第96話 最後の散歩
眩しい光の中、ロン毛はゆっくり目を開けた。
くるまえび。
窓の外には、小さな虹がかかっていた。
ロン毛 「……夢、だったのかな。」
頭はぼんやりしていた。
でも。
誰かと笑ったこと。
泣いたこと。
大切なものがあったことだけは、なぜか覚えていた。
水槽のくるまえびが、こちらを見ていた。
以前ほどはっきりとは聞こえない。
それでも。
くるまえび 「元気でな。」
そんな声がした気がした。
ロン毛 「おう。ありがとな。」
水族館を出て、ロン毛はゆっくり歩き始める。
吹き抜ける風。住宅街。夏の匂い。
風の声も、もうほとんど聞こえない。
風 「楽しかったよ。」
ロン毛 「俺も。」
公園へ向かう。
木々は静かに揺れていた。
木々 「また来い。」
草花 「元気で草」
ロン毛 「世話になったな。」
空を見上げる。
白い雲が流れていく。
雲 「泣くなよ。」
ロン毛 「泣いてねぇよ。」
家へ帰る。
飼い猫のキズナが飛びついてきた。
ロン毛 「キズナ。」
抱き上げる。
もう言葉は分からない。
でも。ゴロゴロという喉の音だけで十分だった。
ロン毛 「ありがとな。」
「これからもよろしくな。」
部屋の隅。
ギターケースを開ける。
何度も諦めそうになった時、一緒にいてくれた。
ロン毛 「お前とも長い付き合いだな。」
優しく弦を鳴らす。
懐かしい音が部屋に響いた。
そして。
最後に、あの場所へ向かう。
住宅街の電柱。
人生最悪の日。
そして。
人生が変わった日。
ロン毛 「よう。痛かったぞ。」
少し笑う。
すると。かすかに声がした。
電柱 「悪かったな。」
ロン毛 「いや。おかげで色々あった。」
ロン毛「悪くなかった。」
沈黙。
そして。
電柱が、最後に言った。
電柱 「いい人生送れよ。」
もう声は聞こえない。
だけど。
確かに聞こえた。
ロン毛は優しく笑った。
ロン毛 「またな。」
その瞬間。
風が吹いた。
森が揺れた。
雲が流れた。
水族館で、くるまえびが跳ねた。
キズナが窓辺で空を見上げた。
ギターの弦が微かに鳴った。
そして。
誰にも見えない空の向こう。
虹が泣きながら笑っていた。
ナムネも涙を流していた。
アシスは優しく微笑んでいた。
ロン毛は知らない。
もう名前も思い出せない。
それでも。
不思議と寂しくはなかった。
空を見上げる。
小さな虹。夏の青空。
そして。胸の奥に残る、温かな気持ち。
ロン毛 「……なんか。幸せだったな。」
そう呟きながら。
ロン毛は、新しい一歩を踏み出した。




