第89話 とある日のロン毛
高校卒業後に就職した会社を辞めてから、ロン毛は「音楽で生きる」と決めた。
昼はアルバイト。
夜はギター。
休日はライブハウス。
派手な生活ではない。
だが、好きなことに全力を注げる毎日は悪くなかった。
小さなライブハウスで演奏しても、客は十人もいない日が多い。
それでも、終演後に一人の客が言った。
客 「今日の曲、よかったです。」
ロン毛 「ありがとうございます。」
その一言だけで、また頑張れた。
しかし現実は厳しかった。
SNSの再生数は伸びない。
ライブの誘いも減る。
収入はほとんどアルバイト頼み。
それでも、ロン毛は笑っていた。
ロン毛 「まあ、なんとかなるだろ。」
バイト先ではいつも通り働いていた。
新人に仕事を教え、忙しい日は残業もした。
店長も信頼していた。
店長 「助かるよ、ロン毛。」
ロン毛 「いえいえ。」
そんなある日。店長に事務所へ呼ばれた。
店長 「悪いな。本社の方針で、人員整理することになった。」
店長「君のせいじゃない。」
ロン毛は少し驚いた顔をした。
ロン毛 「そうですか。」
店長 「本当に申し訳ない。」
ロン毛 「店長が謝ることじゃないですよ。」
店長は何度も頭を下げた。
帰り際、後輩の悟が心配そうに声をかける。
悟 「先輩、大丈夫ですか?」
ロン毛 「大丈夫、大丈夫。」
そう言って笑った。
だが、その笑顔は少しだけぎこちなかった。
夜、アパートで一人。
ギターを抱えても、指が動かない。
スマホを見る。
ライブの予約はゼロ。
動画の再生数も伸びていない。
預金残高も少ない。
部屋には静寂だけがあった。
ロン毛 「……まずいな。」
初めて、不安が胸を締め付けた。
翌日。
ライブハウスの「スモールビブラート」オーナーから電話が入る。
オーナー 「悪いな。」
オーナー「しばらく出演枠を減らすことになった。」
オーナー「いつかまた声かけるから。」
ロン毛 「分かりました。」
電話が切れる。
ロン毛はしばらく天井を見上げていた。
昔なら、空を見れば元気が出た。
ギターを弾けば前を向けた。
だが、その日は違った。
ロン毛 「……どうすりゃいいんだ。」
誰もいない部屋に呟く。
返事はない。
ただ窓の外では、小雨が降り始めていた。
遠いイデア界。
とある少女は、不安そうに地上を見つめていた。
×× 「あの人笑ってるのに……。」
そして翌朝。
ポストに入っていた一通の通知。
『雇用契約終了のお知らせ』
ロン毛はそれをぼんやり見つめながら、住宅街を歩いていた。
考え事で頭がいっぱいだった。
その時。
鈍い音が住宅街に響いた。
ロン毛は額を押さえてうずくまった。
失業通知を見ながら歩いていたせいで、目の前の電柱に全力で頭をぶつけたのだ。
痛い。
とにかく痛い。
ギタリストとしても芽が出ず、アルバイトも失ってしまった。




