしますとホヌに言ってしまったのも自分だ。
(頑張ってる!頑張ってるけどぉーーー)
エミスは、涙目になりながら地獄のスパルタ特訓を耐えた。
「――はい、そこまで! 休憩にいたしましょう」
ホヌが懐中時計をパチンと閉じると、エミスはその場に崩れ落ちた。
「エ!エミス!?大丈夫!?」
エミスが崩れ落ちると同時に、帰宅したケローネが開いたドアから、慌てて駆け寄り膝をつく。
「うう……あ、足が……首が折れる……」
ケローネは、憐れみの視線を向ける。
「昔の自分を見ているようだ……。頑張ってるね。エミス」
ケローネと目で会話をする。
――我々は、同じ地獄を知る同志だ。
「ケローネも、ホヌさんにしごかれたのね……」
「うん……物心ついたころから、それは厳しく……」
ケローネは、過去を回想しながら遠い目で返事をした。
「お疲れ様でしたな、エミス様。では、お茶休憩に致しましょう。」
ホヌが優しく声を掛け、その手元には茶器が用意されていた。
柔らかな湯気が立ちのぼる紅茶を、ホヌがカップに注ぐ。横にはレモンが添えられていた。
「やった!休憩!」
エミスは、やっと休憩だとホッとした。
「あ!そうだった。紅茶のお供にアップルパイ食べようよ!」
ケローネが袋から取り出したのは、あの市場でアドバイスをした露店のアップルだった。
「エミスのアドバイスで、このアップルパイ売れるようになったってさ!!様子を見に寄ったら、おばあさんと息子さんから、お礼にって託された」
見ると、パッケージに貼られたラベルが少し目立つものに改良されていた。
「わぁ!新しいラベル素敵ね!そっか、売れるようになったのね。美味しいもんね、このアップルパイ。ほんとうに良かったわ」
エミスはアップルパイを眺めながら、あの日の老婆と、その息子の姿を思い出す。心の底から良かったと思えた。
「本当にすごいねエミスは」
ケローネのその言葉に、きょとんとする。
「……何が?」
「損得なしで、人の為に動けるんだから。あの店が儲かっても、エミスに利益なんてないのに。そんなに素直に喜んで」
ケローネは眩しいものをみるように、目を細めて言う。
その視線に、ドキリとする。
「んーーー。でも、利益はあったよ。アップルパイ貰えた」
ニカッと笑い、アップルパイをケローネに向ける。
「それにね、喜んでもらえるの素直にうれしい。人の役に立ててるなって。あと、父の教えもあるかな」
「父上の?」
「うん。自分一人が潤っても、社会全体が健全でないと商売は成り立たないって。自分だけお金持ってても、周りがお金なかったら買い物どころじゃないでしょ?窃盗みたいな犯罪も増える。強盗に押し入られたら、命の危険もあるじゃない?」
幼い頃からの教えや、父の背中を見て学んだことを振り返る。浮かぶのは時に損得を考えずに、人の為にと立ち上がる父の姿だ。
「だから、ほんの些細なことでも人の為になるのならやってみたいと思うの。みんなが幸せなら、自分も幸せになれるじゃない?」
そう言ってはにかむエミスは、天使のようだとケローネは思った。とても清らかな心を持つ、可愛らしい天使。
「だからといって誰でも彼でも助けたり、手伝ったりする程、お人好しじゃないよ。ちゃんと信用出来る人間か見てるつもり……まぁ、トルトに騙された私がいうと説得力無いかもだけど」
自虐的に笑うエミスを見て、ケローネの胸は苦しくなる。それと同時に、トルトへの負の感情も膨らむ。
「エミスは悪くないよ。あれは、相手が悪かったんだ。どクズにはちゃんと制裁が下されるよ。」
ケローネが、愛おしそうにエミスの髪をすくい上げ、二人の距離が近くなる―――
「うぉっほん!!!」
ホヌの咳払いにハッとして、ケローネは距離を戻した。
エミスの鼓動は早くなり、なかなか戻らない。
「さて!!ではアップルパイを頂きましょうか」
ホヌは、何事もなかったかのようにアップルパイをきり分ける為、キッチンへ向かっていった。
◇
目の前には、艷やかなアップルパイ。あの日の味が口の中に蘇る。
「いっただっきまーーす」
エミスは、喜びのあまり大口を開けて皿にもられたパイを食べようとした。
「エミス様!!!」
とたんにホヌの叱責が飛び、エミスは驚きで大きく跳ねた。
「……え?ホヌさん、今休憩よね?」
エミスが恐る恐る尋ねると、ホヌはヤレヤレと言った顔でため息をついた。
「場当たり的なものではダメなのです。生活の中で自然と身につけてこそ、所作に品格が出るのです!!」
――悪魔だ。休憩とは一体何なのか。
「……でも、緑宴会でテーブルマナーを披露する機会もありませんし?」
休憩なんだからいいじゃないかと、少し抵抗を試みると、ホヌは諭すように語り出す。
「エミス様、ご来賓の方々は国内のみならず、他国の方も多くご出席されます。エミス様のご実家が注目を浴びる。すると、エミス様のお話も伺いたいと茶会などのお誘いもあるやもしれません。テーブルマナーに自信がなくてお誘いを断るなど、そんな商機をミスミス逃す様なマネをなさるのですか?」
―――逃せない
「頑張ります!」
「では、常に人から見られていると意識して!美しい姿勢を心がける!真っ直ぐな姿勢は、相手に誠実な印象を与えます!」
その言葉を受けて、エミスは背筋を伸ばし、しっかりと床に足をつける。そして、アップルパイを小さくきり分け食べ始めた。
その姿を見て、ケローネはクスリと笑った。




