第63話 忘れられた歌
ナムネの神殿へ向かう道。
ロン毛は白い花が揺れる草原を歩いていた。
春の風が吹く一方で、遠くの山には雪が積もっている。
季節の境目が曖昧になり始めたイデア界。
それは、調和を司るアシスの力が弱まっている証だった。
ロン毛「変な世界になってきたな。」
風「みんな心配してる。」
ロン毛「急がないとな。」
しばらく歩いていると。
どこからか、かすかな歌声が聞こえてきた。
ロン毛「?」
風「誰かいる。」
ロン毛は歌声のする方へ向かった。
小さな川のほとり。
石橋の上。
そこには、小さく光る存在が座っていた。
ロン毛「お前。」
メロディ「久しぶり。」
忘れられた歌のメロディ。
春風列車で出会った、不思議な存在だった。
しかし。
前に会った時より、その身体は透けていた。
今にも消えてしまいそうだった。
ロン毛「大丈夫か。」
メロディ「もうすぐ。」
メロディ「忘れられる。」
ロン毛「誰にも歌われなくなったのか。」
メロディ「ううん。」
メロディ「もっと大事な人に。」
メロディ「忘れられそう。」
ロン毛「?」
メロディは寂しそうに笑った。
メロディ「ロン毛。お前だよ忘れかけてるのは。」
ロン毛「えどういうことだ。」
メロディ「覚えてる?」
ロン毛「何を。」
メロディ「『明明後日の太陽はどこへ』」
ロン毛「……。」
聞いた瞬間。
胸が少しだけ苦しくなった。
ロン毛「Aちゃん。」
ロン毛「好きだった。」
メロディ「うん。」
ロン毛が昔から好きだった森谷辰哉の曲。
失恋した時にも弾いて。
うまくいかない時。
何度も聴いていた歌。
だが。
虹を失った悲しみを忘れるため。
過去の恋愛を思い出さないため。
いつしかその曲を聴かなくなっていた。
そして。
曲そのものも。
少しずつ忘れかけていた。
ロン毛「そうか、忘れようとしてたんだな。」
メロディ「悲しい?」
ロン毛「いや。」思い出すのが怖かったんだよ。」
メロディ「うん。」
ロン毛「虹のことも、好きだった曲も、全部。」
メロディ「逃げてた?」
ロン毛「そうかもな。」
しばらく沈黙が流れる。
すると。
メロディが小さく歌い始めた。
メロディ「暮色に滲む窓辺で解けかけた約束を掌に隠した」
メロディ「誰にも言えない寂しさは風鈴みたいに小さく揺れている」
ロン毛「……。」
その旋律。
忘れかけていたはずなのに。
どこか懐かしい。
ロン毛「そうだ。」
メロディ「思い出した?」
ロン毛「少しだけ。」
メロディ「最後まで思い出して。」
ロン毛「最後まで。」
メロディ「その歌は。」
メロディ「ただの歌じゃない。」
ロン毛「?」
メロディ「誰かを忘れないための歌。」
ロン毛「……。」
メロディ「だから、忘れちゃ駄目。」
メロディの光がギターの形になった。迷わずロン毛はそれを弾く。
忘れかけた指で、ゆっくり弦を鳴らす。
ポロン。
ポロン。
少しずつ。
少しずつ。
旋律が蘇る。
ロン毛「そうだ。」
ロン毛「この曲。」
ロン毛「好きだった。」
メロディ「うん。」
ロン毛「忘れたくなかった。」
メロディ「うん。」
ロン毛「虹を忘れたくないのと同じだ。」
すると。
消えかけていたメロディの身体が、少しだけ明るくなった。
メロディ「ありがとう。」
ロン毛「消えるなよ。」
メロディ「頑張る。」
そして。
メロディは空を見上げた。
メロディ「歌はね。」
メロディ「誰かを忘れないためにある。」
ロン毛「……。」
メロディ「だから。」
メロディ「思い出して。」
メロディ「全部。」
ロン毛「全部か。」
メロディ「うん。」
その時。
遠く離れた白い神殿で。
本を読んでいたナムネが顔を上げた。
ナムネ「懐かしい旋律。」
そして。
眠り続けるアシスの指先が、ほんの少しだけ動いた。
アシス「……。」
アシス「その歌。」
アシス「虹ちゃんが好きだったね。」
誰にも聞こえないほど小さな声は。
静かに春の風の中へ溶けていった。




