第70話 記憶の橋
空白の女とすれ違った翌日。
ロン毛は森を抜け、風とともにさらに先へ進んでいた。
風「もうすぐ。」
ロン毛「何が。」
風「橋。」
ロン毛「橋?」
風「忘却の川。」
ロン毛「嫌な名前だな。」
風「みんなそう言う。」
しばらく歩くと、木々が途切れた。
その先に広がっていたのは、巨大な川。
向こう岸など見えないほど広い。
水はゆっくり流れている。
しかし、不思議なことに水面には何も映っていなかった。
空も。
雲も。
ロン毛自身も。
まるで、何も存在していないかのように。
ロン毛「気味悪いな。」
風「ここが忘却の川。」
ロン毛「忘却。」
風「忘れられた思い出。」
風「失われた約束。」
風「誰にも思い出されなくなったもの。」
風「全部ここへ流れてくる。」
ロン毛「……。」
そして。
その川の上に。
一本の長い橋が架かっていた。
白い木でできた橋。
どこまでも続いている。
ロン毛「これか。」
風「記憶の橋。」
ロン毛「普通だな。」
ロン毛は橋を渡り始めた。
一歩。
二歩。
すると。
川の中から声が聞こえてくる。
「ごめん。」
「ありがとう。」
「元気でね。」
「また明日。」
「大好き。」
「忘れないで。」
ロン毛「……。」
風「聞こえるでしょ?」
ロン毛「ああ。」
風「色んな声。」
ロン毛「そうだな。」
橋の途中。
ロン毛は川を覗き込む。
すると。
一瞬だけ。
喧嘩した日の虹の姿が映る。
虹「どうせ消える私なんてどうでもいいんでしょ!」
ロン毛「!」
しかし。
すぐに消えた。
ロン毛「……。」
風「見えた?」
ロン毛「ああ。」
風「忘れちゃだめ。」
ロン毛「忘れるか。」
風「うん。」
やがて。
長かった橋の終わりが見えてきた。
そして。
向こう岸へたどり着いたロン毛は思わず立ち止まった。
ロン毛「……え。」
そこには。
人。
人。
人。
老人。
子供。
青年。
旅人。
笑う人。
泣いている人。
静かに空を見上げる人。
数え切れないほどの人たちがいた。
小さな町のような広場。
賑やかな声。
暖かい灯り。
風「びっくりした?」
ロン毛「こんなに人がいたのか。」
風「みんな。」
風「大切なものを失った人。」
ロン毛「……。」
風「誰かを探してる人。」
風「忘れられない人。」
風「帰れなくなった人。」
風「いろいろ。」
ロン毛「そうか。」
その時。
広場の隅。
一人の老人がロン毛を見て目を丸くした。
老人「おお。」
老人「人間じゃないか。」
ロン毛「?」
老人「珍しい。」
老人「しかも。」
老人「まだ若い。」
ロン毛「どうも。」
老人「旅人か。」
ロン毛「ああ。」
老人「誰かを探しとる顔じゃの。」
ロン毛「そんな顔してるか。」
老人「しとる。」
老人「昔のワシみたいじゃ。」
ロン毛「……。」
老人は小さく笑った。
老人「まあ。」
老人「焦るな。」
老人「ここには。」
老人「お前さんみたいな奴がたくさんおる。」
夕暮れ。
たくさんの人々の笑い声が響く。
そして。
広場の向こう。
一人の老人が、ロン毛の姿をじっと見つめていた。
老人「……。」
老人「まさか。」
老人「また。」
老人「旅人が来るとはな。」
その目は。
どこか懐かしそうだった。
そして。
その老人こそ。
ロン毛が冬のライブハウスで出会った、
あの「春になればいいことあるよ」と笑っていた老人であることを、
まだロン毛は知らなかった。




